放課後戦隊、集結

「ごめん、妹と弟が家で待ってるから……」

 中学に上がってから、そう言って放課後の学校をダッシュで帰るようになった酒井に、萩野はある日、きっと何も考えていない頭で提案した。

「それなら、酒井の家に行けば一緒に遊べるんじゃね?」

 それから、毎日のように放課後は酒井の家に集まるのが当たり前になった。



 酒井 敬也けいやは六人兄弟の長男で、2つ下の妹の麻李南まりな、4つ下の妹の深行みゆき、6つ下の弟の健吉これよし、9つ下の妹の清衣きよいと、10歳下の末の弟、智世ともつぐがいる。

 父は万年単身赴任で、下の二人が生まれてしばらくの間、母は時短勤務で家にいる時間が長かった。それでも家事音痴の母はやることなす事手が足りておらず、敬也はあれこれと手伝ってきたものだった。


 そんな母が時短勤務を卒業して、準管理職だった職場に完全復帰した。何とか家庭と両立させようと奮闘している母であるが、時が経つにつれ叶わない事も徐々に増えてきた。

 19時までの延長保育のお迎えに間に合わない母に代わり、下の弟妹二人を保育所に迎えに行くことを繰り返している内に、敬也はだんだんそんな二人の弟妹がかわいそうになってきた。他の弟妹は自分で帰ってこれるから家にいるのに、二人だけは時間ギリギリまで保育所で来ない母を待ち続けなければならないのだと。

 どうせ自分が迎えに行くのなら、ギリギリまで待たせなくていいんじゃないか。そう決断したのがめちゃくちゃな生活の始まりだった。

 敬也は中学二年生にして、幼児を含む弟妹5人の面倒を見る生活を始めてしまったのである。


 一番上の妹は手伝ってくれる。次の妹は分別があって手を焼かせない。その下の弟には少し手がかかって、下の二人に至っては目が離せない。

 弟妹達が大好きだ。可愛くてなんだってしてあげたくなる。だけど、実際は自分の能力なんて至らないことばっかりで、十分な事をしてやれない。


 健吉がお腹がすいたと騒ぐから、冷凍庫にあったハンバーグを焼いていた。泣いている健吉を宥めすかしてテーブルにつかせて、お気に入りのアニメを見せて落ち着かせるまでに一苦労。ようやく調理台に立ったというのに、リビングからは麻李南の絶叫が聞こえてくる。

「もー!あんたたち、役にも立たないんだからあっちに行ってなさいよ!」

 麻李南が下の二人に向かって泣き叫んでいる。小走りでリビングに向かうと、床では麻李南が畳んだのだろう結構な量の洗濯物がもみくちゃにされて、両手両足に洋服を絡めつけた清衣と智世が号泣していた。深行は怒鳴り散らす麻李南の横でオロオロと顔色を青くしている。

 弟妹達の泣き声が、頭の芯にズキズキと突き刺さった。

 心底泣きたいのはこっちだし、もうこのまま素知らぬフリをしてしまいたい。

 だけど、弟妹達は可愛い。だから、自分だけは平気なフリをしなければならない。


「麻李南、ありがとう。いいから、深行とアイス食べといで」

「だって、お兄……」

「手伝ってくれてありがとう」

 上の妹たちだって、まだ小学生だ。一番年上の自分でも泣きたくなるような状況なのに、平気でいる訳がない。頑張ってるのは自分と一緒なのだ。

 上の妹たちを部屋から送りだしたら、今度は下の弟妹たち。

「何で怒られたかわかってるんだろー」

「ごめんなさぁいー」

「うっ、うぇぇ……だって、だってぇ……」

「お前たちが悪戯してお姉ちゃんの頑張った仕事をめちゃくちゃにしたから、お姉ちゃんも悲しかったんだろ。ちゃんと麻李南にごめんなさい言おうなー」

 根気よく頭を撫でて慰めながら言い聞かせる。ぐずぐず言いながらまとわりついてくる下の弟妹達はやっぱり可愛い。可愛いけどどっと疲労が押し寄せてきた。


「お兄!フライパン焦げてた!」

「あれ、食べれるかなぁ……」

 キッチンに向かったはずの二人がパタパタとかけてきて、そういえば調理の途中だった事を思い出す。

 焦げを落として半分のサイズになったハンバーグを健吉に差し出しながら、自分の不甲斐なさが胸をもやもやと埋めていく。

「おにー、ありがとう!」

 だけど、キラキラした笑顔で不格好なハンバーグを受け取る健吉を見ていると、やっぱりやって良かったなぁとも思ってしまう。


 仕事以外ではポンコツな母を助けてあげたいのもあるが、それ以上に、寂しそうな弟妹達を放っておけなかった。そう感じたのは、自分も寂しかったからかもしれない。だから、どうにかしてみんなでこの家の中で上手くやっていきたい。漠然とそんな風に感じていた。



