第70話 70、超空間通信機の試作

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 素晴らしい科学技術の果実を見たからと言ってそれを完全に消化できるわけではない。

宇宙船の人工頭脳はそんな高水準技術を使った装置の取り扱いマニュアルを知っていたが原理も詳しく知っているわけではなかった。

装置の構造は書かれていたが、その構造の個々が意味する役割を知ることは難しかった。

原理の簡単な説明を読んでも、その説明でひらめき的に理解できるほど地球の科学技術が接近しているわけではなかった。

 丸木舟を海に出している地球人が外洋を走るクルーズ船の分厚い設計図の束を見てもほとんど理解できないことと同じだ。

マリアにとって宇宙船で使われている科学技術は自身の研究にはほとんど役立たなかった。

マリアは地道に自分の研究を続けるしかなかった。

 マリアは現世に近接した7次元に入った単結晶を元の次元に戻そうとしていた。

しかしながら実験装置は限られており、思いつきで新しい装置を組み立てて実験したとしても成果が得られるとは限らない。

結局、今ある実験装置で実験を続けることが一番確実であると思った。

 マリアは単結晶の的の材質を色々と変えて果てしない実験を繰り返していた。

従来の粘土パテから鉄、アルミ、銅、金、鉛などの色々な材質の金属板に変えて実験を続けた。

木材も試したり、ガラスも試したりしたが、どれも異次元にある結晶の飛行を阻止することができなかった。

 異次元に行った単結晶を阻止すると言うことはその物質が異次元にも存在していることを意味する。

そんな物質は普通に考えたらありっこない。

しかしマリアは実験を続けなければならなかった。

リチウム包摂カーボンナノチューブが重力に対抗できるなんてことは常識では考えられない事だった。

だがその結晶は重力に対抗できた。

実験は予想できない結果を導くことがあり、その結果からより深い理解が生ずる。

 「マリアさんの研究はどんなものなのですか。」

ある時、宇宙船操縦室のG16号がマリアに聞いた。

「重力を遮断した結晶に『共鳴周波数』っていう特定の周波数の交番電場をかけるとこの世界とは違った次元の世界に行ってしまうの。電場の強度をうまく変えるとその結晶はどうも現世に隣接する7次元に行くことができるみたい。その結晶は半透明になって鉄でもガラスでも何でも通り過ぎてしまうの。今、私が実験しているのは別次元にいる結晶の動きを阻止できる物質を探しているところ。今の所、全部失敗しているわ。」

 「物体を通り過ぎるなんてまるで重力みたいですね。重力は間に何があってもその力は影響されませんから。」

「そう言えばそうね。重力って別次元を通して作用するのかしら。」

「分かりません。でもそんな重力を遮断できる物があります。」

「分かった。この宇宙船の外壁の内側に貼ってある中性子塊の重力を遮断している物ね。宇宙船の加速度を中性子塊で中和するのに開閉している物。」

 「その通りです。銀色の重い材質です。それで試してみたらどうでしょうか。」

「ぜひとも試したいわ。実験が行き詰まっていたの。」

「修理用の在庫がたくさんあります。数枚持って来させますから実験に使ってみてください。」

「ありがとう。お願いするわ。」

 ロボットが持って来た物は厚みが5㎜の20㎝方形で金属光沢を持った銀色の板だった。

その重さは非常に重く100㎏近くあった。

「重いわね。材質は何なの。」

「基本的にはルテチウムとローレンシウムの1:1合金です。安定剤が少量入っているそうです。」

 「ふーん。ランタノイド系とアクチノイド系か。f軌道電子が関係するのかしら。全くわからないわ。それにしても半減期が短い原子をよく安定にここまで集めることができたわね。それだけでも凄すぎるわ。とにかくこれが中性子塊の強烈な重力を遮断するのね。」

