19.涙と波乱の婚約成立
男同士の話し合いがひと段落つくと、公爵はアマーリアを呼ぶようにと言いつけた。
やがて公爵夫人に付き添われて入ってきたアマーリアは勿忘草色のシンプルなドレスを身にまとい、淡い金色の髪をドレスと同色のリボンでひとつにまとめて結っていた。
公爵に促されて、父とラルフに挨拶をするアマーリアの所作は見惚れるほどに優雅で、これが本当に先日、全身鎧を着て騎士団の兵舎に現れた少女なのかと疑わしくなるほどだった。
公爵は先ほどまでの険しい顔つきから一転して、
「まったくおまえの我が儘には負けた。これ以上、邸を抜け出されたり、あちこち壊されたりしては叶わぬからな。好きなようにするといい」
と明るく言った。
どうやら公爵は、王都に広がっている悪評云々のことはアマーリア本人には知らせないまま、あくまで「可愛い娘の我が儘に負けてラルフとの婚約を仕方なく許した甘い父親」というポーズをとろうとしているらしい。
公爵の意を察したラルフは立ち上がって、アマーリアの前に進み出ると胸に手を当ててその場に膝をついた。
「事が後先になりましたが、アマーリア嬢。本日は公爵閣下に貴女との結婚をお許しいただきたいとお願いしに上がりました。先ほど、御父上からはお許しを得ました。改めて、私の妻になっていただけますか?」
先日のように飛び上がって喜ぶかと思いきや、アマーリアは困ったようにうつ向いている。不思議に思って見れば、その藍色の瞳には今にも零れんばかりに涙がたまっていた。
(え!? まさかこのタイミングで我にかえって俺のことなんか好きでもなんでもないことに気がついた?)
(それとも最初から単なる冗談で、思ったより大事になってしまって驚いている?)
どちらにしても情けないことこの上ない。
側で見ていたヴィクトールも同じ危惧を抱いたらしく、珍しく焦った口調でアマーリアに声をかけた。
「おい、どうしたんだよ、リア。その顔は。嬉しくないのか?」
アマーリアがふるふると首を振る。
何の「いいえ」なんだろう……。
膝をついたままの姿勢でそれを見守るラルフの前でアマーリアは涙声で言った。
「ごめんなさい……」
アマーリアは深々と頭を下げた。
「私は、ただ自分の気持ちをお伝えしてラルフさまのお気持ちを確かめたかっただけなんです。こんな風にお父さまのお力を借りて無理矢理結婚して頂くつもりなんてなかったのに……。でも少し考えたらこうなるかもしれないということは分かるはずでした。考えなしに行動して、またご迷惑をおかけしてしまって」
そこまで言ってアマーリアはぽろぽろと涙を零した。
(ああ、そういうことか)
ラルフは、内心でほっと冷や汗を拭った。
アマーリアは父親が娘可愛さのあまり、公爵家の威光をたてに無理矢理にラルフに求婚させたと思い、心を痛めているのだ。
まあ、それはある意味当たらずとも遠からずとも言えるのだが。
きっかけはどうあれ、現段階ではラルフ自身もアマーリアとの婚約は意義あるものだと理解している。決して無理強いされたからではない。
「アマーリア嬢。私は自らの意志で公爵閣下にあなたとの婚約を申し込ませていただきました。決して無理矢理などということは……」
「嘘!!」
アマーリアは涙に濡れた目でラルフを見た。
「私との結婚を承諾しなければ、一族郎党女子供まで皆殺しにして、子々孫々まで根絶やしにしてやるなどと脅されてどうしようもなかったのでしょう!? 私のせいでラルフさまばかりかクルーガー伯爵さまやお身内にまでご迷惑をかけてしまって……」
「いや、そのようなことは決して!」
「アマーリア、そなたは父をなんだと思っておるのだ。恐怖の魔王か何かか!」
「まあ、顔だけ見てたらそう見えなくもないか」
小声で呟いたヴィクトールの頭をクレヴィング公爵が思いきり叩いた。
「ふざけておる場合か」
「いや、別にふざけてはいませんが」
その間にもアマーリアはラルフの前に跪き、涙ながらに謝罪を繰り返している。
恋の告白をするにしても、謝るにしても一直線というか猪突猛進というか、こうと思い込んだら周囲のことがまるで目に入らなくなる性質らしい。
(これは確かになかなか骨が折れそうな……)
先行きに一抹どころでない不安を感じながらも、ラルフは恐る恐るアマーリアの手をとった。
小さく息を吐き、覚悟を決めて彼女の瞳を覗き込む。
「きっかけはともかく、私は自分の意志であなたに求婚させていただくと決めました。私のことが信じられませんか?」
ヴィクトールが小さく口笛を吹く。
自分でも柄でもないことをしていると耳が熱くなってくるが、この場は自分がこうしなければどうにも収まらない気がする。
どうせなら
(私も以前から貴女をお慕いしておりました。私を愛すると言っていただけた時には天にも昇る気持ちでした)
くらいのことを言えればもっといいのかもしれないが、性格的に明らかな嘘を平然と口にすることは出来ないし、そもそもそんなことを言ったら、それこそ王太子の婚約者に以前から想いをかけていたことになってしまい、また別の問題が発生してしまいそうだ。
だから嘘はつかない。
確かに自分は今の時点ではアマーリアのことを女性として愛しているとは言えない。彼女をぜひ妻にと心から望んでいるかと問われればそれも否だ。
だが、公爵が決して立場を笠に着ることなく、腹を割って現状と娘への想いを話してくれたことと、そのうえで無理強いすることなくラルフの意志に委ねてくれたことには好感を覚えたし、その気持ちに応えたいとも思った。
そして自分自身のなかにも、この機に乗じて実家の義母との諍いから抜け出したいという打算的な気持ちもある。
だからアマーリアとの結婚を望んでいるということに嘘はない。
ラルフはアマーリアに手を貸して立ち上がらせると、改めて自分は跪き彼女を見上げた。
「私と結婚してくれますか、アマーリア」
アマーリアはそれでも困ったように首を傾げて躊躇っていたが、やがて意を決したように頷いた。
「はい。私で良ければ喜んで」
涙に濡れたその顔は、朝露をたたえた花のように可憐で愛らしかった。
公爵とヴィクトールが、はあっと安堵と吐息を漏らし、ぱちぱちと拍手をする。
涙ぐんだ公爵夫人と、さっきからオロオロし通しだったラルフの父もそれに続いた。
こうしてラルフ・クルーガーとアマーリアの婚約は波乱のうちに成立したのであった。
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