第27話 マッチョ養成講座?とニクダシ ①
七月中旬。
ついにその時が来たらしく、生化学の先輩からニクダシの予定を聞かされた。
それが今日の午後一番。
汚れてもいいジャージ姿で解剖室に集合とのことらしい。
その言葉通り準備して日原たち四人は解剖室に向かうものの、未だに読み切れない正体について首を捻る。
「ふむ。産業廃棄物になる肉の残渣をトラックに乗せる重労働。これくらいは耐えられないと、今後の授業は大変って話だったか。マッチョ養成講座か?」
割と肉体派の鹿島は「俺は構わんが」と呟きつつ、朽木を見る。
いつもテグーをぬいぐるみのように抱える彼女でも肉体派とは言い難い。
医療現場は体育会系とは耳にするが、重い物の積み下ろし作業はまた別種の適性ではなかろうか。
そんな不安も相まって四人は、むむ? と互いに疑問の顔を突き合わせている。
「たっ、体力があるのはいいこと! ……なのかな?」
元気の塊である渡瀬もどんな適性を試されるのかと困惑気味だ。
はぐらかしてくれた先輩にはもう少し手段を選んでほしかったと恨み言も言いたくなる。
嘘か真か、お得なバイトもあるらしいのでそこには期待したいものだ。
「こればっかりは体験してみないと何とも言えないね。さっさと終わらせて勉強に戻ろうか。解剖の重要単語、もらえたはいいけど数が多いし、手分けしてまとめないと」
「テストのためにはあれを覚えきる必要があるのか……」
日原が諦めて促すと、鹿島は途方もない作業量に眩暈を覚えたらしい。
そんな彼がふらついた先に立っているのは朽木だ。
彼女は自信ありげな表情を浮かべる。もっとも――
「イメージを紐づけて考えたら意外と簡単」
この通り、誰も当てにはできない自信である。
他の科目も捨て置いて解剖の教科書を読みふけることが多い彼女にしてみればそんなものらしいが、それはそれで大丈夫なのかと心配になる。
似た思いでも抱いているのか、鹿島は遠い目を朽木に向けた。
「そうだな。日頃からたくさん勉強したらそうなるんだろうさ。わかってる。俺も今から頑張って追い込みだな……。日原、今日も勉強するぞ」
周囲に遅れ、ようやく勉強に本腰を入れた彼はこのところよく勉強を共にしていた。今日もやる気が持続しているようで何よりだ。
するとそれを耳にした渡瀬が手を上げる。
朽木も彼女に寄り掛かって主張してきた。
「あっ、それ私も! 生化学の範囲で疑問があるし、わかる人に教えてもらいたい!」
「ウチも全般的にやる」
と、口々の主張があるものの、この先はいつものパターンだ。
元より女子部屋は男子禁制。
また、勉強シーズンなので寮の勉強部屋も大学図書館も使われていることが多い。
さらに鹿島の部屋は蜂の巣箱や養蜂用具が散乱して窮屈なため、日原の部屋に集まるのがお決まりだった。
彼らの視線を断れるはずもない。
頼られることに悪い気はしない点もある。日原はその提案を快く受け入れた。
「じゃあいつも通り僕の部屋でやろうか」
「よぉーし。それなら今日こそはコウちゃんを抱っこするからね!」
渡瀬は勉強に合わせて第二目標を立ち上げる。
この元気さ故に猫とは性が合わないのか、コウはなかなか気を許さないのだ。
彼女が部屋に来ている時でも顔を覗かせるようになったのは一歩前進であるものの、まだまだ自分から近寄ろうとはしないのである。
四人はそんなやり取りをしつつ、獣医学部棟に隣接された解剖室に辿り着いた。
そこにはすでに二十人ほどの上級生が集まっている。白衣だったり、ツナギ姿だったりと装いはまちまちだ。
どう動くべきか誰かに指示を願おうと知った顔を探してみる。
すると、生理学研究室の栗原先輩の姿が目に留まった。
「あれ。渡瀬ちゃんたちはなんでここへ?」
