第10話 10、マリアの構想

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 その日、マリアは相物性講座の実験室を馬場馬之助教授の案内で見せてもらった。

上坂大地も一緒に見た。

これまで教室にある測定装置の説明は誰もしてくれなかったからだ。

教授と事務員だけの教室だから無理もない。

 一通りの説明が終わるとマリアが感心したように言った。

「いろいろな測定装置があるのですね。」

教授は嬉しそうに言った。

「私の商売道具です。どうですか、構想が湧き上がりましたか。」

 「とんでもありません。私は完全な素人(しろうと)ですから。これから勉強をする予定です。でも研究するなら自分に関係した物を研究したいと思います。」

「マリアさんに関係するものならどれも最先端ですよ。いや、最先端以上かな。」

「今の私の素人考えですが、私はこの研究室にある厳密そうな質量測定機に興味を持ちました。」

「どのようなことでしょうか。」

 「私はイスマイル様の研究論文は全て覚えております。その中でも時間が加速度を生み出すことに興味を持ちました。実際、私は地球の重力加速度に対抗して浮き上がることができるからです。」

「すみません。まだよく分かりません。」

「電子の時間が変わることによって加速度を生み出すと言うことはその電子を含む原子は巨大な質量に相当する物性をどこかに潜めて持っていることになるはずです。そんな原子を打ち出ことができれば打ち出した装置は巨大な加速度を得ることができるのではないかと想像しました。」

 「理解できました。恒星間飛行ですね。地球で作るロケットは物を打ち出してその反作用で真空中を進むことができます。どんな方法で物体を打ち出しても、例え光速近くで打ち出せたとしてもネックは打ち出す物の量です。ロケットは打ち出す物を最初から持っていなくてはなりません。宇宙空間には打ち出す物はありませんから。だから地球を出発するロケットは大質量になってしまいます。もし水素原子やヘリウム原子に大質量を与えることができればロケットは軽く小さな機体にすることができます。宇宙空間を高速で飛行すればそんな原子を拾うことさえもできます。恒星間飛行が可能となります。地球上でそんなエンジンを使えばとんでもない高性能の飛行機ができます。惑星規模の質量を内在させる一個の小型原子を打ち出すエンジンですよ。」

「まだ素人考えです。」

 「とんでもない。素人は時間と加速度と質量の関係を関連付けないと思います。」

「現在、物質の質量という物性はどんな状態でも変わらないと考えられております。もちろんエネルギー・質量保存法則がありますから質量はエネルギーに変えることができます。それでも質量という物体の物性は変わることがないと考えられておりました。でも重力遮断ができたということは質量という物性も変わる可能性を示しております。これに関してイスマイル様のお友達は『時間・エネルギー・質量保存法則』を提唱しております。私は時間を変えた物質の質量と言う物性はそれまでとは違うのだろうと思っただけです。この研究室ではそれを実証できると思っただけです。」

「すばらしい。マリアさん、素晴らしい発想ですよ。物質の時間状況を変えれば変わるはずがないと思われていた質量という物理量を変えることができるということです。『相物性講座』というこの研究室の名前の通りの研究テーマですよ。」

「もう少し勉強してから研究テーマを決めようと思います。」

「ワクワクしますね。」

 マリアはマンションに戻ると文字通り寝食を取らないで勉強を始めた。

マリアは直ぐに恒星間旅行は実際上不可能であることを地球にある物理学が指摘していることを知った。

既存の物理学では例え光速度でロケットを進めることができても自在な恒星間飛行は不可能だと指摘していた。

 マリアはそれでも疑問を持った。

イスマイル様はUFOの存在を信じ、それに対応するため強力な人工衛星を打ち上げておられ、多くのロボット兵士が現在もそれを守っている。

イスマイル様は地球外生物が地球に居ると信じておられる。

 そんな生物が地球に居るからこそ昔から諸所でUFOが観測されていたはずだ。

そんな生物は大宇宙を越えて地球に来ているはずだ。

そんな生物は恒星間飛行ができたはずだ。

すなわち、恒星間飛行は可能なはずだ。

もちろん、何故宇宙人は地球にいつまでも留まっているのかは分からなかった。

その日、マリアは日課としていた夜の正義の味方行動を中止した。

 翌日、マリアは徒歩で馬場教室に行った。

タワーマンションから東京大学までは徒歩で通える距離だ。

マリアはベージュ色のスラックスに白色に近いブラウスを着、ヒールのそれほど高くないパンプスを履き、肩を超える先端がカールした黒髪にスラックスと同系のベージュのベレー帽を被っていた。