「そうです。もちろんそのままではそんなことはできませんが。」

「ありがとう。さっそく実験してみる。」

マリアはそう言って300㎏もある小さな金属板を抱えて嬉々として宇宙船のエアロックから飛び出した。

 研究室に戻るとマリアはただちに実験を始めた。

何度も失敗を繰り返していた実験なので手慣れたものだった。

半透明になった単結晶はルテチウム・ローレンシウム合金の板を通過できなかった。

板の後ろ側に半透明単結晶は現れなかったし、結晶が板に当たって破壊するのも画像に収めた。

合金板に透明な粘着テープを張っておくと、粘着テープに穴は開いておらず、粘着テープの金属側には結晶破片が付着していた。

そして、その結晶は半透明性を失っていた。

結晶は異次元から現次元に戻って来たのだった。

 マリアは小躍(こおど)りして喜び、ただちに鉄板と鉛板を使った対照実験を始めた。

この対照実験をすることで実験結果の違いが金属板に依(よ)ると結論できるのだ。

対照実験ではもちろん半透明単結晶は鉄板や鉛板を通り過ぎ、反対側に現れた。

 マリアは論文作成に必要十分なデーターを得ると、別の実験を始めた。

知りたいことはいくつかあった。

ルテチウム・ローレンシウム合金はどこまで7次元位相界に突出しているのか。

高次の7次元位相界にまで存在しているのなら超空間通信機のアンテナにすることができる。

宇宙船の超空間通信機の筐体を外して当該金属のアンテナがあれば確信が生まれるはずだ。

 重力はどこまで7次元位相界に浸透しているのか。

半透明ではなく消えてしまった結晶の飛んだ方向が分かれば重力がどの辺りまで7次元位相界に浸透しているかが分かる。

なんせ地球表面は少なくとも公転速度の時速10万㎞以上で太陽の周りを回っているのだ。

それが分かれば共鳴周波数の電場強度が結晶をどれだけ高くの7次元位相に遷移させるのかも分かる。

とにかくルテチウム・ローレンシウム合金の板はそんな実験を可能にする異次元への扉を開く鍵だ。

しかもその合金は現在の地球ではだれも作ることができない。

 マリアは朝になると街に出かけて金属製のロッドアンテナが出ている安価なおもちゃのトランシーバーのセットと大きな金属の缶に入ったお煎餅(せんべい)を買って来た。

次にベルト剣を使ってルテチウム・ローレンシウム合金から細長い角棒を4本作った。

金属缶の中身の煎餅は研究室のみんなにあげた。

 伊能早智子は煎餅を食べながらマリアに聞いた。

「お煎餅をありがとう。マリアさんは何をしようとしているの。」

「へへっ。しばらく秘密よ。失敗すると恥ずかしいでしょ。うまく行ったら教えてあげる。

「マリアさん、嬉しそうね。マリアさんの頭の中が見えなくても分かるわ。実験がうまく行ったのね。」

「そうなの。ワクワクしてる。ずっと失敗していたから。」

 マリアはおもちゃのトランシーバーの筐体(きょうたい)を外し、回路のアース部分に鰐口(わにぐち)クリップが付いたリード線を繋げ、筐体の外に出してからトランシーバーを元通りに組み立てた。

