第11話 11、オーラのない人間
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数日後、上坂大地がマリアに言った。
「マリアさん、次の日曜日の午前中の時間は取れるかい。」
「私はいつでも暇よ。なあに。」
「次の日曜日には恒例の新院生のソフトボール大会があるんだ。今年の化学科の相手は物理学科だ。僕はエースで4番バッター。マリアさんは出場できないと思うけど応援に来てくれないか。」
「そのソフトボールの大会は知っているわ。いいわ。応援しに行ってあげる。イスマイル様はそのソフトボールの試合で奥様と出会ったの。化学科と生物学科の試合。上坂さんは野球が上手なの。」
「僕はスポーツ万能だよ。小さい時から誰よりも速く動けるし、腕力も強い。どんなスポーツでもちょっと習えば素人には負けない。」
「そうだったわね。イスマイル様も奥様もロボットの私達くらい素早く動けたらしいわ。奥様は生物学科チームのピッチャーだったそうよ。イスマイル様は奥様の投げた球を全部ヒットにしたのですって。」
「それもカリオタイプと関係するのかい。」
「そうらしいわ。イスマイル様のお父様は外交官だったの。素早く動け、力は強く、写真のように記憶できる方だったそうよ。高校生の時に司法試験と公認会計士の試験を通り、東大の医学部を卒業してから外交官になったの。その後、ご自分のiPS細胞から人工脳を作って遺憾砲を作ったのよ。イスマイル様はお父様にはとても敵(かな)わないっておっしゃっていたそうよ。お父様はお爺様に造られた5倍体人間だったの。イスマイル様は4倍体。お父様の奥様は3倍体以上のカリオタイプを持っていてプロゴルファーだったの。ゴルフ大会で全コースを全て1打で回ったと言う信じられない偉業を持っている方。私の知っている限り、3倍体以上のカリオタイプを持っている人間はどこかが優れているって言えると思うわ。一般人から見れば異端の子ね。上坂さんもおそらくね。」
「そんな人と比較すると僕は遊びすぎたかもしれないな。」
「そんなことはないわ。イスマイル様は東大に留学生でいる時にダンスを始めたの。一生懸命練習したイスマイル様でも全国大会で優勝するまでに2年もかかったわ。上坂さんはこれからよ。」
「ありがとう。上には上があるってことだ。少し勉強することにする。」
「頑張ってね。」
「了解。」
次の日曜日、マリアは灰色の七分丈の上着に七分丈のスラックス、白の野球帽を長い黒髪の上に冠り、白の運動靴を履いて東大の野球場のネット裏に行った。
ネット裏にはテントが張られ、受付のテーブルの前で上坂大地が待っていた。
「マリアさん、ここだよ。」
「おはよう、上坂さん。少しだけ運動できる格好で来たわ。」
「その格好なら圧倒的に勝っていたら僕の替わりにピンチヒッターに出てもらうかもしれない。」
「まあっ。私にできるかしら。」
上坂は受付の同級生に言った。
「大榎、この女性が最近うちの講座の研究生になったマリアさんだ。一応、選手登録しておいてくれ。」
「了解。相物性はお前だけだと思ったが、とてつもない美人が入ったものだな。」
「そうだろう。少し羨(うらや)め。お前の講座は独身寮だからな。上から下まで男だろう。」
「不思議なことにそうなっている。俺がいるのにな。・・・マリアさんですか。上坂が前にいた有機第3講座の大榎です。よろしく。」
「こちらこそよろしく、大榎さん。」
「マリアさんは上坂みたいに怪物ですか。」
「えっ。・・・上坂さんは怪物なのですか。人間のように見えますが。」
「あいつは運動万能なんですよ。脳みそは優秀みたいなんだが遊んでばっかりいる。それでも卒業できた。怪物ってのは上坂のあだ名ですよ。」
「まあっ。・・・私は私のあだ名が付くまで待ちますわ。」
「了解。」
上坂大地は自分で言っていた通り4番でピッチャーだった。
相手チームのメンバーはそれなりに上手であったが上坂の巧みな投球でなかなか点に結びつけることができなかった。
化学科の攻撃の時に上坂はマリアを皆から少し離れたところにつれて行ってから言った。
「マリアさん、ライトを守っている男を見てくれないか。彼にはオーラが出ていないような気がする。今は野球帽を冠っているんでよく見えないんだが、さっき打席に入る前に帽子をとって挨拶した時に気がついた。彼はマリアさんと同じようにオーラを出していない。」
「それは変ね。分かったわ。次に打席に入った時に確かめてみる。」
