第66話 66、マリアのテニス

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 ホテルの早朝のロビーでマリアは地方新聞の1面の下隅にヘッドライトが切り取られた自動車の写真を見つけた。

マリアが切断した誘拐犯の自動車だった。

「ゼリーのように切られた自動車、路上に放置される」が記事の見出しだった。

マリアが記事を読んでいると一人の若者が近づいて来て言った。

 「マリア・ダルチンケービッヒさんでしょうか。」

「どなたでしょうか。」

「ジェームズ・ディーンと申します。」

「どちらのジェームズ・ディーンさんですか。」

「失礼しました。最初に言うべきでした。イギリス保安局のジェームズ・ディーンです。ロンドン、ミルバンク11番の軍事情報部第5課所属です。」

 「マリア・ダルチンケービッヒです。何でしょうか。」

「貴女を護衛せよと命じられました。原因は今お読みの新聞記事です。」

「どういうことでしょう。」

 「その自動車は以前から目をつけていた誘拐グループの車です。グループの一人を締め上げるとあっさりと白状しました。よほど怖い目に会ったのだと思います。鼻が無くなっていました。すぐにマリア・ダルチンケービッヒさんが被害者だと分かりました。今回はマリアさんが圧倒的に強くて事なきに至りましたが、もしも貴女に危害が及んでいたら大変でした。ロンドンは封鎖だけでは済まなくなるはずです。アクアサンク海底国のパスポートのコピーを見ました。あんな脅し文句が書かれているパスポートは初めてです。しかもビザ申請を受け付けなかっただけでロンドンは完全封鎖され、イギリスはそれに対してなす術(すべ)もありませんでした。上司は震え上がったのだと思います。それで私に貴女の護衛をするよう命じました。」

 「事情は分かりました。ジェームズ・ディーンさん。私は明日の午前にはカーディフ空港から出国する予定です。それまでボディーガードをよろしくお願いします。」

「マリアさんはお強いようですから遠くから護衛いたします。それにしても一瞬で5人の鼻が切り落とされたそうです。それにその写真のようにタイヤも車軸もボンネットも一瞬で切り取られたそうです。分子分解銃ですか。」

 「私は副業で探偵業をしております。日本のニンジャみたいものですね。お国で言えば007さんのようなものです。ジェームズボンドは色々な武器を使う事で有名です。貴方も007さんですか。」

「いいえ、僕はまだ新米です。それにMI5は国内向けの組織です。MI6とは違います。」

「そうですか。私が参加している会議は正午の昼食会で終わりになります。以後の行動は未定です。予定が決まったらお知らせします。それでよろしいですか。」

「OKです。」

マリアは電話番号が書かれたディーンの名刺を受け取った。

 二日目の会議は9時から始まり順調に進み、12時から昼食会が行われた。

マリアは昼食を欠席し、ホテルのロビーで午後の行動計画を思案した。

そんなマリアにジェームズ・ディーンが近づいて来て言った。

「学会は終わったのですか。」

 「いいえ、今は最後の昼食です。私は食べることができないので抜け出しました。昼食が終われば会議は終了です。後はポスターを外すだけです。今は午後の行動を思案しております。・・・ディーンさんはスポーツはお得意ですか。」

