第5話 5、阿多羅総合探偵社

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 マリア探偵事務連絡所が調査依頼をした探偵社は「阿多羅総合探偵社」という探偵業では名の知られた探偵会社だった。

マリア探偵事務連絡所が東京都内の多くの有名探偵社と客引きの契約を結ぶことができたのは偏(ひとえ)にシークレットの努力おかげだった。

シークレットは探偵社の社主に面会を求め、名刺を差し出し、マリア探偵事務連絡所が客引き契約を望んでいると伝えた。

ほとんどの相手は契約を結ぶことを約束した。

 シークレットが探偵社社主と面会する場所はたいてい社主の寝室であり、それも社主がベッドに入る直前であった。

社主は男性だった時もあり、女性の場合もあった。

通常、部屋の天井付近から「よろしいですか」のシークレットの声で社主は声の方向を向く。

だがそこには不審なものは何もなかった。

「私は貴方に危害を加える者ではありません。姿を現してもよろしいですか。」

もう一度見つめている方向から声が聞こえた。

 「だれだ。」

「シークレット・イルマズです。」

「そんな者は知らない。」

「当然です。私も貴方と今初めてお目にかかりました。」

「何の用だ。どこから話している。姿を現せ。」

「先ほどから姿を現してもいいかと伺っております。気が動転なされているのですね。」

「・・・突然のことだから当然だ。」

「そこまで反論できたのは落ち着かれた証拠です。」

 シークレットはシースルーケープを取り去り空中に浮かんだ姿を現した。

シークレットはいつもの白色のブラウスにタイトスカートという衣装の他に、鍔(つば)のあるゆったりした紺色のベレー帽を冠(かぶ)っていた。

ベレー帽子にシースルーケープを忍ばせているらしい。

 「浮かんでいるのか。」

「はい。」

「重力遮断か。」

「はい。」

「・・・アクアサンク海底国の関係者か。」

「はい。・・・そろそろ私の方から話した方が効率が良いとは思いませんか。」

「そうだな。何の用だ。」

「床に降りてもいいですか。」

「いい。」

 「私は駐日アクアサンク海底国大使館付き秘書、シークレット・イルマズと申します。アクアサンク海底国はご存知ですか。」

そう言ってシークレットはポシェットから1枚の名刺を取り出して相手に渡した。

名刺には「駐日アクアサンク海底国大使館付き秘書、シークレット・イルマズ」とだけ書かれてあり、連絡先は記されていなかった。

「知っております。」

 「最近、アクアサンク海底国の国民の一人が都内に探偵事務所を開きました。探偵事務所とは言っても探偵社の紹介をする業務です。私は貴社が当該探偵事務所と契約を結ぶように少し強引にお願いしに参りました。」

「どんな契約でしょうか。」

「当社から紹介された客には料金の5%の割引、当社には料金の1%の報奨金です。」

「・・・了解しました。契約を結ぶ方向で動こうと思います。双方にメリットがあるお話のようです。」

 「早速の応答、ありがとうございます。明日、本社に伺います。話を通しておいて下さいませ。」

「了解しました。知らせておきます。明日は貴方がいらっしゃるのでしょうか。」

「そのつもりです。」

「それでは契約には私も同席したいと思います。よろしいでしょうか。」

「問題ありません。午後1時頃に伺います。それでは失礼いたします。お願いがあります。この家に入る時には玄関から入りましたが出る時はそこの窓から出ようと思います。窓を閉めておいてくださいませんか。」

