第65話 65、会議の晩餐会
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1日目の口頭発表が終わると発表者全員は晩餐会準備のために会場から夕暮れの中庭に追い出された。
この会議の会場設定は面白かった。
会場は4角形の大きなホールだけで、正面には演壇があるステージがあり、フロアーには4個の大きなテーブルがあり、各テーブルには8脚の椅子が発表の順番の番号が立てられた小箱の位置に置かれていた。
発表者の場所があらかじめ決められているのだ。
両側の壁には投光器に照らされた各15枚のポスターが貼られたパネルが並んでいる。
発表者は自分の場所に座って口頭発表を聴き、順番が来れば演壇に上がって発表する。
テーブル上の小箱にはヘッドフォンが繋がれており、聴衆はそれで口演を聴く。
スピーカーが使われるのは座長の発言の時と質問者が質問する時と発表者が質問に答える時だけだ。
そんな設定だから顔と名前が互いにすぐに分かるし、発表中にもポスターを見ることができる。
20分間ほどで中庭の参加者はホールに呼び戻された。
ホールのテーブルには白いクロスがかけられ、テーブルの中央には黄色の1輪のラッパ水仙が活けこまれた花瓶が置かれていた。
全てのテーブルは同じ花の一輪ざしだった。
ラッパ水仙はウェールズの国花だ。
普通のラッパ水仙の開花時期は4月だから8月半ばのラッパ水仙は厳しく制御された環境で育てられたに違いなかった。
マリアの発表順番は7番目だったのでステージの演壇側だった。
そのテーブルには隅のマイクのある近くに主催者のハンニバル・ホプキンスが加わり、マリアは6番目の発表者のポール・ニューマンとハンニバル・ホプキンスの間に座ることになった。
マリアの位置はちょうど演壇を背にする位置になった。
それは主催者の周到な準備の一部かもしれなかった。
ハンニバル・ホプキンスの挨拶から「ささやかな晩餐会」が始まった。
出された食事は確かに「ささやか」らしく、ウェールズの家庭料理のようだった。
食べることができないマリアは料理には手をつけず、次の料理が運ばれた時にそれまでの料理を下げてもらった。
そして10分間ほど経つと席を立って壁のポスターを見始めた。
マリアは会議の予稿集の発表内容を記憶していたのでポスターを一瞥して予稿集と違いがなことを確かめて次のポスターに移って行った。
25番目のポスター内容はまだ口頭発表なされていないものだったがマリアは興味を持った。
「高次電磁波の通信手段の可能性」という題名だった。
マリアがそのポスターの前で立ち止まって内容を見ていると中年の男性が近づいて来て言った。
「興味を持たれましたか。発表者のビクトル・ガルシアです。」
「マリア・ダルチンケービッヒです。興味深い研究内容だと思います。どうしてこの研究を始められたのでしょうか。」
「まだ行ったことはありませんが僕のルーツはペルー人だったようです。言い伝えでは大昔にはチチカカ湖の底の神様と話ができたそうです。それで水中と通話できる通信機を作ろうと研究を始めました。」
それを聞いてマリアは視覚を紫外線に切り替えた。
ビクトル・ガルシアにはオーラがなかった。
ホムスク人の末裔かもしれなかった。
「そうでしたか。大昔にはそんな通信機があったのかもしれませんね。お考えの搬送波は何ですか。」
「それがなかなか決められないんですよ。水中と交信するのは今は超長波ですが限界があります。僕は逆にもっと短い波長を使おうと思っているのです。でも可視光や紫外光は水中では減衰が激しいし、どうしようかと思っているのです。」
「良い方向だと思います。私が知っている異星人の宇宙船の通信手段は二つで、一つは超空間通信で、もう一つはX線通信です。後者は水中はおろか地中とも通信が可能でした。変調方法は周波数変調です。」
「X線が搬送波ですか。そこまでは考えなかった。そんなことができるんですね。」
「できるはずです。」
「ありがとうございます。僕が生きている間にできるかどうかは分かりませんが下地は作っておこうと思います。あのー、宇宙船ってダルチンケービッヒさんが火星に日帰り旅行した宇宙船ですか。」
「そうです。15万年以上前の宇宙船ですが、信じられないような色々な装置がありました。X線通信機はそれらと比べればずっと日常的な通信機です。」
その頃には二人の周りには近くのテーブルに座っていた人が集まって来ていた。
