31.謝罪という名の火に油

「この度は我が娘エルマがご迷惑をおかけしたようで申し訳ない」

 エルマの父、ウォルトブルグ伯フランツが深々と頭を下げた。


 学院での騒動から数日後。

 アマーリアは叔父のフランツ、兄のヴィクトールとともにラルフの実家であるクルーガー伯爵家を訪れていた。無論ラルフも一緒である。


 あの日のルーカスの勢いとは裏腹に、ザイフリート家からはすぐに

「謝罪は不要。こちらこそ申し訳なかった」

 という言伝が送られてきた。


 しかし、実際にレイフォードが顔をぶたれ、その後、近くのテーブルに突っ込んで倒れたことで打撲を負ったクルーガー伯爵家の方はそれで済まなかった。


 今後アマーリアとラルフが結婚することを考えても、両家の間にわだかまりはない方がいいだろうということになり、正式に謝罪に訪れることになったのだ。


 ちなみに当事者のエルマはまだほんの少女に過ぎない年齢なので、父のフランツが保護者として謝罪をするということで同席していない。


 ヴィクトールはアマーリアも自分が代理ということで収めるので同席する必要はないと言ったのだが、アマーリアは断固自分も行くと主張して譲らなかった。


 結局、今後のことを考えたらアマーリアも同席してレイフォードや伯爵夫人と和解出来るものならしておいた方がいいだろうということになり、公爵家からはこの三人が謝罪に赴くことになったのだったが……。


 伯爵家の客間に通され、フランツが謝罪の言葉を口にするとクルーガー伯爵夫人エリザベートはたちまち眉を吊り上げて一同を睨みつけた。


「ご迷惑? そんな問題ではないでしょう? うちのレイフォードはおたくのエルマ嬢に暴力をふるわれたんですのよ!」

 開口一番、金切り声で喚き立てた。


 レイフォードは母親の隣りに座っているのだが、その頬には顔半分を覆いそうなほど大きな絆創膏が貼られ、右手の手首と、左足の膝から下にはぐるぐるに包帯が巻かれている。

 

 アマーリアは部屋に入るなり吹き出しそうになったヴィクトールの脇腹を慌てて抓って、笑い出すのを止めなければならなかった。もちろん、自分も笑うのを必死で堪えながら。


 しばらくの間、ヴィクトールとアマーリアは笑いを堪えるのに専念してじっと俯いていなければならなかったので、傍目には反省の意を表しているように見えたかもしれない。


 その間もエリザベートの怒声は止まらない。

「いきなり顔を殴りつけるだなんて野蛮もいいところです。とても伯爵家の姫君だとは思えませんわ。いったいどういった教育をしていらっしゃるのかしら!?」


「レイフォードは優しく紳士的な子ですから女性相手に手を上げるようなことは決して致しませんけれどね。それをいいことに殴るの蹴るの、あんまりじゃありませんか!」


「息子の話では食堂でエルリック殿下たちとお話していたら突然、そちらのアマーリア嬢たちが割って入ってきて、聞くに堪えない暴言を投げつけて来られたとか。殿下の御前でのあまりの不作法にたまりかねたレイフォードがやんわりと窘めようと致しましたがいきなり殴られたと聞きました。あんまりじゃありませんか!」


(え、ちょっと待って。全然話がちがうわ)


 思わず反論しようと顔をあげたアマーリアだったが、

「ほら、ご覧になって。この息子の痛ましい姿を!」

とエリザベート夫人がレイフォードの方を示すのを見て、また吹き出しそうになり慌てて口元を押さえてうつむいた。


 言いたい放題に喚き立てるエリザベートに対し、叔父のフランツは最初から沈痛な表情を崩さずに、


「いや、ごもっとも」

「ご心痛お察しいたします」

「誠に申し訳ない」

「お詫びのしようもございません」


と重々しい態度で謝罪を続けている。


 アマーリアたちの父がすらりとした長身痩躯で厳めしい雰囲気をまとっているのに対し、叔父のフランツは背丈は兄のギルベルトに及ばないが、筋骨隆々とした逞しい体躯をしており、そのいかつい顔立ちのせいもあって一族のなかではよく灰色熊グリズリーのようだなどと言われていた。


 その灰色熊に対し、恐れる風もなくこれだけ一方的にまくし立てられるのはある意味尊敬に値するが、これはあの温厚そうなクルーガー伯爵にはとても手に負えないだろうとヴィクトールは内心、深々と同情した。

 そのクルーガー伯爵は部屋の隅で先ほどから石化したように固まっている。


 叔父のフランツについてはあまり心配していなかった。


 実は事前にラルフからエリザベート夫人の性格、言動のパターンを書き出して貰い、それをもとにアマーリアと叔父の三人で役割演習ロールプレイをしてみっちりと対策を練ってきたのだ。


