バレンタインなので

麻李南まりなたちに乗っかって一緒に作ってきた」


 約束もなく思う存分残業に明け暮れた深夜のオフィス街。ビルを出て少しの場所で、当たり前のように佇んでいた酒井くんは、白く息を吐きながらにこやかに笑った。


「何で待ってるの」


 来ていると思わなかったから、思いきり待たせてしまった。せめて連絡してくれたなら、早めに切り上げることだってできたのに。

 後ろめたい気持ちになって、素直に謝罪も感謝もできない。


「早く渡しに行きたいなって思って、ついね」


「家で待ってればよかったのに」


「帰り道の分早く会えるから!」


 それなのに、酒井くんはただ嬉しそうに笑っている。

 これが彼の常なのだから、本当に俺の態度は甘えていると思う。


「寒かったでしょ」


 ついぶっきらぼうな言葉が口をつく。

 本当は、会えたことは嬉しい。ただの帰り道が、喜びの色で染まっている。

 当たり前のように並んで歩くだけで、この時間が特別なものになっている。

 だけど、時間を無駄にさせたことや、待っている間につらくなかっただろうか、今凍えてないだろうか、風邪をひいたりしないだろうか、なんてことが心配で仕方ない。


「寒さには強いから」


「暑い時も待ってたくせに」


「だって、待ってるだけで真尋さんに会えるってすごくない?幸運通り越してチート級なんじゃない?」


「迎えに来なくても会えるだろ」


「うん、でも少しでも早く会いたいなぁって。帰り道デートもできるし」


「ばか」


 近づいて、冷えた腕にぽすりと頭を寄せる。

 ただの帰路。ひと気が失せて鎮まった暗いビルの立ち並んだ道。ただ並んで歩くだけ。

 それは確かに嬉しくはあるけれど。そのために無理なんてさせたくない。


「……真尋さんの可愛いが突き抜けてご褒美!!!」


 びくりと肩を揺らした酒井くんが危なくないようにそっと背中を支えてくれる。


「心配かけてごめんね。でも、今元気すぎフルチャージで上限再査定されてる!」


 何一つ言葉にすることすらできないのに、何もかも理解してくれる。

 こんな贅沢に甘んじていていいのだろうか。

 伝えたい想いはいつも言葉にはならなくて、分厚いプライドとひねくれた根性に喉元を押さえつけられる。

 でも、それは紛れもない甘えなのだ。

 当たり前のように綴られる言葉が、どれだけ嬉しいものなのか知っているのだから。


「元気じゃなかったら、会えなくなるだろ。だから、無茶なことはしないで」


 ぐるぐると頭の中を回った言葉は、やっぱり素直さの欠片もない。

 何でもっと素直に心配って言えないのか、会えて嬉しいって言えないのか、可愛らしく殊勝に胸の内を明かせないのか。自分の難儀さに絶望すら覚えてる。


「!!!真尋さんの可愛さが突き刺さりすぎて人生に悔いないレベル!!!!!」


「元気にしてろって言ってる」


「そうだ、生きる!!!最高寿命更新してみせる!!!!!」


「頑張って」


 こんな拙い捻くれた言葉なのに、心の底から嬉しそうに喜んでくれる酒井くんの姿に、伝えられない「好き」が胸の中を埋め尽くして視線を下げた。

 全て伝わればいいのにと思わなくもないし、全て伝わってしまったら恥ずかしすぎていたたまれないとも思う。



「麻李南と、下の妹たちと一緒に作ったんだ。って言うか、妹たちがバレンタインのチョコ作ってる所に参戦したっていうかね。逆に力技で手伝わされたところあるんだけど、あいつらそれでよかったのかな。貰う相手が可哀想な気もするよね、女の子の手作りにデカい兄貴の手が加わってるとか」


 家に辿り着いてスーツから着替えている間に、リビングのテーブルの上にはお茶と箱が並べられていた。

 促されるままにソファーに座る。手渡されてシンプルな箱の蓋を開けると、中に入っていたのは小さなグラスに入ったプリンだった。

 プリンの上に淡いチョコレート色のクリームが絞ってあって、そこに細くかけられたチョコレートソース、ココアパウダーと、ひとかけらの生チョコが乗っている。

 チョコレートというよりは、プリンだ。プリンのチョコソースがけ。


「……ありがとう」


 思いも寄らなかったプレゼントに、胸が詰まった。

 チョコレートは嫌いじゃない。どちらかと言えば好きかもしれない。

 でもプリンは隠しようがないくらいの好物だ。時々酒井くんが買ってきてくれたりするくらいバレバレの好物だ。

 だから、何気なく贈られたこのプリンが、全然何気ないものなんかじゃないのがわかる。普通はバレンタインにプリンを贈ろうと思ったりしないだろうから。酒井くんの妹たちも、きっとプリンを作っていた訳ではないだろうから。