トランシーバーのアンテナにも鰐口クリップでリード線を繋げた。

これで準備完了だった。

 マリアは金属缶の中のエアークッションシートの上にトランシーバーを置き、アンテナとアースのリード線にルテチウム・ローレンシウム合金の棒を鰐口クリップで繋いだ。

これで電波は2本の合金の棒を通して発射されることになる。

次に携帯用録音機をトランシーバーの横に置いて「こちらマリア・ダルチンケービッヒ。応答願います。」という言葉を繰り返し再生させた。

トランシーバーの発信ボタンを押して固定すると、マリアが持っているトランシーバーからマリアの声が聞こえた。

その声を聴きながらマリアはアンテナとアースがショートしないように慎重に金属缶の蓋を閉じた。

 マリアの持ったトランシーバーからマリアの声は聞こえなくなった。

電波は金属で囲まれた缶からは外に出られないからだ。

マリアはそれを確認するとおもむろに手に持ったトランシーバーのリード線にルテチウム・ローレンシウム合金の棒を繋げた。

マリアのトランシーバーからマリアの声が再び聞こえ始めた。

 マリアはおもちゃのトランシーバーから聞こえる自分の声を聞いて微笑(ほほえ)んだ。

おもちゃの超空間通信機ができたからだ。

金属缶の中のトランシーバーはルテチウム・ローレンシウム合金棒を通してアンテナとアースを7次元位相空間に出している。

缶の中のトランシーバーがアンテナとアース間の電位を振動させれば電波が発し、その電波は7次元位相界にある合金棒のアンテナとアースの間でも発射される。

その電波をマリアの持つトランシーバーは合金棒のアンテナとアースを通して7次元位相界から電波を拾ってマリアの声を伝えた。

 マリアの作ったおもちゃの『超空間通信機』の方式が何光年の距離を短時間で通信できるのかどうかは分からなかった。

しかしながら、その超空間通信機は金属箱で密閉された空間から通信することができた。

それは電波が通らない深い土中からも通信できる可能性を持つことを意味する。

それは通信機の革命をもたらす。

通常電波の通信機よりもX線通信機よりも周囲の状況に左右されない通信機だ。

 だが、ホムスク人は超空間通信機を通常の通信には使わなかった。

超空間通信機には欠点があったのかもしれない。

マリアはみんなが超空間通信機を使うようになった場合を想像した。

大宇宙の色々な所から超空間通信機の電波が入って来たとしたら、それは鬱陶(うっとう)しいことだろう。

超空間通信機はあくまで非常の場合に使うべきだと考えたのかもしれない。

宇宙船の操縦室にある超空間通信機が「非常用高次連絡装置」と名前が付いていたのはそんな理由があったのかもしれない。

 マリアは立て続けに論文を出した。

最初の論文はルテチウム・ローレンシウム合金が半透明の単結晶を阻止できるという論文だった。

その論文ではルテチウム・ローレンシウム合金というこの世界に存在している金属は別の7次元位相界にまで存在していると言うことを主張した。

 次の論文はルテチウム・ローレンシウム合金が消えてしまった単結晶をも阻止できるという論文だった。

共鳴周波数の電場をあげることで消えてしまった結晶は電場が弱いうちは打ち出し軌跡通りに飛んだが、電場強度を上げていくと軌跡は大きく変わっていった。

論文では地球の重力は7次元位相界にも影響を及ぼすが、高次の位相界ではその影響は減少するのだろうと暗示した。

そしてルテチウム・ローレンシウム合金はそんな高次の7次元位相界にまで存在しているとしか結論できないと述べた。

 3報目の論文は「超空間通信装置の試作」という世間の耳目(じもく)を引きそうな題名だった。

通信機のアンテナとアースにルテチウム・ローレンシウム合金を使えば電波は電波遮蔽物を通過するという簡単な論文だった。

ルテチウム・ローレンシウム合金が7次元位相界まで存在しているとしたら電波は現世位相界とは異なる7次元超空間を通った可能性があると暗示した。

 これらの論文において共通するものはルテチウム・ローレンシウム合金であるが、マリアは合金の作り方を論文内では述べなかった。

論文の「材料と方法」には単に、「ルテチウム・ローレンシウム(1:1)合金(レスキューボール会社製)が用意された」と記載しただけだった。

論文とはそういうものだ。

レスキューボール会社製のルテチウム・ローレンシウム(1:1)合金を使えば論文の結果が導かれるからだ。

それらの論文はアクセプトされた。

 マリアは7次元位相界の深い位相にまで存在しているルテチウム・ローレンシウム合金の可能性を追求した。

マリアは静電場が存在場面の引き抜きをすることに着目し、ルテチウム・ローレンシウム合金を電極として静電場で囲まれた空間を作ってみたらどうなるかを見ようと思った。

現7次元位相空間でかけた電場が別の7次元位相空間にまでかかったらどうなるだろうかと思ったからだった。

超空間通信機では現世で出た電波が別の7次元位相空間を通ったのだから別の位相空間でも電場はかかるはずだった。

 マリアは2枚の四角の厚いダンボール板の4隅に穴を開けてルテチウム・ローレンシウム合金の棒を通し、合金に高電圧をかけた。

時計方向に++ーーの順に電圧をかけても目につく変化は生じなかったが、+ー+ーの順にかけると劇的な変化が起こった。

周囲の空気が小さな実験装置に向かって流れ込んで行ったのだ。

あたかも、4本の棒で囲まれた空間が真空になったようだった。

マリアは大急ぎで電源を切ると空気の流入は止まった。

 マリアは叫び出したい気持ちであったが、ちっぽけな4本の金属棒を愛(いと)おしげに眺めて微笑んだ。

4本の角柱で囲まれた空間の空気がない異次元に移動し、拡散することで実験室の空気が角柱空間に流れ込み続けたのだった。

4本の角柱で囲まれた空間に物体を置けば、その物体は異次元に移動することができるということだ。

4本の角柱は異次元への扉になったということだ。

そのまま実験を続けたら地球の空気は全て異次元に流れ込んでしまうかもしれなかった。

 ロケットの周囲に角柱の空間を作ればロケットは異次元に移動できる。

推進力のあるロケットはその空間を抜け出すことができるはずだ。

だが現世に戻ることができるのだろうか。

異次元では光があるかどうかは分からない。

角柱もみえないかもしれない。

それなら、ロケットに角柱を付けておいたらどうなるか。

まったく想像できない。

実験しなければ分からない。

そんな状況をマリアはワクワクしながら楽しんだ。

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