こいびと②
「ねぇ、ちょっと。距離感おかしくない?」
同級生連中との飲み会で、昔から仲が良い友達の御子柴がぼそりと呟いた。
久々に会った浜川と肩を寄せ合い盛り上がっていた敬也は、その台詞の意味が分からずに首を傾げた。
敬也は基本的に、自分はモテない人間だと思ってる。弟妹が多く、2つ年下の妹を含む3人の妹がいるのもあるのかもしれない。
世話焼きで、仲のいい女の子は妹や男友達と同じ感覚で接しているところがある。
と、本人は全く自覚していない。
御子柴はオレンジジュースのコップを両手で傾けながら、じっとりと敬也たちを眺めて、面倒くさそうに顔を顰めた。
「酒井の恋人、絶対にキレると思う」
「えーっ!酒井、彼女できたのっ?なになに?どんな人?」
御子柴の忠告に、浜川のハイテンションな質問が被さった。
「えー、世界一可愛い!」
敬也は嬉しそうににやけた顔で言い切る。生まれて初めての恋人で、初めての惚気かもしれない。思い出すだけで幸せいっぱいで、もとより下がった目じりが下がりっぱなしだ。
そんな敬也の様子に、更に浜川は身を乗り出して詰め寄った。
御子柴は残念そうなものを見る目つきで溜息を吐いて、オレンジジュースに意識を戻した。
盛り上がる敬也達の気に留まらないところで、ポチポチとスマホを操る。
「傷は浅い方がいいっしょ。まぁ、ガンバレ」
他人事のように呟いた言葉は、浮かれた敬也の耳には届かなかった。
「迎えにきちゃった」
騒ぎながら店の外に出ると、懐かしい声に呼び止められた。
真っすぐに自分へと向かってきた相手を、敬也は目を見開いて見つめる。
「真尋さん……」
美しい仕草で、瑞々しいピンクを纏った唇が弧を描く。
優美に細められた瞳の淵で、長い睫毛が艶やかに揺れた。
可愛らしいワンピース。今まで選んでいた綺麗で色っぽい服装とは違って、でもどちらも良く似合っていて可愛い。誰がどこからどう見ても、可愛いだろう。
そんな彼女……に扮した彼は、周囲の視線をさらいながら敬也の腕に腕を巻き付かせた。
………ひんやりとしていた。
「わー、すごい美人!」
「ねー彼女美人過ぎない?え、ほんとに?」
賑やかしくからかいを向けてくる友達連中に、真尋は照れた笑みを浮かべて敬也の腕に半分顔を埋めた。
ドキドキと敬也の胸が高鳴った。
「帰ろ?」
可愛らしく甘い声で、真尋が囁く。
「世界一可愛い………」
ついうっかりと口から零れてしまう本音だけど、そうじゃない。
敬也は知っている。
全部、作られたものだ。自分をどう見せれば一番魅力的なのかを、真尋は計算し尽くしている。声音も、態度も、表情も、行動も。全て彼が努力して磨き続けてきたものなのだ。
人目に付くのが嫌いな真尋が、わざわざ人前で彼女を演じている。
真尋は女装カフェで『あひる』として働いていた時も、決して身バレしそうな所には近づかなかった。自分の存在を勘繰られる事が嫌で、女装姿で他者と深く関わる事を避けていた。
そんな真尋が、敬也の彼女として、敬也の友達の中に現れた。
考えもしないことだった。敬也は心底驚いて、でもどこかで嬉しさを感じていた。
飲食店が立ち並ぶ週末の大通りは、田舎とはいえ人の気配が絶えない。
それも終電間際となれば、足早に通り過ぎる人々の中に、街と共に夜を過ごすのであろう陽気な群れが混じっている程度だ。
友達の輪から離れ二人きりになった所で、真尋は敬也の腕を抱いたまま黙り込んでそっぽを向いている。明らかに不機嫌だった。
気まずさを秘めたまま、惰性のように一緒に道を歩いて行く。
「真尋さんが迎えに来てくれて、嬉しい」
へらりと笑って、敬也は真尋の様子を伺うように声を掛けた。
「今日の恰好、すごく可愛いね。いつもの恰好もすごい美人でセクシーで可愛いけど、今日みたいなのも似合う!可愛い!!」
「………うん」
