20.珊瑚の腕輪とブルーのドレス

翌朝早く、アマーリアは目を覚ました。

枕元を見ると、昨晩、眠る前にはずしておいた淡いピンクの珊瑚の腕輪が置いてある。


(夢じゃなかった……)

 アマーリアは起き上がると、急いでその腕輪を左手に嵌めた。


 それは昨日、ラルフが

「いずれ、きちんとした指輪を持って伺いますが今日のところはこれで」

 と求婚の証にと渡してくれたものだった。


 亡き母の形見だと聞いて、そんな大切なものを受け取るわけにはいかないと言ったのだが、

「貴女に持っていて欲しいのです」

 とあの黒い瞳でまっすぐに見つめられて言われるとそれ以上は断れなかった。


 アマーリアは腕輪を嵌めた手をあげて、うっとりと眺めた。


 この先、どんなに立派な指輪を贈られようとも、ラルフが大きな手でおずおずとこの可愛らしい腕輪を嵌めてくれた瞬間以上に、輝かしく幸せなことはないだろうと思う。


 寝台から降りて、白地にピンクの小花の散ったカーテンをさっと開くと朝の光がまばゆく室内に流れ込んできた。秋のはじめの緑の月にしては暖かな朝だった。


窓の外のテラスの手すりに絡みついた蔓バラの黄色の花に降りた露が、朝日を受けて宝石のようにきらめいている。


 部屋に差し込んでくる光が、よく磨かれたマホガニーの家具を艶やかに輝かせるのをアマーリアは幸福な気持ちで眺めた。


今朝は目に入るすべてのものが、これまでとは違って見えた。世界が一変するとはこのことだった。


しばらくすると、シェリルがやってきて朝の身支度を手伝ってくれた。


シェリルは、いつもは彼女がやってくるまでぐっすりと眠っていて、起こされてもしばらくはベッドの中でぐずぐずしていることの多いアマーリアが、早く起きだして窓辺に立っているのを見ると、

「まるでピクニックの朝の子どもみたいですわね」

と、くすくす笑った。


 ピクニックなどよりずっといい。だって今日は愛するラルフに会えるのだから。

 それも、これまでのように上司の妹として、失礼にならない範囲でよそよそしく距離をおきつつ、接したりしなくてもいいのだ。

 だって自分は彼の婚約者なのだから!


 そこまで思って、その婚約が父が頼み込んでラルフにとっては断れないものだったのかもしれないという思いが掠めて胸がチクリと痛む。


(でも、こうなった以上、それを気にしていても仕方がないわ。例えば今は無理矢理だったとしてもこれから好きになっていただけばいいんだもの)


 そう自分に言い聞かせると、アマーリアはシェリルが運んできてくれた朝食を今朝は自分の部屋でとった。


 今日は父に伴われて、ラルフと一緒に王宮へ挨拶に行くことになっている。


「ことの発端はアドリアン殿下だったとはいえ、アマーリアが騒ぎを大きくしたことも確かだ。こうなった以上、改めてお詫びを申し上げて、正式に婚約のご報告しておいた方がいいだろう」


 国王陛下に報告ともなればもうあとには引けない。

 あまりに急な展開に戸惑うアマーリアの前で、ラルフは即座に

「分かりました。ご面倒をおかけいたします」

と父に頭を下げてくれた。面倒をかけているのはアマーリアの方なのに。


 父はラルフの誠実な態度が気に入ったらしく、昨晩、ラルフたち父子が帰ったあとも、

「これはアマーリアは殿下と一緒になるよりかえって良かったかもしれぬな」

とほっとしたように言っていた。


 アマーリアが山のように吊るされているドレスのなかから選び出したのは、濃いブルーに紺色の襞飾りが控えめについたすっきりとしたデザインのものだった。


「そちらでよろしゅうございますか?」

 シェリルが意外そうに言った。

 

 これまでアマーリアは、淡いピンクやクリーム色、明るく澄んだグリーンのドレスをよく着ていて、デザインもふわふわとした袖とスカートに大きめのリボンのついた可愛らしいものが多かった。


 それは前の婚約者であったアドリアンの好みだった。


 アドリアンはアマーリアが少女のような可愛らしい格好をしていることを好み、たまに母や義姉のソアラから贈られた上品なブラウンやワイン色のドレスを着たり、シンプルなジュエリーを身に着けたりしていると、