肩にはシークレットが持っていたような柔らかそうな鞣(なめ)し革のポシェットが下がっていた。

 教室に着くとマリアは最初に馬場教授の部屋に行って挨拶した。

「おはようございます、先生。今日からお邪魔いたします。」

「おはよう、よく来てくれました。上坂君は昨日夕方まで部屋の片付けをしていたようだった。おそらく住むことができるようになっているはずです。必要なものがあったら大学の購買部で買ってください。ここの講座の名前を言えばお金を払わずに自由に買うことができます。渡される伝票をもらって岡田さんに渡してください。パソコンのような購買部で購入できない大型の物はカタログを岡田さんに渡してください。岡田さんが注文します。」

「了解しました。」

 マリアは教授室の隣の上坂大地の居室に行った。

ノックはしなかった。

ドアは左側の内開きで、ドアを開けると上坂の後ろ半身が本箱の衝立に隠れて見えるようになっていた。

部屋は普通の部屋のように見えた。

昨日まではどんな部屋になっていたのかマリアには想像できなかった。

「おはようございます、上坂さん。」

 アリアは椅子を後ろに下げてマリアの方を見た上坂に挨拶した。

「あっ、おはよう。マリアさん。」

「上坂さんは昨日この部屋をお掃除してくれたそうですね。」

「まあ、女性が住む部屋ではなかったからね。マリアさんの机は部屋の右側だよ。一応僕の机と書棚を挟んで迎え合わせにしておいた。窓は奥だからマリアさんの向きでは手暗がりになってしまう。だからマリアさんの机は窓が左になるような壁向きがいいのかもしれない。でもそれはマリアさんが決めればいいことだと思ってそのままにしておいた。」

「ありがと。気を使わせてしまったわね。このままでいいわ。」

 「マリアさんの今日の予定は。」

「とりあえず、ここでの居場所を作ることにするわ。街に出てパソコンと周辺機器を買ってくる。まずは馬場先生の論文を読まなくてはね。上坂さんは何をするの。」

「僕は昨日先生が言ったことをよく考えているよ。」

「何を言われたの。」

 「マリアさんが帰った後、先生に僕のテーマは漠然としすぎて何をしていいのか分からないって言ったんだ。」

「そしたら先生は何ておっしゃったの。」

「馬場先生は僕がそう言ってくるのを待っていたらしい。『そうか、じゃあもう少し具体的なテーマにしようか』っておっしゃったんだ。」

「よかったわね。それで具体的なテーマって何。」

「新しいテーマは『紫外線で励起された単結晶の変形に関する研究』なんだって。これでも漠然としているよね。」

 「前よりずっと具体的よ。イスマイル様は重力遮断装置と分子分解砲をお作りになったわ。どちらの装置も結晶が問題になるの。重力遮断装置ではリチウム包摂カーボンナノチューブの単結晶が必要だわ。分子分解砲では私がよく知らない単結晶ロッドからガンマー線が発振されるの。ガンマー線は電磁波だけどそれに別の電磁波を重ねて変調する時に、どうも結晶ロッドに横から電磁波を当てているようなの。どちらも結晶が関係しているでしょ。私、イスマイル様の研究を知りたくて単結晶のいろいろな論文を読んだわ。単結晶って動くのよ。分子が並んでいて動きが拡大されるから分かりやすいのね。特に紫外線を当てると動くの。分子分解砲が紫外線変調されているのはそのせいかもしれないわね。紫外線は共有結合のエネルギー帯だから結晶分子を変化させやすいのね。細い結晶が紫外線を吸収して鉛玉を打ち出すこともできるのよ。」(著者注:その男の奥さんは美人だった)

 「そうか。要するにデタラメな方向の分子でできた物では分からなかった変化が単結晶にすることによって測定装置で測ることができるようになるんだ。」

「その通りよ。問題はどんな結晶を選ぶかね。でも世の中には結晶は数え切れないほどあるでしょ。上坂さんがどんな結晶を作って実験しても結果にはいわゆる『ノイエス、新知見』が含まれるから論文にすることができるの。馬場先生は何をしても論文になるテーマを上坂さんに与えてくださったのよ。」

「そうだったのか。」

「良かったわね。」

 「少し聞いてもいいかなあ。」

「なあに。」

「馬場先生は分かっているみたいだけど僕には昨日の話はちっとも分からなかった。『時間・エネルギー・質量保存法則』って何だい。高校と大学で教えてもらったのは『エネルギー・質量保存法則』だった。時間がどうして入って来たんだい。教えて欲しい。」

 「了解。まだ法則にはなっていないの。穴だらけ。まず人工衛星の時計は進み方が遅いと言う事実があるの。だから地球の周囲の時間の進行速度は一つではないの。時間の進行速度って言いにくいから時間速度って言うことにするわね。原子の電子は核の周りを回っているの。核がプラスで電子がマイナスでしょ。どうして電子は核と合わないだろうって疑問が出るわね。でもそんなモデルを作ったパウリっていう偉い学者は理屈無しでそうなっているって言ってたの。実際には電子は核と合体しないわね。その理屈を量子力学ではドブロイ波みたいな考えで説明していたの。でも電子が核の周りを回るとしたらきっと早く回るわね。そしたら遠心力は物凄く強いわね。そんな加速度場では電子の時間速度はすごく遅れるでしょ。すごく遅れたらどうなると思う。」

