第28話 マッチョ養成講座?とニクダシ ②

 目を向けていたところ、解剖室の奥で上級生の動きを監督していた解剖学の加藤教授が冷凍庫の扉にストッパーをかけ、声を発する。


「それではニクダシを始めます。解剖残渣にビニールが混ざっていると回収してもらえないので、プラスチックコンテナから出してすぐに積み込める状態にしておきましょう。そのうちにトラックが来ると思います。運び始めは慣れた者がするので、他の男子は冷凍倉庫外で受け取る役をするためにこちらへ並んでください」


 呼びかけで上級生がぞろぞろと動き始めるので、日原と鹿島も応じて向かう。


 運び出しを前にゴム手袋と軍手を受け渡された。

 それを装着したところで冷凍庫前に並ぶ。ちょうどバケツリレーのようなものだ。


 まずデモンストレーションが始まった。

 作業慣れした研究室生が引っ越し用ダンボールほどもあるコンテナを冷凍倉庫から取り出し、それを受け取ったらひっくり返して肉を出す。

 コンテナは肉のドリップで汚れているので女性陣が洗うという流れだ。


 しかし、いざ物を前にしてみるとどうだ。

 冷凍倉庫内に積み上げられたコンテナを動かす先輩の動作には明らかに重みを感じる。


 一体どれくらいの重量になるだろうかと思っていたところ、鹿島が先に先輩からコンテナを受け取る運びとなった。

 すると先輩の手が離れるなり、鹿島の体は前に傾ぐ。


「うおっ、これはきついな!?」


 体格がいい彼ですら受け渡された際は前のめりに崩れかけた。


 考えてみれば、それもそのはずだろう。

 コンテナに満載になっているのは肉と骨。その比重は水より重いのだから軽いわけがない。


「よいしょ。ほれ、次だ。一年生。気を付けて」

「はっ、はいっ……!」


 見ているばかりではない。日原にも役目が回ってきた。

 預けられるコンテナの重みに耐えつつ、その場に降ろしてひっくり返す。


 解剖残渣はビニールに入っているので出す分には苦がない。

 あとはコンテナを女性陣に回し、残渣を包むビニールを剥いで終わりだ。


 金属塊のような音を立てて転がる解剖残渣の姿がついに露わになる。

 今まではビニールについた霜がモザイク代わりだった。けれども全てが剥がされてみるとよくわかる。これらは日原が今まで見てきた“肉”ではない。


 まず目の前に転がったものは牛の骨盤から尻尾の部分――ぶつ切りされた塊だ。

 病気の原因は究明するとして、残る遺体は冷凍倉庫に収めて今日まで保管する必要がある。

 牛一頭を丸ごと冷凍とはいかないからこうなるのだろう。


「うっ……!?」


 けれども、スーパーの肉、時々映像で見る食肉加工場の枝肉。それらとはまるで違う姿だ。こんな肉の塊を見たのは間違いなく初めてだろう。


 腸管だけの塊、心臓や肝臓と思しき塊。生ハムの原木のような手足や、切り取った肋骨、頭部だけ入ったコンテナもあった。

 牛だけではなく、馬や豚、鳥やネズミ、ウサギも一部に見える。

 数ヶ月分を冷凍倉庫に貯めていたそうだからその量はとても多い。


 その事実を認識して思わず身を引いた時、日原は自分の手の色が目に留まった。

 解凍された肉が出す、あのくすんだ赤色のドリップが血のように軍手に染みている。


 今までに見てきた光景とは一段階も、二段階も違う世界を目の当たりにして目が白黒としてしまう。

 だが、流れ作業故にゆっくりしている時間はなかった。


「一年生、次行くよ。内臓系でみっちり詰まっているから気を付けて」

「わっ、わかりましたっ……!」


 骨が引っかかってしまう頭部や手足と違い、消化管は半液体のように広がるので、残渣がコンテナ内に隙間なく詰め込まれる傾向がある。

 受け取ったそれは先程のコンテナよりさらに重い。


 状況に気圧されていた日原は、溶けた霜のせいもあって指を滑らせてしまった。

 落下地点にあった片足は咄嗟に避けることができたものの、コンテナはゴッと重い音を立ててタイルの床に激突した。


 その重い音と、コンテナの破片が飛ぶ音が事故を想起させたのか周囲の作業の手が一斉に止まる。


「――っ!」


 直撃こそしなかったが、倒れたコンテナは足の甲に落ちた。

 幸い、倒れてきたコンテナに挟まれた程度なので大したことはない。安全長靴を履いていたこともあって、足にジーンと余韻が残るくらいだった。


「大丈夫か、一年!?」

「あっ、平気です。履いていたのも授業用に買っていた安全長靴なので……!」

「フレーム以外に当たると冗談抜きで骨折するから気を付けるようにー!」


 受け渡しをしていた研究室の先輩もハラハラした様子で見つめてきた。それに対して返答していると、教授が遅れて注意喚起をしてくる。

 慣れたメンバーばかりだったので注意が遅れたのだろう。


 ひやりとする事故未遂の現場だ。

 コンテナ洗いをしていた渡瀬と朽木も目を丸くしてこちらを見ていた。


 すると、すぐにそちらから栗原先輩がずかずかと歩いてくる。


「あー、もうっ! こういうのが危ないからいきなり一年に任せるんじゃないってば。ほら、そこで楽な労働をしている男子! さっさと代わって!」


 重い物の上げ下ろしだ。腰に来る作業なだけに、倦厭してコンテナの洗浄方面に逃げていた上級生が栗原先輩の指示で投入される。


 ここで意地を張っても迷惑がかかるだけだ。日原は失敗をフォローしてもらうことを申し訳なく思いながら上級生と交代する。


「す、すいません。お願いします」

「いいよいいよー。それより足は本当に大丈夫?」

「はい。足自体には当たっていないので……」


 代わってくれた上級生は「そうか」と笑顔で頷いてくれた。

 移動した先でするのは女性陣が中心のコンテナ洗いだ。「大変だったね。平気?」などと向けられる気遣いの声はありがたいながらも、胸にちくちくと刺さる。


 ああ、自分は何をやっているんだろう……。

 そんな思いを抱えながら、ため息を吐く。


(……そっか。“解剖”残渣だもんね。後期の授業の解剖実習では、いやが応でもこういうのを見ることになるのか)


 だから、これくらいは乗り越えられなければこれからの授業が無理ということなのだ。日原はようやく先輩の言葉の意味を理解しながら、洗浄に専念した。


 その後、十トントラックが到着し、解剖残渣をトラックに載せて作業は終了だ。男女共に中腰での作業が多く、腰に負担がかかるイベントだった。


 けれども日原としてはそんな感想を抱く余裕もない。

 コンテナを落として以来、それを引きずってしまっていた。


 全てが終了してからそれぞれが自室でシャワーを浴び、約束通り日原の部屋に勉強道具を持って集合してくる。

 それでも日原は勉強に身が入らないままだ。

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