 きれいなグラスを選んだのは、彼の妹たちだろうか。デコレーションの繊細さも、普段の酒井くんの料理からはかけ離れてるかもしれない。

 一緒に考えて作ってくれたということが、一目でわかった。


 バレンタインデーが、自分に関係のあるイベントと思ってはいなかった。

 女性重役が贈り物にするチョコレートを用意したり、男性重役の返礼品を準備したりはする。自分自身が贈られるのは、正直そういった仕事が増えるだけにしか考えられずに随分昔に断った。以後全く受け取ってはいない。

 俺にとってのバレンタインデーは、そういうものでしかなかった。


 だから知らなかった。心がこもったものを贈られるというのは、こんなにも嬉しいことであると。


 期待を込めて見守っている酒井くんの前で、プリンを口に運ぶ。

 柔らかいのに卵の風味が残っているプリンに、甘すぎないチョコクリーム。甘さにメリハリをつけるチョコソース。

 見た目を裏切らないほどに、俺の好みの味だった。

 試行錯誤しないはずがない。一流の料理人だって、一回で作れる訳がないほどバランスが取れている。それも、俺の好みという点で。


「……おいしい」


 泣きたいほどに、胸がいっぱいだ。

 どれだけの気持ちを受け取っているのだろう。どれだけ考えて、どれだけ手間暇かけて、作ってくれたのだろう。

 こんなものを贈って貰ったのに、自分は何も用意していない。

 この気持ちにも、時間や労力にも、応えられるだけの何も返せない。

 なんて気が利かないんだろう。ダメな自分に、幸せなのにじくりとどこかが痛む。


「よかった、上手くできてて。その生チョコは二番目の妹の深行みゆきが作ったやつ貰ったんだ。もうちょいチョコみ出してこうって、麻李南がこだわっててさ」


 それなのに、心底嬉しそうな顔で弾んだ声が返ってくる。

 なんだか顔が上げられなくて、ひたすらスプーンを動かす。

 減ってしまうのがもったいない。だんだんそんな風にすら思えてきた。


「ありがとう。すごくおいしい」


 残り半分ほどになったプリンをスプーンで大切にすくって、酒井くんの前に差し出した。

 作った本人に差し出すのは間違っているのかもしれない、なんて思ったけど。

 もったいないくらいに大事なものだから、分け合いたいような気がした。

 嬉しくて、しあわせな気分なら。 一緒に味わいたい。


 おそるおそる見上げた視線の先で、酒井くんはちょっとだけ目を見開いて、それから笑み崩れ、喜々とスプーンを頬張った。


「ああああああもー、至福。ちょっと可愛いがすぎる!可愛いの権化というより可愛いの概念!!!真尋さんにあーんしてもらうなんて、もうリア充代表として爆発してもいい!!!!!」


「世界最高齢更新するんでしょ」


「爆発しても生きる!!!」


 素直に喜ばれていることすら恥ずかしくていたたまれなくて、でもそんな風に真っすぐに喜んでくれることが嬉しくて、そんな所が好きで仕方なくて、誤魔化すようにスプーンを動かした。

 一口食べて、次をすくい、チラリと酒井くんを盗み見ると。ふんわりと期待するように唇が綻んだのがわかった。

 それが余りにも愛おしかったから、持ち上げかけたスプーンをそのままに、伸びあがってその唇に口づけた。


 甘い、バニラとチョコの香り。

 それ以上に甘いのは、溢れかえって収拾がつかないほどの想いで。

 ああ、こんな「お返しは自分」だって自意識過剰みたいな真似を。そんなイタい事をするつもりなんてないのに。……なんてことが頭の片隅に過らなくはないけど。


「本当に、嬉しい。ありがとう敬也。大好き」


 ばくばくと鳴る心臓には耐性がないし、悶えてしまいそうなほどの照れくささも、逃げ出したいようないたたまれなさもある。

 でも、そんな自己保身なんて投げうって心を奮い立たせることさえできれば、想いだけは返せると思った。


 真っ赤に染まった酒井くんが、胸を押さえて呻いている。

 ただ、これだけのことでこんなにも喜んでくれるから。

 本当はいつだって、素直になりたい。


「っ、……っ!!……し、心臓、爆発した!!!」


「それは困る」


「また作る!むしろ一生真尋さんのプリンつくる!!!」


「………プロポーズ?」


「…………や、それはそのうちちゃんとさせてください」


「変わらないのに。俺はずっと、敬也君のこと好きだよ」


「えっそそそそそそんな、プロポーズされた?!!」


「そのうちでしょ?」


 お互いに照れながら、普段通りのやり取りをなぞる。

 想いが通じ合うというのは、こんなにもくすぐったくて、温かくて、幸せで、嬉しいということを知ってしまったから。

 自分にできる限りのことで、失わないように、大事に大事にしていきたい。


 残りのプリンを分かち合う。

 同じだけの甘い幸せを、どんな風に返そうか?

 そんな画策に胸を躍らせながら。

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