「超空間通信機」とか「X線通信機」などという聞きなれない単語が二人の間で交わされていたからだったのだろう。
「超空間通信機というのはどんなものでした。電波より早いものと言われているタキオンとかニュートリノとかを使っていましたか。」
「私が見た超空間通信機は操縦席にある通信機の筐体だけです。どんな機構で働くのかはわかりません。でもX線も含めた普通の電磁波を使っているように感じました。」
「でもそれでは電波が届くのに時間がかかるのではないですか。」
「時間がかかってもいいのだと思います。電波が通る空間の時間が早ければいいはずです。例えば地球の1秒がその空間の10万年だったとしたら地球の1秒間で電波は10万光年進むことになります。ですからアンテナをそんな位相空間に出しておけば銀河系の端から端まで1秒の遅延で通信できます。」
「その電波が通る世界はダルチンケービッヒさんが今日発表なされた7次元位相界ですか。」
「そうです。」
「そんな世界への扉をダルチンケービッヒさんは開いたのですね。」
「ほんの少しだけ開いただけです。」
「そんな世界に入れたらいいですね。ダルチンケービッヒさんの発表で出てきた6次元並行世界や過去や未来世界にも行けるかもしれません。」
「そうですね。でも、ほどほどにしないと神様に叱られるかもしれません。」
「神様にですか。どうしてですか。」
「過去から食料やお金を持って現在に戻ってくれば便利ですね。でもそのたびに世界が一つずつ増えていきます。7次元時空界には多数の並行世界ができることになります。新しい世界の構築は乱雑さの逆の還元事象ですね。ですから大宇宙の膨張という乱雑さの増加では追いつかなくなるかもしれません。」
「そしたらビッグクランチだ。」
二人を囲んでいた研究者の一人が叫んだ。
マリアはその研究者の方を向いて言った。
「そうですね。ビッグクランチは単に宇宙が収縮するというだけではなく還元事象の象徴である恒星や惑星を原子や素粒子に、あるいはエネルギーの形に変えて大宇宙の外側から起こって行くのかもしれません。」
「僕もそう思う。まさにビッグバンの反対の過程だ。」
別の研究者が言った。
「ということは大宇宙は平行世界も含んでいるということだな。並行世界からも宇宙の星々が見えるのだろうか。」
また別の研究者が言った。
「過去に行って夜空を見れば星が見えるだろうから見えるのだろうな。それより、2つの平行世界から同じ恒星にロケットで行ったらどうなるんだ。」
「分からん。」
マリアはビクトル・ガルシアに頭を下げて挨拶してから白熱した議論の輪から抜け出して自分の席に戻った。
隣のハンニバル・ホプキンスが言った。
「白熱した議論が続いていますね。何が起こったのですか。」
「宇宙船にあったX線通信機と超空間通信機の話から次第に6次元平行世界の話になり、エントロピー増加の供給元である大宇宙の膨張は新しい世界の増加で追いつかなくなって破綻し、ビッグクランチになるだろうという話になりました。」
「素晴らしい展開ですね。僕の望んでいた幅広い議論が起きました。それもみんなダルチンケービッヒさんが示した7次元時空界の仮説が土台にあるからです。」
「私も仮説の至らない部分を発見しました。「6次元並行世界では星が見えるのか」という問題です。当然、星は見えるはずですが同じ星にロケットで向かったらどうなるだろうかという問題です。それらの並行世界は空間的にはどこかで融合しているのかもしれません。」
「そうですね、1日前の過去に行って生じた並行世界と10万年前の過去に行って生じた並行世界が同じであるはずはありません。1日前の過去に行っただけで大宇宙全体が一つ増えるとは思えません。」
「私もそう思いました。」
隣のポール・ニューマンが言った。
「みんなマリアさんの宇宙船のことを知りたがっている。ぼくもそうだ。日帰り火星旅行のことをみんなに話してもらえないだろうか。」
「いいけど・・・。」
「決まった。」
ポール・ニューマンは大声で叫んだ。
「会場の皆さーん、・・・マリアさんが日帰り火星旅行の話をします。聞きたい方はここに集まってください。」
向こうのパネルの前に集まっていた人たちがマリアの座っているテーブルを囲んだ。
マリアはポール・ニューマンに語るように話し始めた。
