第9話 9、ロボット研究生
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マリアの日中は暇な時が多い。
悪者は夜に活発に活動しているのかもしれない。
マリアは時々マンション近くの東京大学の構内をオートバイでゆっくりと散歩する。
大学の構内はマリアに常に何らかの新しい情報を与えてくれる。
ある時、マリアが東大構内をオートバイで散歩していると後ろからクランクションの甲高い音が聞こえた。
バックミラーには一台のオートバイが映っていた。
マリアが振り返るとオートバイの運転手は左手を上げた。
マリアはオートバイを道路脇に寄せて止めると後ろのオートバイはマリアの横に止まった。
「ひょっとしてマリアさんじゃあないかい。上坂大地だよ。」
相手の運転手はヘルメットのバイザーを上げながら言った。
「まあ、お久しぶりね。」
マリアもミラーバイザーを上げて微笑んだ。
「外交官ナンバーを着けている大型バイクなんて滅多にないからね。それにライダーが女性っぽかったからマリアさんだと思ったんだ。散歩かい。」
「そう。お散歩。上坂さんは何をしているの。」
「気分転換に構内を走ろうと思った。同じくお散歩だね。それにしてもマリアさんのバイクは外交官ナンバーを着けているんだ。便利だね。」
「ちょっと失敗したわね。私のバイクには二つのナンバープレートが着いているの。後ろの小さな箱の中のナンバーは回転するようになっていて日本の国土交通省のナンバーと外務省のナンバーになるわけ。スパイみたいね。目立たないようにする時は国土交通省のナンバー。悪いことをするときは外務省のナンバーにするわけ。今日は国土交通省のナンバーに変えておくのを忘れたの。」
「そんなことをしても大丈夫なのかい。」
「外務省ナンバーではどのみち車検はないのだから大丈夫だと思う。それに国土交通省ナンバーの車検はまだまだ先よ。上坂さんもオートバイを買われたのですか。」
「うん、貯金をはたいてローンで買った。暫(しばら)く窮乏生活だ。少し勉学に励むよ。」
「相物性講座だったかしら。」
「よく覚えていたねえ。・・・どうだい。うちの講座に顔を出してみないか。大学の研究室の雰囲気が分かると思う。」
「そうね。お邪魔したいわ。でも皆さんに迷惑ではないかしら。」
「迷惑も何も。院生は僕だけだよ。4年生もいないんだ。うちの講座は人気がなかったらしい。」
「そんなことも調べないで入ったのですか。」
「4年生の時には別の講座にいたんだ。僕は少しズボラだからね。楽に研究できそうな講座に行って見たら誰もいなかったってわけさ。」
「大学の普通の研究室の雰囲気じゃあなくて特段に不人気な講座の雰囲気が分かりそうね。」
「ごもっとも。」
マリアは上坂の後に続いて理学部の二輪車駐車場にバイクを並んで止めた。
上坂のオートバイはマリアのオートバイと比べて風防のようなフロントカウルも付いておらず、ほとんど何も装飾品を装着していなかった。
「マリアさん、フロントカウルは分かるんだが後ろに付いている華々しい物は何のためなんだい。暴走族のバイクみたいだ。」
「へへっ。私って探偵でしょ。探偵は悪者に襲われる可能性があるの。これはその時の反撃用に着けたの。」
「これでどうやって反撃するのだい。」
「これは名目上には日本国の国旗とアクアサンク海底国の国旗を立てるための差し込み口よ。大使館のオートバイなんだから当然でしょ。国旗は重さ10㎏の重たい投げ槍に着いているの。投げ槍の材料は先端を焼入れした金てこ。私が投げれば強烈な武器になるの。」
「恐ろしい武器だね。マリアさんが投げればエンジンまで届くだろうね。」
「相手の車のホイールの隙間に入れればOKよ。それが一番簡単。」
「そうだろうね。」
二人は相物性講座のミーティングルームに行った。
ミーティングルームには女性の事務員一人が隅の机に向かって暇そうに外を眺めていた。
上坂大地はミーティング用の大きな机にヘルメットを置いて事務員に言った。
「岡田さん、僕の友達を連れてきました。ここで暫く話をしていいですか。僕のいる部屋は友達に見せるにはあまりに散らかっているんです。」
「そうでしょうね、上坂さんの部屋ではね。いいわ。紹介してね。」
「ありがとう。友達のマリア・ダルチンケービッヒさんです。マリアさん、この方は講座の事務員の岡田明美さんです。」
「よろしく。マリアと呼んでください。」
「よろしく。岡田です。外国の方ですか。」