「頼むよ。」
物理学科チームのライトのポジションを守る男は180㎝を超える身長を持った体格のいい男で運動能力もありそうな様子だった。
その男は他の男たちと違って打席に入る前に帽子を取って一礼していた。
一見すれば礼儀正しい行動のように見えた。
マリアはその男が帽子を取った時に素早く赤外、可視、紫外、X線、ガンマー線の領域で観察した。
赤外線観察では男の顔の体温は36度で人間と同じ。
可視光観察では男の姿は人間と同じ。
紫外線観測では確かに髪の毛の先端から深紫外線は発していない。
X線観測では通常通り世界は真っ暗だった。
ガンマー線観測では物の形は分かるが世界は灰色の世界になっていた。
マリアのようなロボットなら原子電池内での核変化により体の中心からガンマー線が検出されるはずだったが、その男にはそれはなかった。
その男はオーラを出していない事以外は完全に人間だった。
その男は上坂の速球をセンターの野手まで飛ばしアウトになった。
上坂がベンチに戻るとマリアは皆から少し離れた所で上坂に言った。
「あの男性はオーラを出していないわ。それ以外の外見は普通の人間よ。」
「了解。やはりそうだったか。変なやつだな。注意することにしよう。ところで化学科は圧勝パターンだ。この7回の裏を抑えればこの試合には勝てる。マリアさんは僕のピンチヒッターで出ないか。三人目だ。裏の守備は僕が出なくても何とかなるだろう。誰がピッチャーでも何とかなる。」
「ほんと。うれしいわ。あの男性の所に打ってみる。」
「えっ・・・了解。信じるよ。・・・おーい、大榎。僕の打席はピンチヒッターだ。マリアさんが打つ。」
「それはいいが、裏の守備のピッチャーは誰にしたらいいんだ。」
「だれでもいいさ。うちは圧倒的に勝ってる。」
「そうは言ってもな。・・・お前が決めてくれ。お前ならみんなの腕はわかるだろう。」
「OK。考えておくよ。」
化学科の前の二人は凡打に終わり、マリアの打席になった。
物理チームの投手はマリアを侮(あなど)り山なりの遅球を投げた。
マリアは一球目を見送り、二球目を正確にライトに向けて打った。
マリアはバットを振り下ろすようにボールの斜め上をたたいた。
ボールは縦長に少し変形し、一塁と二塁の間をライナーで通り抜けライトの定位置で立っていた男の真正面に向かった。
ライトはなかなか高度を下げない打球に疑問を持つべきであった。
ライトの男は真正面に向かって来たライナーを待っていたがボールの先を叩かれたボールは球速が落ちると共に上昇し、頭上を通り抜けようとした。
ライトの男は頭上を通り過ぎようとした球をジャンプして捕球した。
そのジャンプは普通の人間のジャンプを越して1mに達していた。
マリアはそれを見てにっこりした。
ライトの男は人間離れしていると確認したからだった。
7回の裏の守備でマリアは投手になった。
上坂の推薦があったからだが、その前のマリアのライトライナーを見たチームの皆は納得していた。
マリアはストライクしか投げなかった。
一人目には豪速球を2球投げた後、とてつもない山なりの遅球を投げた。
山なりの遅球は上から下に正確にストライクコースを取っていたので打たなかった打者は三振した。
二人目は遅球を投げてから豪速球を2球投げて三振させた。
三人目は最初の遅球を狙って打ったが、内野ゴロに終わった。
試合後、上坂とマリアはネット裏のテントの取り片付けを手伝った。
片付けの合間に上坂は物理学科のテントに行き片付けをしていた院生に言った。
「化学科の上坂だけどおたくのライトは上手だったな。どこの誰なんだい。」
「あいつか。今年から物性理論講座に入った会津魁斗(あいずかいと)って言うんだ。学生の時にはいなかった。」
「ふーん、そうか。運神は良さそうだな。」
「ガラも大きいがな。」
「サンキュー、何かの時には声をかけてみることにする。」
マリアと上坂は片付けを終えて相物性教室の居室に戻った。
上坂はドアの近くのポットのお湯でインスタントコーヒーを作りながらマリアに言った。
「マリアさんご苦労さんでした。化学科は圧勝だ。」
「上坂さんもご苦労様でした。上坂さんは物理学科のテントに行ったようだけど何か分かった。」
「あのライトの男は会津魁斗って言って今年から物性理論講座の院生になったそうだ。学生の時には居なかったそうだ。」
「不思議な人ね。1mもジャンプできた。上坂さんならできるでしょうけど普通の人間にはそんなジャンプはできないわ。」