「そういうのはリアにはまだ似合わないんじゃないかな」

と苦笑しながら言った。


それでアマーリアは自分が好むと好まざるに関わらず、いつもアドリアンの好きそうな、明るい、淡い色合いのふんわりしたデザインのドレスばかり作らせるようになっていた。


 アドリアンが冷淡になり、距離を置かれるようになってからは身なりに口出しされることもなくなったが、ただでさえ冷たくされているのに、これ以上心証を害してはいけないと思い、ずっと彼が好むような衣装をまとい続けていた。


けれど、それももうおしまいだ。


自分より八つも年上で落ち着いたラルフの隣りに並ぶには、パステルカラーのふわふわしたものよりも、もっと大人っぽくてすっきりしたドレスの方が似合う気がする。


その濃いブルーのドレスは、出入りのデザイナーが

「この深みのある上品な青、お嬢さまの瞳の色にぴったりですわ!」

と強く勧めてくれたロシュフォール産の絹で仕立てたものだった。


着替えて鏡の前に立ってみると、着慣れない色なのでなんだか似合わないように思えたが、シェリルが手を打ち合わせて、

「まあ! なんて素敵なんでしょう。お嬢さまの髪と肌の色によく映えてお美しいですわ!」

 と言ってくれたので、それを信用することにした。


 落ち着いた色合いのなかで、ラルフに贈られた腕輪の珊瑚色が暖かな光を添えていた。


 身支度が終わった頃、母の侍女がやってきてラルフの来訪を告げた。


 慌ててもう一度鏡を覗き込み、シェリルに「大丈夫です。お綺麗ですよ」と呆れられながら何度も前髪や髪飾りの位置を直してから、ゆっくりと階段を下りようとすると、応接室にいると思っていたラルフが階下で待っていた。


 アマーリアの姿をみとめると、ラルフは眩しげに目を細めてこちらをじっと見た。

 

 アマーリアが軽くお辞儀をすると、はっとしたように階段を駆け上がってきて手を差し出してくれる。


「あ、ありがとうございます」

「いえ。隊長に迎えに行ってこいとせっつかれまして」

「すみません……」


 いつもならもう騎士団に出勤しているヴィクトールだが今朝はまだいるらしい。


(兄さまに言われたとしても、そんなこと言わなくてもいいのに)

 ラルフの律儀さがおかしくて、でも彼のそういう飾らないところがやはり好きだと改めて思う。


 アマーリアが彼の腕に手を添えると、

「それ……」

 とラルフがつぶやくように言った。

「え?」

「つけて下さっているのですね」


 珊瑚の腕輪のことを言われていると気づいたアマーリアは頬を染めて頷いた。

「は、はい。お母さまの大切なものを私などに、ありがとうございます」


 こういった時は「よくお似合いです」とか「喜んで頂けて光栄です」とか言うのが常套句なのにラルフはなぜか困ったような顔で腕輪を見ている。


(やっぱりくれるのが惜しくなった? それとも……)


「似合って、いませんか?」

恐る恐る尋ねると、「えっ!?」とラルフは声を裏返らせた。


「い、いえ!! そんなとんでもない! いや、その……立派なお衣装のなかでその腕輪だけ浮いてるかな、と。何でもっといいものを渡さなかったのかと思いましてその……申し訳ありません」

 そう言って気の毒なくらい真っ赤になったラルフの顔をアマーリアは懸命に見上げた。


「そんなことありません! 私はこの腕輪がとても気に入りました。他に何を頂けると言われても取り換えたくないくらい。夕べも寝るまでずっと腕に嵌めていて、本当は眠るときもつけていたかったのですけれど、寝ている間にどこかにぶつけて傷がつくかもしれないとシェリルがいうので、眠る直前に外して、今朝目が覚めたらまたすぐにつけて……その、とにかく、ありがとうございます……」


 思わず力説してしまったあとで、急に恥ずかしくなってうつ向いてしまったアマーリアの手にそっとラルフの手が重ねられた。


「こちらこそ、ありがとうございます」

「はい。いえ。こちらこそ」


階段の途中で手を握り合ったまま、小声でお礼を言い合っている二人を部屋から出て来た公爵夫妻が温かい目で見ていた。

 その後ろでヴィクトールが笑いを噛み殺していた。


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