第6話 6、マリアの対応

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 数日後、マリアは阿多羅総合探偵社からの調査報告書を受けると依頼人の池端照明に連絡し、池端照明が指定した喫茶店に出向いた。

「池端さん、ご指定の方の調査は終わり、報告書が阿多羅総合探偵社から送られて来ました。調査には私も参加させていただきました。結論を先に申せば浮気の兆候はありませんでしたが、もっと深刻な事態になるだろうと推測できました。」

「もっと深刻な事態とはどんな事態でしょうか。」

 「まだ初期状況ですが調査対象の方は麻薬に手を出そうとしているようです。」

「麻薬ですか、なぜそんなものに手を出したんだろう。不自由はなかったはずなのに。」

「現在の生活が安心できるということと自分の将来の生活が不安定だろうと推測できるのは違うと思います。10年後を想像すれば容易です。」

 「確かにそうですね。相手の将来を考えてやらなければ男として無責任ですね。・・・了解。どこかに蛍の宿を見つけましょう。小料理屋でもいいかな。蛍は料理が上手だし、小料理屋なら会社の会合にも利用できる。」

「小料理屋の近くに楊(かわやなぎ)の木があるといいですね。」

「えっ。・・・マリアさんは外国人のようですが日本の童謡にも造詣がお深いのですね。」

 「分かっていただきましたか。会話にはウイットの利いた話し方が重要だと先輩から教わりました。川端の蛍さんでしたからそう言ってみました。でもダジャレとウイットの区別に悩んでおります。今のはウイットでよろしかったでしょうか。」

「十分にウイットですよ。」

「ありがとうございます。」

 「それにしても麻薬は厄介ですね。どうしたらいいのでしょうか。」

「私は良く分かりません。川端さんは今のところ、まだ麻薬を購入していない状況のようです。消極的な対応としては川端さんを麻薬から遠ざけることだと思います。クルーズ旅行でもなされたらどうでしょうか。」

「積極的な対応としては何が考えられますか。警察への通報でしょうか。」

 「これも私には良く分かりません。警察へ通報するのは川端さんが捕まるということだと思います。確か、日本の法律は麻薬を使えば麻薬を使った人間を罰するという方法です。捕まるのが嫌なら麻薬を使うのを止めろ、麻薬を買うなというわけですね。麻薬を使った方が麻薬を与えた方より罪が重いのです。要するに、麻薬の習慣性や支配力の強さを無視して、一般市民に責任を押し付けているのです。普通の人間が簡単に麻薬の習慣を止めることができるのなら悪魔の薬、『魔薬』なんて言いません。それが違うというのなら法律を作る人間を麻薬中毒にして自力回復ができるかどうかを試したらいいですね。もし自分一人で麻薬中毒を克服できたならそんな法律を作ってもいいですね。」

 「確かにおかしな法律ですね。」

「とにかく、今なら警察に届けても川端さんが捕まるだけだと思います。」

「マリアさんのいう積極的な対応とはどんなものですか。」

「誰が悪人かということで判断する方法です。麻薬を貰って使用した川端さんか、未来の顧客にするために麻薬をタダであげた麻薬の売人かです。買わせたい商品をタダで配るのは商売ではよく使われる手法ですが、麻薬の場合には当然、売人の方が悪いですね。ですから売人を罰すればいいわけです。売人が居なくなれば一挙に解決すると思います。」