 「分かりました。空を飛べるのは便利ですね。それと透明マントですか。」

「透明マントではなくシースルーケープと呼んでおります。」

「探偵業にはどちらも欲しいものですね。」

「探偵屋より軍隊の方が強く望んでおります。」

「そうでしょうね。」

 男女の違いや年齢の違いはあったとしても探偵社社主の応答は概(おおむ)ね似ていた。

探偵社社主としては全世界を相手にして戦うことができるアクアサンク海底国と関係を持っていることは重要なことだった。

たとえそれがどんなに細く薄い関係であっても何の手づるもない状態よりはずっといい。

ましてやアクアサンク海底国の頼みを聞いてあげたという貸しを作った状態だ。

多少不利な契約を結んだとしても損はない。

社主はマリア探偵事務連絡所の要望には何でも叶(かな)えるように部下に厳命した。

 マリアは阿多羅総合探偵社の応接室で二人のエージェントを課長から紹介された。

「マリア・ダルチンケービッヒさん、私は阿多羅総合探偵社の営業第3課課長の上島あずさと申します。この度は当社にご紹介をいただきましてありがとうございます。社主からはマリア探偵事務連絡所様の要望には何でも叶(かな)えるように厳命されております。ご要望がありましたら何でもおっしゃって下さい。」

中年女性の上島あずさはマリアと名刺交換をしながら言った。

 「ありがとうございます。私は探偵業に関してもっと勉強したいと考えております。皆様方の調査のお手伝いができましたら幸甚でございます。」

「何の問題もありません。浮気の調査は尾行と張り込みが主たる調査方法です。普通は二人ペアで調査を行なっております。今回の案件に関してはここにいる2名が担当いたします。若い方が大谷翔太(おおたにしょうた)、年輩の方が小池軍治(こいけぐんじ)と申します。どちらかと言えばベテランになると思います。」

 マリアは二人の方を向いて微笑んで言った。

「よろしくお願いいたします。マリア・ダルチンケービッヒです。マリアと呼んで下さい。」

大谷翔太が言った。

「こちらこそお願いします。大谷翔太です。今のところは大谷と呼んで下さい。張り込みをする時には男二人よりも若い男女のアベックの方が目立たないと思います。」

小池軍治も続いて言った。

「よろしくお願いします、マリアさん。小池軍治です。軍治と呼んで下さい。自分の名前は気に入っているのです。」

「よろしくお願いします。大谷さんと軍治さん。」

 大谷翔太が言った。

「マリアさんは日本人ではないのですね。どこのお生まれなのですか。」

「日本人ではないと思います。私は捨て子だったのです。国籍は一応トルコですが何人なのかは正確ではありません。マリア・ダルチンケービッヒという姓名はポーランドで多い姓名だと聞いております。」

「そうですか。悪いことを聞いてしまいましたね。すみません。とにかく、マリアさんがどこの国籍であろうとマリアさんが輝いている美人であることは間違いありません。」

「まあ、ありがとうございます。」

 阿多羅総合探偵社の調査は尾行から始まった。

この時代、尾行に必要な機器や薬品の発展は著しかった。

調査する方の準備さえできていればほとんど全てが明るみに出されてしまう。

 相手に近づいて軽く背中に薬剤をスプレーすれば相手の背中は紫外光の蛍光を発するようになる。

その薬品は可視光の2光子吸収で紫外線の蛍光を出すようになり、肉眼では見えないが紫外線ゴーグルをかければ集団の中からその人物を抽出できる。

相手に近づいて微小なICチップを忍ばせた偽種子を付けてもいい。

重さは1gにも満たない。

 尾行対象が電話を持っていれば最高だ。

電話の電源を入れていようが切っていようが電話会社は容易に電話の位置を割り出すことができる。

それも数十センチメートルの誤差で見つけ出してしまう。

紛失した電話を探すということが目的だ。

電話会社ができるということは探偵社も電話会社にお金を出せばそれができるということだ。

警察はそれを無料でさせることができる。

 話している人物の顔の映像が入手できれば読唇サービスを頼むことができる。

部屋の中の会話でも部屋にガラス窓があれば会話はレーザーで照射されたガラスが語ってくれる。

電話ボックス内で会話するということは誰かに聴かれる可能性があるということだ。

コンクリートの壁で囲まれた部屋でもコンクリートマイクを使えば内部の声を拾うことができる。

街中での会話も指向性マイクで拾うことができる。

 マリアは大手探偵会社の高性能探偵機器に感嘆した。

「軍治さん、どれもすごい装置ですね。驚きました。」

「昔から忍者の持つ道具は色々工夫されていたからね。まあ、単身で敵地に潜入するのだから当然だ。007には負けるかもしれんがな。何といっても軍隊のスパイは金に糸目を付けない。全て最高性能の物だ。」