 その結果、今日はこちら側は何を言われても先ほどから叔父が繰り返しているように、


「本当に申し訳ありません」

「お詫びのしようもございません」

「仰る通りです」

「お気持ちお察しいたします」


など、当たり障りのない言葉を繰り返して、とにかくエリザベートが抱えている鬱憤を吐き出させて気持ちを収めて貰おうということになった。

 たぶん、今頃叔父は頭のなかでこの後、夕餉に何を食べようか、エルマに何か土産でも買って帰ろうかとか、そんなことを考えているに違いない。


 しかし、役割演習ロールプレイの場に立ち会っていなかったラルフは継母が、叔父に罵詈雑言を浴びせ続けるのを見かねて割って入った。


「義母上。もうそれくらいにして下さい。ウォルトブルク伯爵は先ほどからずっと誠意をもって謝って下さっているではありませんか」


 ラルフの言葉にフランツが反射的に、

「お気持ちお察しいたします」

 と頭を下げる。


(いけない。叔父上が全然話を聞いていないのがばれてしまうわ)

 アマーリアは横で思いきり吹き出したヴィクトールの足の先を踏みつけた。


「貴方は黙っていてちょうだい! この件には何の関係もないでしょう!!」

 殊勝といえば殊勝だが、張り合いのないフランツの態度にひそかに苛立ちを募らせていたエリザベートの怒りがラルフに向かって一気に噴き出した。


「いや、ごもっとも」

 フランツが重々しく頷く。


「しかし義母上。今回のことはレイフォードの方にも非があったわけですし、そのように一方的にエルマ嬢の方を責めるのは間違っていると私は思います」


「ええ、ええ。どうせ貴方はそちらの味方でしょうよ。分かっていましたよ。貴方は血の繋がった兄でありながら、いつもレイフォードを妬み、陥れようとしてきた。今回のこともどうせいい気味だと思っているのでしょう」


「仰る通りです」

 ラルフにむかってくってかかるエリザベートをよそに、相変わらず沈痛な表情で頷き続けている叔父の腕をアマーリアは慌てて引っ張った。


「叔父さま。叔父さまったら」

「ん? どうした。アマーリア。もう終わったのか」

「しいっ。静かに」


 人差し指を口元に立てて制するアマーリアと、ラルフにむかって喚き立てているエリザベートをフランツは交互に見比べた。


 エリザベートの言葉は続く。


「だいたい、貴方は自分が公爵家の令嬢と婚約出来たからといって少し調子に乗っているのではなくて? それで私たちの上に立ったつもりでいたところで、エルリック殿下と姪のカタリーナの婚約が決まり、レイフォードが殿下の側近に取り立てていただいたことで妬ましく思っているんでしょう」


「何を仰っているのかよく分かりません。何故、私がレイフォードを妬む必要があるのでしょう」

 ラルフは毅然として言い返した。


「あら。またそうやって見下すような言い方をして。レイフォードごときを自分が相手にするわけがないと仰りたいの? 貴方はご自分が陛下の御前試合で少しばかり名を上げてお褒めに預かったからってレイフォードを馬鹿にしているんだわ。そうに決まっています」


「そんなことはありません」


「いいえ。嘘ばかり。貴方は昔からずっと私とレイフォードのことを憎んでおられたわ。私はちゃんと知っています。今回のことも貴方がそこの婚約者のご令嬢を焚きつけてやらせたことなのではなくて?


 おお、怖い。王太子殿下の婚約者と知りながら横恋慕をして奪ってのけた貴方と、婚約者がありながらひそかに貴方と通じていたようなご令嬢ですものね。何をしても不思議はないわ。私やレイフォードのような世間知らずの善良な人間ではとても敵いませんわね」


 ラルフがさっと顔色を変えた。

「私のことは何といってもいい。アマーリアを侮辱するのはやめていただきたい。彼女はそんな人ではない!!」


 先ほどから、いつ妹が爆発して目の前のティーカップをエリザベート夫人に叩きつけないかとハラハラしていたヴィクトールは、そのラルフの言葉にアマーリアが、

「かっこいい……」

 と呟いてソファの上で蕩けそうになっているのを見て、ひとまず胸を撫でおろした。


 が、ほっとするのは早かった。


 ラルフに反論されたエリザベートはますますいきり立ち、


「侮辱がきいて呆れますわ。さんざん、こちらを馬鹿にしておいてその言い草。恥知らずにもほどがあります。あなたの亡きお母さまもお墓の中でさぞ嘆いていらっしゃることでしょうよ」


 次の瞬間、フランツのあたりを揺るがすような大声が室内に響き渡った。


「いい加減になされよ、このクソババア!」


 室内の空気がぴしっと凍りついた。



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