 「居なくなるって、売人を殺すのですか。」

「麻薬を持っているときに警察に捕まえてもらえばいいと思います。」

「そんなことができるのですか。」

「もちろん、池端さんにはできないと思います。圧倒的な能力を持ったよほどの暇人(ひまじん)でなければできないでしょうね。」

「分かりました。消極的な対応をしようと思います。」

「それが穏やかな対応だと思います。」

池端照明は調査の報告書を料金の請求書と共に持って帰った。

 『圧倒的な能力を持った暇人』のマリアは 本来の目的である正義の味方活動を始めた。

川端蛍に近づいて来ていた麻薬の末端売り手を尾行した。

簡単だった。

マリアは飲食を必要とせず浮遊することができ姿を隠すことができ眠ることもなかった。

当然ながら、阿多羅総合探偵社の尾行よりもずっと密着した尾行ができる。

背後霊と言えるかもしれなかった。

 尾行の大部分は相手の後方、高さ2mでシースルーケープに隠れて尾行を続けた。

相手が食事をする時もトイレに行く時も常に携帯電話の近くに待機するように尾行した。

耳のいいマリアは電話の相手の声まで聞こえた。

「分かった、美咲。今日の仕事は終わった。軍資金は十分にある。焼肉でも食べてからどこかにしけ込もうぜ。」

「了解、信二。久々にジンギスカンを食べてみたいわ。それでいい。」

「そうするか。6時にハチ公前で待ってる。」

尾行相手の信二は独身の若い男だったがステディーな関係の若い女性がいた。

 若いカップルは渋谷で出会い、馴染みらしい焼肉屋に入ってビールを飲み、ジンギスカンを食べ、いつものようにラブホテルにしけ込んだ。

若者の背後霊のマリアも何とか相手に分からず部屋に入り込むことができた。

その日のラブホテルのドアは一時的にスムースに閉まらなかったのだが、そのトラブルはすぐに解消し、若い二人はそんなことは気にかけもしなかった。

 マリアは若い二人の視線が向かない部屋の天井の隅に浮遊して潜み、若い二人の情事をじっと観察した。

マリアは若い二人の激しい性交を興味深くじっと観察できた。

マリアは人間が性交で歓喜を得ることは知識では知っていたが、実際に若い男女が繰り広げる物に取り憑かれたような様子を見ていると、なんとなく人間が可哀想なそして可愛い動物であるようにも感じた。

 そんな人間も情事が終われば理知的な人間になり、素晴らしい思考を展開するし、巧妙な悪巧(わるだく)みも考えることができるようになる。

マリアを造ったイスマイル様も乙女奥様もそうだったはずだ。

人間はそんな生理的な機作によって人口を増やし、個々の人間の性能とその環境によって多様性を確保し、これまで少しずつ発展してきた。

マリアは少しだけ人間社会を理解したような気がした。

限られた寿命の中で多くの人間が生まれ、色々な人間となり、社会を形成していく。

 信二と美咲のカップルはラブホテルの大きなバスタブで戯れ、少し疲れた様子でそれぞれ身繕いをしてホテルを出た。

二人はその後ラーメン店に入ってラーメンを食し、美咲はタクシーを拾って自宅に向かったようだった。

信二は電車に乗って住居としているアパートに戻った。

信二が美咲に麻薬を渡す場面はなかった。

 マリアは信二のアパートの部屋の中まで付いて行った。

風呂も付いていない小さな部屋だった。

信二は部屋に戻ると服を脱ぎ捨て、美咲に「おやすみ」の電話をしてからいつものように携帯電話と時計を小さなテーブルの上に置き、今朝半分だけ跳ね除けたままの布団があるベッドに潜り込み、布団を元に戻して直ちに眠りに落ちた。