「あの夜、宇宙船の人工頭脳とワープ航法について話をしているうちに火星まで宇宙旅行をしようと言うことになりました。2時間あれば往復できるということでした。加速のことを問題にしましたが大丈夫ということでした。後部ディスプレイの地球はどんどん小さくなるのですが加速感はありませんでした。加速につれて中性子塊を宇宙船の前部に移動させて加速度を中和していたのです。宇宙船の前には美しい紫色の細い帯が伸びて宇宙船はその帯に乗って進みました。紫の帯は時間を早めた水素原子からの発光で、水素原子は宇宙船の外壁内に着いたサイクロトロンエンジンから放出されたものでした。ワープと同じように時間を早めた原子は元に戻る過程で周囲の物を引き寄せるので宇宙船はそれらに引き寄せられて進むのです。宇宙船の燃料は中性子塊です。中性子から核融合で使う原子を作り、核融合炉で電気エネルギーを得、生じた水素原子の時間を早めて宇宙船の外に放出して推力を得ます。ワープ遷移は太陽系内ではできないそうです。大量の時間を早めた水素原子を放出すればその水素原子は遠くの存在場面を引き寄せることで時空は曲がり、宇宙船はその存在場面に乗って遠距離に遷移します。ですから周囲に惑星がある星系内でワープをしようとすると惑星に衝突してしまうからです。火星基地には円盤型の搭載艇で降りました。巨大な宇宙船で降りたら驚くと思ったからです。通常、宇宙船の通信にはX線無線機が使われますが、宇宙船には未開の野蛮人用に通常電波の通信機もありました。火星基地と連絡はそれで行いました。私とロボットは宇宙服なしで火星の地表に出ることができました。微小隕石が地表に届かない火星はロボットにとっては便利な環境です。火星基地で記念写真を撮りました。ニュースに載ったのはその時の写真です。帰りも1時間で地球に戻り、私は大学にいつもの通りに行くことができました。」
ハンニバル・ホプキンスが言った。
「ダルチンケービッヒさんのお話の中では宇宙人の話が出て来ませんでした。宇宙船には居なかったのですか。」
「おりません。あの宇宙船は溶岩に埋まって固まった状態から掘り出したものです。15万年前から埋まっていました。宇宙人は15万年前に死に絶えたそうです。私が恐れを抱いたのは宇宙人の故郷の星のことを聞いた時です。そこでは惑星全体が一つの言語を使っており、1億年以上繁栄を続けていたそうです。1億年の科学知識の蓄積で大宇宙を自由に飛べる宇宙船が造られ、何隻も大宇宙に放たれたそうです。それが15万年以上前の話です。今ではもっと優れた宇宙船ができていると思います。」
「我々は無知な野蛮人なんですね。何か惨めな気持ちになります。」
「私もそれを知った時はガックリしました。」
「我々はどうすればいいと思いますか。」
「宇宙船を作って宇宙に出るべきだと思います。たとえ航続距離が数光年と小さくてもです。私を作ったイスマイル様は「地球人は砂漠のオアシス湖畔のカエル」だと言いました。灼熱の砂漠に出ることができないからです。4輪駆動車でオアシスに来た宇宙人が砂漠に出ることができたカエル人間を見て勇敢で知的な仲間だと思ってくれることを願うだけです。」
「今の話の宇宙船でも十分に素晴らしい宇宙船だと思いますが、それよりも優れた宇宙船とはどんな宇宙船なのでしょうか。」
「あの宇宙船には少なくとも二つの重大な欠陥があるのです。一つ目はワープ航法が危険だからです。数光年のワープは問題ないと思いますが、数万光年のワープでは恒星と衝突してしまう危険性があります。数万年経てば恒星の位置も変化するからです。それと遠距離のワープでは乗員は非常な苦痛を感じるそうです。ですからワープ遷移の時には必ず後ろにロボットが立っているそうです。死ぬこともあるそうです。ですからそんな危険を回避するには7次元位相界を使うようになると思います。障害物があっても通り過ぎてしまうことができますから。でもそんな航法はさらに大きな危機をもたらす可能性があると思います。」
「どんな危機ですか。」
「7次元位相界に自由に出入りできる技術を持てば過去や未来に行くことができるようになると思います。そうすると並行世界の数は飛躍的に増大し、先ほどの議論に出て来たように大宇宙はビッグクランチを起こしてしまうと思われます。」
「自業自得ですな。」
「我々もあっという間に素粒子に分解されてしまうのでしょうね。苦痛を感じる暇もなく。」
「そう考えると今の宇宙船は大宇宙に優しい宇宙船なのですね。」
「そう思います。」
夜の9時になるとささやかな晩餐会は終わった。
参加者は部屋に戻り、マリアはホテルの塔の屋根に座って星空を一晩中眺めた。
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