「そうだったな。急に球が上に行ったんで思わず飛び上がってしまった感じだった。僕の球も確実にとらえていたし、わざと野手の上に飛ばしてアウトになったような気がした。」
「力を隠して日々を過ごしているようね。」
「だけどマリアさんは凄いね。わざと浮き上がるようなライナーを打ったんだろ。」
「私は兵士ロボットだからそれくらいは朝飯前。もっともロボットは朝ごはんは食べないけどね。」
「そんな凄いマリアさんは何をエネルギーにしているんだい。」
「電気よ。私のエネルギーは原子電池から供給されるの。」
「原子電池か。聞いたことがあるな。僕のバイクもマリアさんのバイクも電池を積んでいるだろ。あれよりも高性能なのかい。」
「比較できないほど高性能よ。もちろん市販されてないわ。イスマイル様が発明されたの。」
「どんな原理なのだい。」
「普通の原子力電子って放射性物質が出す放射線を電気に変えて利用してるわね。アクアサンク海底国の電子電池の中は重元素が入っているの。重元素の中性子を陽子と電子に変えてやり、その電子をとりあえず使うの。だから元素番号は一つ上がって別の元素になるわけね。でも、それだけだったら普通の外殻電子を使う普通の電子とほとんど同じようになってしまうわね。原子電池が凄いのは核変化が起こるとその周りを回っている電子の一部も利用できるようになるの。一個の原子から何個もの電子を出すことができるようになるの。だから大電力が可能になるの。充電してやれば元の元素に戻ることができるから大電力を出すことができる二次電池になっているわけ。」
「普通に動くとどれくらいの頻度で充電しなければならないんだい。」
「そうねえ、兵士だった時は半年に一回だった。今だったら1年に一回くらいかな。」
「ふーん。凄いね。充電時間はどれくらいだい。」
「難しい質問ね。充電時間は1年間。交換時間は100秒くらいかな。マンションの電力は小さいから予備の蓄電池を充電するには1年間が必要なの。電池を交換するには100秒というわけ。」
「要するにアクアサンク海底国はとんでもない電池も使っているんだ。」
「みんなイスマイル様のおかげ。」
「とにかく今日のソフトボール大会は有意義だった。・・・やはり会津魁斗ってやつに会ってみた方がいいな。オーラのない人間なんてこれまで見たこともなかったからね。」
「私も知りたいわ。」
「分かった。明日にでも会いに行くことにするよ。」
「あの人は気になるから気をつけてね。」
「了解。」
月曜日の昼休み、上坂大地は物理学科の物性理論講座に行った。
事務員に会津魁斗の居室を聞き、部屋の開いたドアをノックしてから中に向かって言った。
「昨日のソフトボールの試合でピッチャーだった化学科の上坂大地です。会津さんはいらっしゃいますか。」
その部屋は相物性講座の大学院生の部屋のように書庫を巧みに配置して入り口から見えないように各自のお城を作っていた。
入り口に近い場所の院生が書庫の陰から顔を出して言った。
「会津君は今日はまだ来てないよ。伝言があるなら伝えておいてやる。昨日の化学科のエースだったな。」
「上坂大地です。特に伝言があるってわけではありません。昨日の試合で会津さんはいい運動神経を持っているって分かったので会いに来ただけです。」
「そうか。会津君は毎日朝から来るんだが今日はまだ来ていない。」
「そうですか。残念。会津さんが来たら僕が来たって伝えておいてください。」
「OK。伝えておく。」
それから1週間後、上坂大地は再び会津魁斗に会いに行ったが会津魁斗は消えていた。
数日前に退学届を出して理学部から去っていたらしい。
上坂はマリアに伝えた。
「マリアさん、会津魁斗は消えていたよ。大学に退学届を出して行方不明になっていた。」
「まあ、怪しいわねえ。上坂さんが訪ねて行ったので消えたのかしら。」
「そうかもしれない。力は持っているが目立たないようにしているって感じだった。僕の球を真芯で捉えていたが力を加減していたようだったからね。」
「注意して置かなければならない事のようね。」
「でもなぜ東大の理学部の物理学科の物性理論講座なんだ。うちの講座よりもっと役に立たちそうもない講座だぜ。」
「自分の講座をそんな風に卑下して言うものではないわ。」
「そうだった。マリアさんがいればうちの講座は前途洋々。」
「上坂さんがいるからよ。」
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