 マリアはテーブルの上に置いてあった電話を持って信二の部屋から出た。

アパートに設置されていたかもしれない防犯カメラには信二の部屋のドアがひとりでに開き再び閉じられた事が記録されていたかもしれない。

 アパートを出たマリアはタワーマンションに戻り、携帯電話の電話帳に記録されている全ての電話番号を記載内容と共にパソコンに入力した。

電話帳をコピーして複製を作るわけではなく一つ一つを呼び出し、記憶しながら入力した。

入力し終えた携帯電話は電源を切ってから金属製の菓子缶に入れた。

これで電話の所在は分からなくなる。

 携帯電話がなくなると困る人間とそれほど困らない人間がいる。

麻薬の売人である信二は携帯電話が無くなると困る人間に属していた。

麻薬を求める相手からの電話も無くなるし、麻薬を供給する上部組織からの連絡も入らなくなる。

携帯電話に電話帳が記憶されるようになると、よほど近しい相手以外は電話番号を記憶することもなくなる。

多数の客の電話番号など記憶していない。

要するに完全にお手上げになる。

 実際、信二はテーブルの上から消えてしまった携帯電話を必死になって探し回った。

昨晩は美咲にお休みの電話を掛けたのだから携帯電話は部屋にあるはずだった。

仲間を訪ねて自分の携帯電話に電話を掛けてもらったり、電話会社に携帯電話の存在場所を探してもらったりした。

しかしながら、なくなった携帯電話には繋(つな)がらず、電話会社の捜索も不首尾に終わった。

 結局、信二はまっさらな携帯電話を購入することになった。

そして必死になって必要な電話番号を携帯電話の電話帳に入力した。

それがこの世界で生きてゆくに必要なことだったようだ。

この件に関してのマリアの正義の味方活動はここで終えた。

完全な尾行をしてみて麻薬を売りさばいていた男がこの世から排除しなければならないほどの悪人であるようには思えなかったからだ。

どこかで出会ったら再度携帯電話を盗むのもいいかもしれない。

 マリア探偵事務連絡所の初仕事が無事に終わるとシークレットは川本研究所のイスマイルのもとに戻って行った。

一人生活になったマリアは単独での「正義の味方活動」を始めたが「悪者」に出会う機会にはなかなか恵まれなかった。

昼間の繁華街で争い事が生ずるのは時折あるのだが、正義の味方が正義の刃(やいば)を振りかざすような重大事ではなかった。

それよりも若い美人のマリアが街を歩けばマリア自身が衆目を集めてしまい、目立たない正義の味方活動を難しいものにした。

 「あのう、お嬢様、よろしいでしょうか。首都圏テレビの「銀座の美女」のスタッフです。」

トランシーバーを片手に持った一人の若い男がアリアに声をかけた。

「何でしょうか。」

「はい、この先で『銀座の美女』という番組の収録を行っております。レポーターが通行人に質問をするという形式の番組です。なんとかご協力願えませんか。数分しかかかりません。もしよろしければレポーターに連絡いたします。」

 「テレビカメラもあるのですか。」

「もちろん、テレビカメラで撮影しています。街中(まちなか)で美女を見つけ出し、こんな美女がいるということを視聴者にお知らせする番組ですから。」

「そうですか。残念ながら協力できません。私は警察関係の仕事をしております。私の顔や姿を衆目に晒すことは業務に支障をきたすだろうと推察できます。」

「警察の方でしたか。申し訳ありませんでした。警察には勿体無い美人だと思います。失礼いたしました。」

そう言って男はマリアから離れて行った。

 確かに、少し先の路上にはテレビカメラを担いだ男が見えた。

方向を変えることは正義の味方として潔(いさぎよ)しと思わなかったマリアは偶然近くにあった警察博物館に入った。

警察博物館には子供ずれの客が十数組いた。

小さな子供を博物館で遊ばせるために来た客のようだ。

 警察博物館は警察活動を宣伝するための博物館だ。

日本警察の歴史と活動内容を概説している。

マリアはそれほど興味を持たずに展示物を眺め歩いていたが、展示されている白バイの前に来ると霊感を受けたかのように立ち止まった。

白バイはマリアの目的にピッタリと合っていた。

 オートバイは道路の脇に停めて置くことができる。

オートバイの加速は大きく、街中では自動車の追従を許さない。

オートバイを運転する時にはヘルメットの着用が義務付けられているので素顔を隠すことができる。

オートバイの運転ではマリアのように重い体重の方がタイヤのグリップ力が強くて安定する。

そして何よりも、オートバイなら空を飛ぶことができる。

 アクアサンク海底国のロボットは体の中心に重力遮断パネルが組み込まれているので空中を移動することができる。

その空中移動能力は200㎏の躯体を移動させるに十分な能力ではあるが、自動車のような重い物体を持ち上げるには危険が伴う。

重力遮断パネルの単結晶が負荷に耐えきれなくて壊れてしまう可能性が高くなるからだ。

 大型オートバイの重量は200㎏から300㎏だ。

ロボットが容易に持ち上げて空中を移動させることができる重量だ。

ステップに足の甲を引っ掛ければオートバイに跨(またが)ったまま空中を飛ぶことができるはずだ。

ステップの支点を車体の重心の真上になるように改造した方がいいかもしれない。

鞍についた鎧(あぶみ)のようにステップを改造してもいい。

 マリアは黒のフルフェースのヘルメットに黒の革のつなぎを着た細身の正義の味方が悪漢に追われてビルの路地に追い詰められてからビルの屋上にオートバイごと逃れ、その後、「ほっほっほっ」と笑いながらビルの屋上から月夜の夜空にオートバイに跨って飛び出すという正義の味方を想像してワクワクした。

マリアは自動車の免許もオートバイの免許もまだ持っていなかった。

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