「アクアサンク海底国のはぐれものです。上坂さんとはオートバイの教習所でいっしょでした。」
「まあ、オートバイで。それでそんな勇ましい姿をなさっているのですね。」
「必要な服装であり、勇ましい姿ではありません。制服と同じです。先ほどまでオートバイで走っておりました。」
「そうでした。どうぞごゆっくり。」
「ありがとうございます。・・・上坂さん。上坂さんの研究テーマは決まったのですか。」
マリアは自分のヘルメットを机に置いて椅子に座ってから言った。
「一応ね。『高エネルギー状態における物性』って言うテーマなんだけど、実際に何をしていいのか全く分からないんだ。」
「高エネルギー状態ですか。高エネルギーの意味が難(むつか)しいわね。色々な状態が考えられるから。電磁波による分子の励起状態も高エネルギー状態になるし、温度も圧力も分子を高エネルギー状態にさせることができる。物質が高エネルギーを得ればエネルギーを放出してより安定な物に変化する。元の物に戻るかあるいは別の新しい物に変化するわけ。要するに変化を起こす寸前の物の物性を研究すればいいのね。不安定平衡にある状態の物性を測ればいいんだわ。」
「なるほど。そう言うことか。どんな高エネルギー状態を研究したらいいんだろう。マリアさんは何か楽そうなアイデアはないかい。」
「それはこの講座が持っている測定機器に依存するわ。どんな高エネルギー状態にするのかは上坂さんが考えることよ。そうなった時に何が測定できるのかはこの講座にある測定機器によるわ。新しい測定機器を開発するのは時間がかかるわ。上坂さんは短い年限なんだからこの講座で測定できる物理量を測るしかないわね。」
「マリアさんってすごいね。すごく論理的だ。まずこの講座にある測定装置を調べることから始めることにするか。」
「それがいいわね。」
その時、部屋の開いていたドアから中年の男性が入ってきた。
「あっ、先生。友達を連れてきました。声が大きかったですか。」
「この部屋のドアは開いていたし僕の部屋のドアも開いていたからね。君たちの話し声が聞こえてきた。おもしろそうなお友達だね。僕にも紹介してくれないか。」
「はい、先生。ひと月前に友達になったマリア・ダルチンケービッヒさんです。マリアさん、この方はこの講座主任の馬場教授です。」
「まあっ。上坂さんの先生ですか。マリア・ダルチンケービッヒです。どうぞマリアと呼んでください。ダルチンケービッヒは発音が長いですから。」
「分かりました。馬場馬之助と申します。マリアさんはどこで学びましたか。お話をお聞きすると広く学んでいるように見えましたが。」
「どこでも学んではおりません。私は兵士でしたから。そこで学んだのは如何に早く敵を殺すか制圧するかだけでした。」
「兵士でしたか。お国はどこでしょう。」
「アクアサンク海底国です。」
「日本と安全保障条約を結んでいる正体不明の国ですな。重力遮断装置を発明し、分子分解砲を作り、公然の秘密の遺憾砲を再生してどこにも負けない独立国を創った不死のイスマイル・イルマズ氏の国ですね。」
「そうです。お詳しそうですね。」
「それはそうです。アクアサンク海底国の武器は想像を絶する武器ですから。・・・どの武器もおそらく高エネルギーを扱う武器です。僕の研究の興味と一致しております。マリアさんは兵士だったそうですが、それらの武器にはお詳しいのですか。」
「『詳しい』の意味が分かりません。私は現在でも重力遮断装置を装着しております。分子分解銃も市井に出る前までは装着しておりました。ですから使うことはできます。でも人間の兵士も同じでしょうが、優れた武器を使う兵士全員が武器の材質や原理などの詳細が分かるかと言えばそうではありません。それと遺憾砲はアクアサンク海底国と日本国の極秘兵器です。一介の兵士が近寄ることができるものではありません。」
「マリアさんは重力遮断装置を装着しているって言うのですか。分子分解砲も装着していたっておっしゃいました。マリアさんは本当に人間なのですか。あるいは一部を機械化したサイボークか何かですか。」
「いいえ、私はイスマイル様が造った人造人間です。生きた細胞はどこにもありません。アクアサンク海底国の兵士は全て人造人間です。私がロボットと言わないで人造人間と言ったのはアクアサンク海底国ではロボットに国民としての人権が与えられているからです。」
「信じられない。人間とそっくりです。顔の表情も豊かだし、何よりも知的です。」