「一応できると思います。」

「テニスはどうですか。」

「できます。」

 「午後はテニスに付き合っていただけませんか。私はこれまでテニスをしたことがありません。」

「お相手します。」

「ありがとう。良かったわ。本当は拳銃の射撃練習をしたかったのですが、それは一人の時にできます。せっかくかっこいい男性がいるのですからテニスを学ぼうと思います。」

「僕もその方が楽しいですよ。予約しておきます。ラケットとウエアは借りることができると思います。」

「そしたら午後の2時からお願いします。」

「了解。」

 マリアは昼食会の終わり頃に会場に戻った。

主催者のハンニバル・ホプキンスはステージに上がり「第1回位相世界会議は成功裏に終わることができた」と参加者に感謝を述べて会議を閉じた。

参加者は自分のポスターのところに行ってポスターを剥がし始めた。

 隣のポール・ニューマンはポスターを素早く剥がし終えてマリアに言った。

「マリアさん、僕はマリアさんと知り合えてとても幸せだ。」

「私もポールさんと知り合えて良かったと思っております。」

マリアが答えた。

 その時、ハンニバル・ホプキンスが来て言った。

「ダルチンケービッヒさん、この会議に参加していただき、本当にありがとうございます。今日はここにお泊まりですか。」

「はい、明朝帰国する予定です。」

「午後の予定はおありですか。」

「はい、午後はテニスをする予定です。」

「そうでしたか。またお目にかかりたいものです。」

「本当に意義深い会議でした。ありがとうございます。」

マリアは言質(げんち)を与えないで答えた。

ポール・ニューマンはその意味が分かったようだった。

 マリアはジェームズ・ディーンとテニスを始めた。

ニューポートの8月は最高の気温でも20℃程度だ。

マリアはテニスシューズとラケットを借り、スラックスとブラウスの姿だった。

ジェームズ・ディーンはしっかりと新品の半ズボンと半袖シャツの姿だった。

急遽、購入したのだろう。

 マリアとジェームズ・ディーンは最初からラリーを始めた。

最初のラリーは幼児と大人のラリーのようだったが、マリアがラケット面の角度とラケット面の中心で球を打つことを覚えると二人のテニスは初心者の大人同士のラリーになっていった。

マリアは疲れを知らず、どんな球でもラケットの中心でボールを返し、確実に相手コートに球を戻した。

 30分もラリーを続けると、さすがのジェームズ・ディーンもマリアの球を手で受け止めて休憩を申し入れた。

「ダルチンケービッヒさん、少し休みませんか。少しバテ気味です。」

「申し訳ありません。興奮して気がつきませんでした。少し休みましょう。」

二人はコート横のパラソル付きのベンチに座って休んだ。

 ジェームズ・ディーンが言った。

「ダルチンケービッヒさんが完全な初心者であることは分かりました。でもどんどん上達しています。今はボールを回転させない球で返しています。今度は球に回転を与える打ち方を学んで下さい。基本はラケット面を斜めにして打つことです。ラケット面が斜めだからって反射の角度を考える必要はほとんどありません。球はラケットの振った方向に飛びます。」

「分かりました。マリアと呼んで下さい。ダルチンケービッヒは長すぎます。」

「そうですね、マリアさん。ジェームズと呼んで下さい。」

「了解、ジェームズさん。」

 次の20分間のラリーでマリアは色々な回転の球を打ち返すことができるようになった。

「マリアさんの上達速度は驚異的ですね。」

ジェームズはベンチでマリアに言った。

「ありがとうがざいます。なんとなくコツが掴めたようです。」

「今度は僕の方から回転をかけた球を返します。球の軌跡や着地後の動きは色々と変化します。それを知ってください。でも打ち方は基本的には同じです。球は振ったラケットの方向に飛びます。」

「了解。ジェームズさん。」

 次の15分間のラリーはテニス経験者同士の普通のラリーとなった。

休憩後、ジェームズはマリアにサーブを教えた。

そして驚いた。

マリアのサーブは狙った位置に正確に打ち込まれ、そのスピードは非常に早かった。

 ジェームズはあきれたようにマリアに言った。

「マリアさん、マリアさんのサーブはおそらく世界のトッププレイヤーでもなかなか打てません。もちろん僕には打てません。マリアさんは人間と試合をする時にはもう少し力を抜いた方がいいと思います。だいたいマリアさんのラケットは見えません。打たれた球も見えません。」

「了解しました。サーブでは力を抜くことにします。これでようやく試合ができるようになりましたね。」

 二人は3ゲーム試合をした。

マリアは最初のゲームでは負けたが後の2ゲームではマリアが勝った。

禁断のサーブを時々出したからだった。

二人がベンチで休んでいるとコートの入り口からポール・ニューマンが入って来てマリアたちのベンチに来た。

 「マリアさん、こんにちわ。マリアさんのテニスを見たくて外から見ていました。」

「あらっ、ポールさん。今日お帰りではなかったのですか。」

「まだ時間があるんで、帰る前にマリアさんのテニスを見ようとここに来ました。最初のマリアさんのテニスを見てそのまま帰国するつもりでしたがマリアさんのサーブを見て気が変わりました。今夜はニューポートのどこかのホテルに泊まります。僕と試合をしてくれませんか。僕はアメリカのアマチュアテニスのチャンピオンの一人です。あのサーブをどうしても受けてみたいと思います。」