「お金がかかるでしょうね。」

「全て税金だ。問題にならない。」

 大谷翔太が言った。

「マリアさん、確かにうちの探偵社は大手で、色々な高性能探偵機器を持っています。でもそんな機器を使うようになるのは相手の行動が把握できるようになってからです。まず相手の行動パターンを知らなければなかなか証拠を取ることができません。」

「尾行が重要なのですね。」

 「そういうことです。今回はマリア探偵事務連絡所が相手の部屋のすぐ近くにあってすごく楽でした。相手が出かけるのも簡単に分かるし、相手のドアの上に薄膜マイクを仕掛けることも容易でした。事務所まで30mも離れていませんでしたから中継器も必要ありませんでした。」

「通常は中継器を付けるのですか。」

「そう。普通は廊下のコンセント内とかに足がつかないような中継器をつけます。」

「見つかっても誰が仕掛けたのか分からなければいいのですね。」

「そうです。」

 小池軍治が言った。

「どうやら蛍さんは浮気をしているのではないらしいな。」

「そうですね、軍治さん。1週間で外出して男と接触したのは1回だけ。それもほんの短時間でした。」

大谷翔太が同意した。

「浮気よりもタチが悪そうだな。」

「ヤクですか。」

「うむ。まだ初期段階だ。相手は愛想笑いをしていた。まだヤクを只(ただ)でもらっているのだろう。すぐにお金を払って買うことになる。」

 マリアが軍事に言った。

「ヤクって麻薬のことですか。」

「そうだ。どんな麻薬かはわからんが麻薬の受け渡しのパターンの一つだ。」

「なぜ警察は麻薬を売っている男を捕(つか)まえないのですか。」

 「一般人に麻薬を売っているのは小物だからな。捕まえても大した罪にはならない。末端の一人二人が捕まっても大元はビクともしない。末端の小物も組織の強さは知っているから絶対に情報を漏らさない。下手に情報を漏らせば刑務所の中で殺されたり身内に危害が及んだりする。麻薬組織は組織内の人間が絶対に逃れられないように型にはめて組織を作っているわけだ。」

 「要するに抜け出すことができない悪の組織というわけですね。」

マリアは眉を顰(ひそ)めて言った。

マリアはロボットなのに顔を顰(しか)めることが自然とできたのだ。

「麻薬組織は金を持っているからな。警察組織にも上から下まで網を張っている。心付けが行き届いているわけだ。正義感に燃えた警察官が出てきてもやがて潰されて冷や飯食いにされてしまう。人間は生活がかかっているからな。政治家も抱きこまれているはずだ。」

「要するに麻薬組織を潰すにはどこの誰かが分からない非合法な正義の味方が必要なわけですね。」

「十分に強い正義の味方がな。麻薬組織は強いから。」

 「そうですか。でも麻薬組織がどんなに強くてもしょせん日本国の法律で守られている存在です。法律の外の人間と戦った経験はないだろうと思います。」

マリアは自信を持って言った。

「例えばアクアサンク海底国というわけだな。」

「そうです。・・・軍治さん、御社ではマリア探偵事務連絡所をアクアサンク海底国との関わりでどのように説明しておりましたか。」

 「うむ。マリア探偵事務連絡所のマリアさんはアクアサンク海底国の国民だと聞かされている。うちの探偵社も世界最強のアクアサンク海底国とコネクションを是非とも持ちたいからマリア探偵事務連絡所と紹介業務の提携を結んだようだ。そうでなければ相手の要求を何でも叶(かな)えろなんてことは絶対に言わない。聞いた話によれば一人の美女が深夜に社主の寝室に忍び込んで強引に契約を迫ったそうだ。社主は深夜の美女に一目で籠絡され嬉々として契約を結ぶ約束をしたらしい。」

「まあ。そんなことがあったのですか。」

「又聞きだがな。」

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