彼女は周囲を見回す。ここに集まっている生徒に一年生はいない。面識がある顔も研究室に所属している四年生以上ばかりであった。
疑問の視線を向けられた渡瀬は答える。
「生化学の先輩の代わりです。試験勉強でわからないところを教えてくれる代わりにこれをこなすって約束をしたので」
「あいつら、下級生にそんなことを……」
正直な答えを聞いた途端、栗原先輩は眉をひそめた。
きっと、彼女は犯人を特定しているのだろう。少し見回すなり、その姿が見えないことに気付いてため息を吐く。
どこかで見た覚えがある目だと思ったら、これは中高生の時には見たものだ。
『ちょっと男子!?』と声まで聞こえそうである。
よくあることなのか、彼女は眉間の皺を揉み解してからこちらに向き直った。
「人出が多い方がありがたいのは確かなんだけどね。断れない下級生に押し付けるとか、まったく……。しょうがない。大体のところは解剖や病理研究室の肉体派とトラックの運ちゃんがやってくれると思うから、君たちはそこまで気張らなくていいの」
「あ、やっぱりマッチョ養成講座ではないんですね?」
「マッチョ? うん……?」
研究室訪問で実験動物を見た時のように何かがあると思っていた内輪の疑問は栗原先輩に通じなかった。
彼女はそう言われて上級生たちの方を振り返る。
解剖室は解剖側と病理側で二部屋あるらしい。
その関係でニクダシを正式に仕切るのもこの二つの研究室なのだろう。部屋の奥では体格のいい男性陣が作業している。
彼らが解剖と病理学研究室のメンバーっぽそうだ。
栗原先輩が何気なく視線を向けると、約半数が白々しく目を背ける。
彼らが一連の雑務に一枚噛んでいた解剖学研究室の先輩だろう。
先程までのやり取りに聞き耳を立てていたが故に怒られる気配でも察したのかもしれない。
(言わぬが花的な状況だよね、これ……)
それに苦笑を浮かべていたところ鹿島が気まずそうな顔で頷きかけてくる。
幸いなことに栗原先輩は勘付いていない。このまま別の話題にしてしまおう。
そう思っていたところ、渡瀬が前に出ていった。
「へえ、解剖室ってこんなところなんだね? 床はお風呂みたいなタイル張りで、天井にはクレーンがあって、教材っぽい骨格標本や骨もあって。もっとこう、宇宙人を磔にして解剖するような雰囲気があるかと思ったよ」
壁には解剖器具が飾られ、ステンレスの台座に無影灯がある――。
彼女はそういう系統のおどろおどろしいイメージをしていたのだろうか。
解剖室とは実際にどんな施設か知らなかったため、言われてみると頷ける。
「この部屋はどっちかって言うと、風呂とか魚市場みたいだよね」
「そう! それだよね、それ!」
日原がなんとなく思い付きで言ってみると、渡瀬は大いに同意してきた。
解剖によって血が流れる上に汚れを流す必要もあるため、風呂と似た造りになるのはわかる。
そして、どうして魚市場の雰囲気を感じるかといえば、それは部屋の奥にある設備の印象が強いからだろう。
「なるほど。あんなにどでかい冷凍室は魚市場か流通系の何かでもなければ見ないよな。正確には冷凍倉庫とか言うんだったか?」
鹿島もほほうと顎を揉んで見つめる。
揃って目を向けるのは観音開きの大扉から冷気を漏らす小部屋だ。
解剖室の奥には放送室のようにがっちりとした扉が据えられた小部屋が、壁を貫通する形で埋め込まれている。
漏れ出る冷気からするに、あれは大型冷凍庫もしくは冷凍倉庫などというものだろう。
あそこで保管されている“肉”を産業廃棄物のトラックまで運び出す。
それがニクダシの正体らしい。
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