 「僕らの世界から見たら止まっているように見えるよ。」

「そうね。だから外から見ていても私たちの時間では電子は核と永遠に出会うことができないの。と言うことはこの世界は色々な時間速度を持つ物でできていることになるわね。だから時間には重層性があるとなるわね。」

「そこまでは分かった。」

 「ここまでは法則だったけど今度は理屈無しの原理が出てくるの。『世界は変わりたくない原理』よ。」

「何だい、それは。」

「平衡状態のルシャトリエの法則は知っているわね。」

「発熱反応なら熱をかければ平衡は元に帰ろうとする法則だ。圧力が増加する反応も圧力をかければ元に帰ろうとする。」

「そうね。レンツの法則も知っているわね。」

「磁石をコイルに差し込むとその動きに反発するようにコイルに電流が流れる法則だ。」

「どちらも変化を嫌うように反応するでしょ。」

「そうか。どちらも世界は変わりたくないように反応することになる。世界は保守主義なんだ。」

 「分子に加速度変化が起こった時に分子はどうすると思う。」

「その加速度に反発するようにしたいと思うだろうけど、どうにもできないだろ。加速度なんだから。」

「イスマイル様はね、加速度に対して原子は固有の加速度を内蔵していると考えたの。」

「そうか、電子の遠心加速度だ。」

「加速度の方向は分からないけど電子の遠心加速度を小さくすることで外からの加速度変化に反発するようになると考えたの。電子の加速度を外からの加速度に向けたのね。電子の遠心加速度を遅くしたら電子の時間速度は速くなるでしょ。」

 「そんなにうまく行くのかね。」

「イスマイル様は小さな重力遮断結晶に大きな重力をかけると重力遮断結晶は重力遮断をしなくなり、重力遮断をしていたカーボンナノチューブ内のリチウムがヘリウムに変化したことを発見されたわ。なぜそうなったと思う。」

「うーむ。リチウムの電子の時間速度が速くなって核と合体したんだ。」

「そう、回っていた電子が核と合わさって、素早い色々な核変化が起こって予想通りの質量を持つヘリウム原子に変わったの。」

 「大発見じゃあないか。核変化だ。」

「イスマイル様はそれを知って大変お喜びになったそうよ。私の体の中の重力遮断パネルには注意書きが書かれているの。『過負荷をかけるとパネルの重力遮断能力は消える』って書いてあるらしいわ。だから私たちは重い物は持って飛ばないの。たくさんの重力遮断パネルを付けたアクアサンク海底国の戦闘機の重力遮断パネルは定期的に交換されているわ。」

 「何となく分かったような気になってきたけど、それとマリアさんが言っていた惑星規模の質量を内在している原子と言うのとはどういう関係があるんだい。」

「残念ながらそれはまだ説明できないの。重力を打ち消すのだから大きな質量相当の作用だ。だったら大きな質量と同じ作用をするはずだという願望ね。実際、今も私は重力を消しているのに私の質量はおそらく変わってないわ。だからその質量は具現されてはいないけど内在しているって言っているの。質量のポテンシャルエネルギーみたいものね。ポテンシャル質量かな。」

「だんだんワクワクしてくるね。そんな物質を実際に打ち出してみてどうなるかを知るわけだ。」

 「そうなの。楽しそうでしょ。」

「研究っておもしろいんだな。」

「世の中には色々な研究者がいるのでしょうが、中には純粋に知りたいと言うことが行動の動機になっている方もいるでしょうね。」

「そんなエンジンができるのだろうか。」

「分からないわ。実際にできたとしても論理付けるにはこの世界の時空に関しての認識を変える必要があるかもしれないわね。」

 「マリアさんはそんなことも考えているんだ。」

「私って暇でしょ。だから色々考えるの。」

「どんな風に考えているんだい。」

「まだ固(かた)まっていないわ。時間の速さの多重性は一般相対性理論の『場』で説明できるけど物が存在できる理屈が分からないの。」

 「だってあるからあるんだろ。」

「存在するためには時間が必要でしょ。存在するための時間と過去から現在に続いている時間とは違うような気がしているの。そうでなければ過去とか未来には行けないでしょ。一緒くたにはできないわ。」

「分かった。僕にはまだマリアさんの話についていけないことが分かった。もっと勉強するよ。」

「こんなことを考えるのは楽しいのよ。」

その日、マリアは街に出かけて買い物をした。

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