にぶんのいちよりずっとオトナなやつら

「次の参観日は、二分の一成人式です。その時に保護者の方に見て貰う家族の絵を描きましょう」



 小学校四年生の冬。今年度一番のイベントであるかのように進んでいく準備に、御子柴は腹痛と吐き気を覚えていた。

 二分の一成人式。十歳の記念の発表会。両親に今まで育てて貰った感謝を伝えましょう。そう言われて、得意な作文はなんとか書けた。

 自分の成育歴はさっぱりと忘れてしまったものの、昔家に来ていたベビーシッターやハウスキーパー、家庭教師、時々訪れる管理人、それぞれの業務報告書は全て残っていた。両親への定期報告を兼ねた報告書に添付された写真も残っていた。だから、自分史なんてものもなんとか書けた。


 次は、家族の絵だ。

 御子柴は真っ青な顔で頭を抱えた。

 ダメだ。両親の顔が思い出せない。何一つ描くことが出来ずに、ざわざわと賑やかな教室で、ただ鉛筆の先をじっと見つめていた。



 御子柴の父は概ね日本に居ない。東南アジアで複数の企業を経営している。母は、海外にも支店がいくつかある日本企業の代表取締役で、美人社長として時々テレビに出ていたりもする。この両親が揃うことはほとんどなくて、二人が会う時も海外が多いらしい。

 実家で過ごした小学校3年生の最初まででも、御子柴は両親に年に数回しか会わなかった。


 物心ついた時から自分の世話をするのはベビーシッターで、ハウスキーパーで、それから幼い時はナニー、幼稚園に通う頃からは家庭教師。

 自宅に戻らない両親は、複数の使用人たちを相互監視させた。そこで誰かが権力を握ったり、不当な搾取をしないように。だから、御子柴の世話をする人間は、曜日や時間を替えて複数人が同じポストを回していたし、長くても2年程度で変わった。

 両親は結果を求めている人間で、望む結果が出なければ家庭教師は変わったし、異なる方針を唱えでもしたら即クビだった。

 御子柴の両親は、息子を経営していたのかもしれない。


 御子柴はそんな使用人たちの中で、常に雇い主の息子として顔色をうかがわれながら育ってきた。

 そして、常に細心の注意を払われることや、自分のふるまいが相手の進退に関わってしまうこと、誰も自分に意見ができないことなんかに、逆に不安で仕方なくなっていった。


 小学校に上がった頃から、御子柴は毎日萎縮して過ごすようになった。情操教育の必要性を説いた家庭教師が解雇されてからだった。

 感情を表に出すのが怖い。自分のふるまいがこれで合っているのか不安で仕方ない。相手が何を考えているのかわからなくて恐ろしい。

 いつもお腹が痛くて、吐き気がして、食べることができなくなった。それがバレてしまえばハウスキーパーがクビにされてしまうとビクビクしていて、食事を隠して捨てた。

 優秀でなくては家庭教師もクビになってしまう。だから、必死で勉強した。地頭が良かったせいか、高校入試の問題集を平然と解けるようになった。だけどもっと優秀であらねばというプレッシャーに押しつぶされそうで、眠れなくなった。