「ありがとうございます。イスマイル様がお造りになった人工頭脳のアルゴリズムが優れていたのだと思います。」
上坂大地が口を挟んだ。
「先生、マリアさんは研究って人間だけができるものだろうかと言う疑問を持っております。ロボットって研究できないものなのでしょうか。マリアさんは普通に会話できるし記憶力もいいそうです。もしロボットが研究できなかったとしたらそれは何に起因するのかと考えております。」
「上坂くん、難しいことを聞くね。だが、先ほどの君たちの話しを聞いているとマリアさんは研究するに十分の能力を持っているような気がする。論理的だし、問題点を適切に炙(あぶ)り出している。君もそう思ったろ。」
「はい、まるで研究が良く分かった先輩のようでした。」
「マリアさん、失礼かもしれませんがマリアさんのお仕事は何ですか。」
「探偵紹介業です。東京都内の大多数の探偵社はお客が来ると我が社を通してくれます。そうすれば依頼者は5%の割引が得られるから得なのです。我社には契約金の1%のマージンが入ってきます。ですから我社は何もしなくても結構なお金が入ってきます。」
「それは美味(おい)しい仕組みですね。そんなサービスをする探偵社のメリットは何ですか。」
「想像ですが、探偵社に危険が生じたら探偵社はアクアサンク海底国に傭兵の依頼ができるかもしれないと思っているのかもしれません。アクアサンク海底国の傭兵は強いですから。大国の諜報機関など簡単に潰せます。」
「そうでしたね。アメリカ大統領を爆殺してもアメリカは何もできなかった。」
「恐れ入ります。」
「それならそれほどお忙しいわけではないのですね。どうでしょう。この講座の研究生になってみませんか。私もロボットが研究できるのかどうかを知りたいと思います。もちろん探偵業との兼業でも問題はありません。研究生の兼業はよくあることですから。」
「まあっ。よろしいのですか。面白そうですね。・・・研究させてください。お願いします。」
「了解。研究者が増えるのですからうちの教室としては何の不利益も生じません。それどころかマリアさんのような美人がこの教室に入れば学部の学生も大学院生ももっと入って来るかもしれません。」
「まあっ。まるで我社と契約を結んでいる探偵社の下心(したごころ)ようですね。」
「そういうことです。」
「私は眠ることはしません。食事も不要です。マリア探偵事務連絡所の探偵業はみなさんが眠っている真夜中にすることに致します。」
「それは良いことだと思います。僕の持論なんですが、研究者にとって日常の食事や睡眠や人付き合いは重要な物だと思っております。研究に行き詰まってしまった時、そんな日常の行動が転機を促す場合があることを経験から知っております。」
「上坂さんはそんな機会に恵まれていそうですね。」
「同感です。」
上坂大地は恐る恐る言った。
「先生、僕は遊びまわっていると言うことでしょうか。」
「そんなことは言っておらんよ。現に君はマリアさんと出会って今後の研究の目先が分かったんのだろ。まさに日常生活における転機だろ。」
「そうでした。」
マリアが言った。
「馬場先生、研究生としてこの講座に入るとして何らかの金員が必要でしょうか。」
「必要ありません。企業から研究員を入れる場合、企業は何らかの金員を適当な名目をつけて講座に入れます。でも実験助手としてこの講座に誰かを入れる場合には逆に僕が助手の給与を払わなければなりません。マリアさんの場合はそのどちらでもありません。僕はマリアさんに給与を払わないし、マリアさんはこの講座にお金を払う必要はありません。マリアさんの研究発表にはマリアさんがこの講座の所属であることを明記していただければそれだけで結構です。マリアさんがこの研究室の研究生になったことは僕の方から大学に連絡しておきます。それでよろしいですか。」
「了解しました。また私の肩書きが増えますね。」
「マリアさんは自動車免許証をお持ちですね。」
「はい。」
「それがあれば問題は生じません。免許証には住所も生年月日も記載されております。国籍はアクアサンク海底国でよろしいですね。」
「それで結構です。」
「マリアさんの部屋は上坂君の部屋と同じにしましょう。この教室には机と椅子だけは学部生の受け入れのために十分にあるんです。」
上坂大地が言った。
「部屋を片付けます。」
「女性が入っても大丈夫のようにね。」
「了解。」
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