いつもの調子のよさで連ねる言葉を、真尋は静かにただ受け流す。もう高く甘い声音は作っられていなかった。逸らされた表情はわからないのに、ぎゅっと抱かれた腕は離れようとはしていない。
「あのさ、えっと、……どうしたの?」
何かがおかしい事はわかっているのに、それが何なのかがわからずに、敬也は眉尻を下げた。
「………みぃが、送ってきた」
チラリとだけ視線で仰いで、真尋が差し出したスマホには浜川と肩を並べて笑い合っている自分の姿映っている。
御子柴が『近い』と言った時には、こんな距離感で過ごしていることになんて気づかなかった。でも、確かにこうして客観的に見てみると、親し気な距離にいる気がする。
目の前に差し出された画面は、すぐに下げられて視界から消えた。
スマホを小さなショルダーバッグにしまい込んだ真尋の視線は俯いたままだ。だけど、縋るように更にぎゅっと巻き付いた腕の力を強める。
心臓が壊れそうなほどに激しく鼓動を刻んだ。
「近い、ってみこちんに言われた」
「………」
「ごめん。妹とか男友達と一緒の感覚で、そんな風に思わなかった」
「………」
「だってほら、意識してたら逆にこんな風に近寄れないよ。今だって真尋さんとくっついてるの、ドキドキしまくってるのに」
「………そんなの、相手はわからないし」
すり寄るように腕に真尋の頭が触れる。必死に反らした表情は見えないのに、覗いている白い肌は暗い夜道の中でうっすらと赤みを帯びているのがわかった。
「そんな、だって俺、モテたことないし、相手にされてないし!」
「………そんなことない」
真尋は、絞り出すように小さな声で呟いた。
「だって、酒井くんのこと好きにならない要素なんてない」
―――心臓が痛い。
「酒井くん、可愛い女の子が好きだから」
消え入りそうに呟きながら、抱き着くように自分の腕に縋る真尋を、今すぐに抱きしめたかった。
「同級生だし。俺よりずっと、似合ってる」
耐えられずに引き寄せた。
ふわりと舞った清楚なセミロングの髪に、控えめで自然なメイク。そうか、今までの派手な美人との装いと異なったこの格好は、自分のためのものなのだ。
そう気づいて、頭も心も愛おしさでいっぱいになった。
「女の子は可愛いし好きだけど、真尋さんの方がもっと可愛いし比べられないくらいもっと好きだよ」
素直じゃない真尋は、抱き寄せられてもなお敬也の腕にしがみ付いて、肩へと顔を沈め、表情を隠している。
「俺は真尋さんが好きだし、真尋さんだから好きだよ。真尋さんを超える可愛いも綺麗もセクシーも好きもないから!全部真尋さんしか勝たん絶対勝者!!!」
「…………」
いつもは絶対にツッコミが返ってくるのに、真尋は小さく吐息を零しただけだった。
拗ねたようにカリカリと腕を軽く引っ掻かれて、敬也の身の内にぞわぞわとした熱が籠った。
ウィッグの間から覗く耳の先が真っ赤に染まっていて、おいしそうにすら見えてくる。
冷静にならなければ、という思いとは別として、ごくりと喉が鳴った。
「……真尋さんの可愛いに脳細胞が瀕死だし今すぐキスしたい可愛いが過ぎてつらい」
為されるままになるしかなくて、敬也は悶えた胸の内を言葉で垂れ流す。ため込んでしまうと破裂してしまいそうだった。
くすり、と小さく肌を伝って笑いが聴こえた。
少しだけ濡れて艶を増した声音が、そのまま肌を擽って熱を煽りあげる。
「……うん。………泊ってく?」
この誘惑に勝てる日は、一生来る気がしない。
敬也の腕を離した真尋は照れた表情を一瞬だけ覗かせて、身を翻して数歩前に出た。
さりげなく後ろ手に掌を敬也へと伸ばして。
その手を取らない事なんて、絶対に選択する日はこないだろう。
「…………ハイ」
逆に照れてしまった敬也は赤い顔を緩まして、その掌を握った。
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