 そのうちに、衰弱とストレスで夜尿症になった。それは完璧であらねばならない少年の心をいたく痛めつけた。不安で更に眠れなくなって、夜通しずっとトイレに通った。

 複数の使用人たちが隠しきれないほどに御子柴がボロボロになったときに、倒れて運び込まれた病院で診断を受けた。

 鬱と強迫神経症。

 それで、母方の祖母の家へと転がり込むことになったのだ。

 幸いなことに、御子柴にはそんな苦悩の時期の記憶がほとんどない。



 それから、両親に会ったのは何回だっただろう。

 テレビ電話なんかでは月に一度くらい話をするだろうか。だけど、いつもその瞬間はいたく緊張をしていて、胃がキュッと締め付けられている。顔も声も思い出せない。

 祖母との関係はまだ一年ちょっと。放任で快活な祖母は関わりにくい相手ではなかったが、まだ遠慮が勝る。


 家族の絵を描かないといけない。だけど、どうしたらいいかわからない。

 泣きたい気持ちで鉛筆を眺めていると、教室の一部から笑い声が響いてきた。


「おい、萩。お前の家族って犬なのかよー」

「どうりで萩ちん、犬っぽいと思った」

 授業中なのに人の輪に囲まれた萩野が、満面の笑みで胸を張って答える。

「これな、隣の家のコロ太郎。可愛いだろ?一緒に散歩に行ったりすんの!」


「それ、家族じゃないし」

「母ちゃんさすがに泣いてるぞ?犬に負けたって」


 賑やかな笑い声。楽しそうな人の声。窓から吹き入れる風にカーテンが揺れる。キラキラ、明るい色をしている。

 そんな光景が、突然御子柴の目の前に帰ってきた。


「あれ、みこくん珍しいな。真っ白だ」

 勝手に歩き回っても注意されなかったのをいい事に、真面目に絵を描いていた生徒まで席を離れていた。御子柴の机を覗き込んだ梶原が、ちょんと首を傾げた。

「うん……父さんも母さんもあんまり会わないから、顔が思い出せなくて」

 愛想笑いの口端を震わせて、御子柴が答える。

「ああ、うちもね、父ちゃんあんまり帰ってこないから想像で描いた!」

 梶原と並んでいた酒井が、自分の画用紙を広げて見せる。そこに描かれていたのは小さな弟妹達で、赤ちゃんがまん中に大きく陣取っていて、父母のサイズは親指大だった。

「サイズ崩壊……」

「手のかかる順」

「それ趣旨が違う、ってかお前が二番目なの」

「準主役ってことで」

「俺たちの二分の一成人式なのに弟に主役ゆずんのな」

「だって赤ちゃんかわいいよ」

 酒井は産まれたばかりの弟が主役の絵を自分で見て、嬉しそうににこにこ笑った。

 ちなみに梶原は、自分の机の上で、描いた絵を裏返し上手にバケツに斜めに引っかけて干している。見せる気はないらしい。


「僕は、何を描いたらいいかな……」

 御子柴は、少しだけ肩の力が抜けて呟いた。

 身の上話を積極的にしたことはないが、前に尋ねられた時に少しだけした気もする。この学校に来たばかりの時、御子柴はいつも余裕がなくていっぱいいっぱいで、色々な記憶がおぼろげだった。


「なぁ、みこくんも一緒にコロ太郎の絵を描こうぜ!」


 いつの間にか犬の絵を掲げて近づいてきた萩野は、ぐいっと水彩の滲んだ画用紙を近づけながら御子柴に迫った。

 乾くまで待ちきれずに動かしたため絵具が垂れていて、交じり合って言葉で表現できない色になった水滴がぽとりと床に虹を落とした。ピンクや緑の有り得ない色使いの、ちょっぴりキャラクターっぽい視界いっぱいの犬。御子柴の鼻先にまだ新しい絵具の匂いが漂ってくる。


「おい、萩。隣の家の犬でも家族じゃないし、何の関係もない家の見知らぬ犬はもっと家族じゃないだろ」

 梶原が呆れたように溜息をつく。その口元は笑っている。

「だってさー、思い浮かばないくらいならもっともっと家族じゃなくねえ?」


 御子柴の視界で、涙みたいな線を垂れさせながら、奇抜な犬が笑っていた。

 キラキラした色でいっぱいのこの犬は、萩野が描きたくて選んだもので。萩野の楽しさが詰まっていて。だから、雫を垂らしながらも笑っているのだ。


「……描こうかな」

 御子柴は呟いた。萩野が家族って言える犬ならば、楽しく描けそうな気がした。

「えっ、まじで?みこくん、はやまってる!」

「いやまあ、みこがいいならいいけど……」

 酒井が慌てて叫ぶ。梶原はそんな様子に苦笑して、それから少し考えたようにして口を開いた。

「っていうかさ、何で家族なんだろうな?今までの感謝をするのって、別に家族じゃなくてもいいのかも?」

「犬でも?」

「酒井は赤ちゃんじゃん」

「弟だから!かわいいから!」


「なー、せんせー!この絵って、家族じゃないとダメなの?」


 萩野は大声で、大賑わいの教室を見守っていた教員に尋ねた。そして、どうどうと犬の絵を掲げて見せた。

 萩野の傍若無人ぶりに慣れていた若い女性の教員は口元を歪ませて笑い、きっと諭す言葉を紡ごうとしたのだろう。


「今までありがとうって伝えたいの、家族以外の場合もあるかもしれないって思います」

 普段は落ち着いていて、そこそこ真面目な梶原が手を挙げて付け加えたのを見て、教員の口は止まった。


「そうだよなー。隣のオバちゃんとか、いつもおすそ分けくれるの、まじ感謝してるし」

「先生の授業でこうやって皆の絵が見られるのもさ。席につけー、黙れーって言われないからで、私、今感謝しまくりだしー」

「私、絵具が下手で手伝ってもらっちゃった……」

「うちのピアノの先生、もう止めよっかなって思った時に楽しさを教えてくれたの」

「萩野の犬よりうちの猫の方が可愛い。へこんでると慰めにきてくれるんだよな」


 思いも寄らず、教室のあちらこちらから賛同の言葉が飛び交った。

 そんな光景を呆然と見つめて、御子柴は自然に笑みを浮かべていた。

「僕は、友達のほうがいい」

 世界が、キラキラと輝いていた。優しくて、温かくて、大切だと思えるものがそこにはたくさんあった。


 教員は、いつの間にか目の端に浮かんだ涙をハンカチで押さえていて、震える声を張り上げて言った。

「そうですね!それでは、感謝を込めた絵にしましょう!」


「先生、犬は?コロ太郎!」

 萩野が身を乗り出して大きな声で尋ねた。

 教室中が笑いに包まれた。


 これ以降、この小学校の二分の一成人式は、家族に感謝するイベントではなく、大好きな世界に感謝するイベントになったらしい。



 発表会の授業参観。

 席順に感謝の手紙を読んで発表してゆく。

 今日も御子柴はお腹が痛い。教室の後ろにひしめいている余所行きの服を着た保護者たちのなかには、同居している祖母も交じっていた。

 だけど、それだけじゃなく、緊張感と共にどこか高揚も覚えている。不安なだけではない緊張を、御子柴は初めて知った。


「僕は、この学校に来て、友達の皆に出会って、とても感謝しています」


 ドキドキと胸を高鳴らせながら、たくさん、たくさん、少しずつ自分の内側に積もっていった感謝を言葉に乗せていく。やっぱり不安で、恥ずかしくて、でも誇らしい。


 発表が終わると、拍手に迎えられた。

「さすがうちの孫だねぇ」

 祖母のぶっきらぼうな声が響いて、教室に笑いを誘った。

 その賛辞が、御子柴にはなによりも嬉しい十歳の思い出になった。

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