 その空間が変わったのは、萩野の思い付きからだった。


「うわ、お前すごいわ酒井……」

 下の弟妹に両手に纏わりつかれたまま玄関を開けると、梶原が既に苦笑していた。一人っ子の梶原にはこの時点から想像外の世界らしい。

「ごめんね、騒がしくて。ちょっとは大人しくさせようと思ってたんだけど」

 酒井がへらりと笑いながら友人たちを出迎えている間にも、リビングからは絶叫が響いている。

「と、とりあえずあがって」

 バタバタと落ち着かずにリビングへと向かう酒井の後を、陽気に萩野が追う。その後に、一緒に訪れていた梶原、御子柴、三浦、河口こうぐちは恐る恐ると続いた。


「も、もう!」

 テーブルから落ちて砕け散ったグラスに泣いている深行。落とした健吉は所在なさげにオロオロしているし、雑巾を持ってきた麻李南が怒鳴っている。

「危ないよ」

 そつのないイケメンで定評のある三浦がひょこりと前に出て、麻李南を止めた。

「お兄、友達きてたの?」

 ちょっと恥ずかしそうに麻李南が敬也を見上げてくる。

「うん、麻李南。それ貰うから着替えてきて。お前も濡れてるから」

「酒井、この子もちょっと濡れちゃってるみたい。ほら、危ないからこっち側から降りて」

「は…はい。ありがとうございます。私、深行です」

 フットワークの軽い河口が頬を染めた深行を立たせて、麻李南と一緒に送り出してくれた。

 いつの間にか足元では梶原が、割れたグラスの欠片をスナック菓子の空き袋に放り入れている。

「ぎゃははははははっ」

「わ、私も!ねぇ、お兄ちゃん、私もー」

 やけに軽く感じていた両腕には下の弟妹は既におらず、テレビの前で映る必殺技に合わせて智世を抱きかかえて揺さぶる萩野に、清衣がはしゃいで詰め寄っていた。

「ねぇ、君も一緒に行く?」

 御子柴が静かに健吉の手を引いて、賑やかしい萩野の元へと連れて行ってくれた。

「この雑巾も危ないから捨てろよ」

 敬也の手から雑巾を引き抜いて、梶原が床を拭く。


 ほんの一瞬だった。

 敬也が頭を抱えたくなるようなことが、一瞬のうちに何もしないで解決していた。

 まるでそれが当たり前であるかのように。


「お兄、お腹すいたー」

「俺も俺もー」

「お前もかよ」

 テレビの前から健吉の明るいおねだりが響くと、萩野も同意の声を上げる。

「うん、何か作るよ。あんまり上手じゃないけど」

「やったな!」

「やったね、はぎお兄ちゃん」

 もうすっかり馴染んだ下の3人は、萩野と笑いあっている。


「まじか……酒井、料理まですんの」

「簡単なものなら」

「じゃ、俺も手伝うわ。あんまりやったことないけど」

 梶原がソファーから腰を上げて敬也の後に続こうとすると、御子柴も立ち上がる。

「あ、あのさ…僕も、できるかわからないけど……」

 不安そうに掌を握りしめた御子柴に、梶原は笑って静止した。

「みこはさー、宿題先にやって後で見せて?」

「あっ、それ助かる!」

「あっ…う、うん、それなら、得意だから」

 御子柴の緊張も解けて、ふんわりと笑顔を覗かせた。


「あっ、お兄、私も宿題するから後で見て」

「わ、私も」

 麻李南と深行が思い出したようにハッとして荷物を取りに走る。

「じゃあさ、良ければ俺らが見ようか」

「お兄よりはまだマシな成績だぜ?」

 三浦と河口が名乗り出てくれれば、上の妹二人は黄色い声を上げてはしゃいだ。

「カッコイイお兄さんに宿題見て貰えるとか!」

「……ありがとう、ございます」

「ハイレベルなのはみこ君に見て貰えばいいし」

「ってか、俺らのはみこに見て貰えばいいし」

「うん。言って」

「塾よりずっとわかりやすいよなー、みこ君」

「そうそう、教えて貰えるとかめちゃくちゃラッキーじゃん」

 こちら側も難なく解決して、静かに勉強会が始まった。


 敬也は不思議な気分でキッチンに立っていた。

 こんな風にあちこちに気を張り巡らせずに一つのことができるのは、随分久しぶりな気がしていた。

「何作んの」

「うーん。どうせなら、全員分作れるやつ?」

「まじか。お前すげぇわ」

「うちの母ちゃんも大雑把だから、ストックはたくさんあるんだよね。生姜焼きとかどう?」

「ま、何でもいいや。俺わかんねーから教えて」

「うん、ありがとう」

 一年前に比べて随分慣れた手つきで、敬也は食材を調理する。最初はたどたどしく、一つづつ確認しながら手を出していた梶原は、元来の器用さを発揮してすぐに敬也と遜色ない手腕を発揮した。


「なんかさ……」

 香ばしい匂いが漂うキッチンで、完成間際のフライパンを揺すりながら、敬也の瞳はぼんやりと滲んでいた。

「すごいね」

 どうしようもなかったことが、誰にも助けを求められなかったことが、自分の要領の悪さを悔いるばかりだったことが………全部嘘みたいに無くなって。

 追われるような焦りも持たずにここに佇んでいることが、そうして手を貸してくれる皆のことが、ありがたくて仕方なかった。


「お前の方がすごいよ」

 梶原は調理道具を洗い流しながら答える。決して慣れたとは言い難い作業に、しっかりと一つ一つ汚れや泡を洗い流せたのか慎重に確認している。

「俺たち、別に大した手伝いはしてないし。皆、得意な事やってるだけだしな。酒井はいつも全部ひとりでやってたんだろ。そんなの無理だよ、普通」

 普段と変わらないトーンの言葉は、いつもひっそりと影で誰かのフォローをしている梶原らしい。

「それに、飯が美味かったら萩は毎日通うって言うぞ」

 秘密のように小さく二人の笑い声が交わる。

 ぽたりと落ちた涙と、ぽふりと浮かんだシャボンがきらりと光った。



 それから、誰が言い出すでもなく放課後は毎日のように酒井の家に集合するようになった。用事で抜ける人間もいれば、更に参加してくる人間もいて、酒井の家は毎日のように賑わった。

 子どもの扱いが上手くなり、次第に順番に入れ替わって行う料理が上手くなり、御子柴の講習で皆成績を上げた。

 それは「遊ぶ」の範囲であって、誰かが無理をしている訳ではなくて。

 誰もが力を発揮して世界の平和を守る、放課後戦隊が集結していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る