 「でも私は今日初めてテニスをした初心者ですよ。アメリカチャンピオンの相手をしたら申し訳ないと思います。」

「そんなことはありません。友達同士のテニスです。お願いします、マリアさん。」

「了解。お相手します。」

「ありがたい。10分ほど待っていてください。シューズとラケットを借りて来ます。」

そう言ってポール・ニューマンは駆け足でコートから出て行った。

 「あの方はどういう方ですか。」

ジェームズ・ディーンが聞いた。

「私の隣で発表していた方でアメリカのMITの研究者です。ポール・ニューマンさんて言うの。」

「MITの研究者でアメリカチャンピオンですか。怪物的ですね。」

「そうですね。」

 マリアとポール・ニューマンの試合はマリアのサーブから始まった。

「マリアさん、最初から全力のサーブでお願いします。」

「全力を出したらラケットは曲がってしまいます。さっきのサーブでいいですか。」

「OK。どうぞ。」

 驚いたことにマリアの見えないサーブをポールは遅れ気味だがスライスで打ち返した。

バック側に戻って来たボールはエンドラインを越えた(1ー0)。

マリアの次のサーブもポールは打ち返したが振り遅れて今度はサイドラインを越えた(2ー0)。

 3回目のサーブはコートに戻った。

マリアはポールのいない側に打ち込んだがポールは球に追いつき、マリアのいない側のサイドラインとベースラインの角に返した。

マリアは目に見えないほどの速さで動き、回り込んで打ち返したがポールはマリアのコースが分かっていたようにネットに着きネットとほとんど平行に打った。

 普通ならこれで決まっていた打球ではあったが、マリアは隣のコートまで入って打ち返した。

球はポールのコートには戻ったがネットの上を越えていなかった(2ー1)。

4回目のサーブではマリアは少し強めに打った。

ポールは球のコースには追いついたが球は通り過ぎていた(3ー1)。

5回目のサーブも同じだった(4ー1)。

 「マリアさん、凄いサーブだ。さっきより早い。」

「負けるのがいやだったから少し力を入れたの。ラケットが壊れなくて良かったわ。」

「今度は僕のサーブだ。秘技を出すからね。」

「OK。」

 ポールの最初のサーブは強烈なスライスサーブでサービスライン上に落ちた球はバウンドしないでコートを滑った。

マリアは球をラケット面で打つことができなかった(1ー0)。

ポールの2回目のサーブはネット近くのサイドライン近くに落ちる球だった。

それでもマリアは球に追いつき打ち返したが、打ち返すコースは決まっていた。

ポールはネットに沿って上がってくる球をスマッシュした(2ー0)。

 ポールの3回目のサーブは渾身のフラットサーブだった。

ポールの身長は180㎝ほどだったがジャンプして打点を高めれば打点からはサービスコートが見えるから高速のフラットサーブが打てる。

サービスコートが見えるようになる高さは280㎝だ。

180㎝の身長の人間の打点の高さはおよそ272㎝だから10㎝ジャンプして打てばたとえ光の速度のボールでもサービスコートに入る。

160㎝以下のマリアの打点は244㎝だから40㎝以上のジャンプが必要なことになる。

テニスは背の高い人間に有利なゲームだ。

 マリアはポールの高速サーブをベースライン近くに打ち返した。

その頃にはマリアはベースライン近くにボールを落とせば相手の返球に全て対応できることが分かっていた。

マリアはポールからの返球をことごとくベースライン付近に落とした。

ポールは左右に早いボールを打ち分けマリアを振ったが疲れを知らないマリアは常にフォアの位置にいてボールを待っていた。

ポールは根負けしてネットにボールをかけてしまった(2ー1)。

 ポールの4回目のサーブは最初のサーブと同じスライスサーブだったが少しだけ横回転が入っていたようでボールはコートを這うと同時にカーブした。

マリアはラケットの面を合わせることができず、ネットにかけた(3ー1)。

 ポールは5回目のサーブをする前にマリアに言った。

「マリアさん、次のサーブは秘技中の秘技だ。うまくいったら絶対に返せない。ネットの近くで待ってて。」

「待ってるわ。」

 ポールはしばらく空を見ていたが、ボールをトスしてからボールの下を打ってほとんど真上に打ち上げた。

球は20mほど高くに上がり、放物線を描いて落下して来たがボールの回転のために途中から曲がって垂直に落下して来た。

ボールはネットの10㎝の位置に落下し、バウンドしてネットにかかりコートに転げ落ちた(4ー1)。

マリアは打ち返すことができなかった。

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