賀ショート (AI side New star)
「早く、早く!」
急かすように慌てた声に顔を上げれば、彼女は以前よりずっと多彩に動かせる表情を最大限活用し困ったように眉尻を下げて、伸ばしても掴めない両腕を振った。
「流太郎、早く!もう始まっています!」
待ちきれずに何度も窓を振り返る少女の立体映像に思わず頬を緩めて、流太郎はようやく作業の手を止めて立ち上がった。
結んだ像は部屋の明かりの下にぼんやりと浮かび上がり、人形の身体からよりもずっと起伏のある声音が胸元のスマホから流れてくる。
そっと掌大の箱を持ち上げてベランダへと歩みを進めながら、流太郎はなぜこの精密機器を贈ってくれた人物が、いつも胸元にスマホを入れていたのか理解した。
部屋の外の暗がりに駆けてゆくペコの後ろ姿は、流太郎の手の中の箱から投影する放射状の道筋の全てが
掌に大事な彼女の仮本体を収めて、更に彼女の口であるスマホまで一緒に保持するのは困難であるし、出来るだけ近くで声を聴きたい思いもある。だから、胸ポケット。彼女の声を聴くためにこの位置は丁度いいと思えた。
卒業までの一年を試験勉強に費やして、卒業と共に理工学系の大学に学士入学という経路を選んで数年、滞りなく次の段階である大学院への合格を勝ち取った晩秋に。合格祝いという名の先行投資であると、流太郎はペコの製作者にこの高性能な機器を貰った。
短時間とはいえども簡単に人形の身体から離れられるようになったペコは、とても好奇心旺盛だ。それまで見ることが出来なかった世界を貪欲に欲して、事あるごとにこんな風に催促する。
それまではただ従順であった性格も、新たな頭脳を得たことで様々な側面を見せるようになってきた。
今だって、新年を迎えるカウントダウンの花火の音を遠くに聞き、待ちきれないように流太郎をベランダへと急がせている。
その生き生きとした様子が、流太郎にとっては何よりも愛おしく喜ばしい。
ガラス戸を引き開ければ、キリキリと冷たい風が肌を撫でる。
ガラスをすり抜けて走り抜け、ベランダの手すりに背をつけて待っているペコは、まだ落ち着きなくじっとりと流太郎を視線で促していた。
映し出された姿がベランダに到着していたとしても、実際のペコの目は流太郎の手の上に乗っている。生まれて初めて花火が見られると気が逸って仕方ないのだろう。
息も白むほどの冷たい風を感じない彼女に、この寒さを教えてあげたいような、一生知らずにいて欲しいような、相反した思いが沸き上がる。
だけどそのどちらもが、流太郎には楽しそうだと思えた。
「はい、お待たせ」
ベランダの手すりの上、一番周囲の障害物が少ない場所に手の上の箱を備える。壊したらきっともう入手できないだろう貴重なものだから、しっかりと両手で保持したまま。
その隣に並んだペコの映像は、建物の合間から少し遠目に空に昇る光の軌跡を見上げて、色鮮やかに咲いた花の光に目を見開いた。
像を結ぶことができない瞳が夜空よりももっと輝いて、興奮に頬が赤く染まる。見上げたままぽかんと開いた口があまりにも人間らしくて、流太郎は思わず笑いを零した。
「すごい、すごいです!」
言葉通りに瞬きを忘れて空を見上げたまま、ペコが歓喜にはしゃいだ声を上げた。
本当は瞬きを必要としない身体なのだ。高揚しすぎて取り
流太郎はそんな姿も微笑ましいと感じながら、響き渡る破裂音を背景にただ彼女の横顔を見つめた。ぼんやりとした明かりの中に浮かび上がる半透明のペコの表情は、空に浮かんでは消える色とりどりの光よりももっとキラキラして見えた。
新年へのカウントダウンが始まる。
等間隔で打ち上げられていく花火の一つ一つが、一年の終わりへと時間を誘導していく。
「新しい年が始まりました」
弾むような声音が耳に届くのと同時に、一斉に打ち上げられた花火が夜空を明るく彩った。
彼女と過ごす六年目の年が幕を開けた。
ペコと出会った時には思いも寄らなかった未来が、今ここにある。
そして、これから先も。きっと予想もつかないような人生を歩んでいくのだろう。
無難に過ごす事ばかり考えていたあの頃の自分ならば、きっと選択しなかった波瀾万丈な生き方。
その楽しさを、流太郎は今日もありありと実感している。
「終わってしまいましたね」
「次は夏だね。夏にはもっと近くで見ようか」
「はい、楽しみです」
煙を晴らした空は、控えめな星月夜。
流太郎に向き直ったペコの笑顔は、まだ眩しいほどの輝きを宿したままで。
「今年は、色々なものをいっぱい、いっぱい、流太郎と一緒に見たいです。見せてください」
「そうだね、色々な場所に行こう」
少し前まで欲しくて仕方なかった、彼女のおねだりまで聞けてしまうのだから。
新しい年は、きっと良い年になるに違いない。
新たな一年の始まりに、多くの期待と既にここにある幸福を抱いて。
流太郎は大切そうに箱を胸に抱き、中断していた作業へと戻る。
この幸福を守るためには、まだまだ知識も技術も必要だった。
だけど、歩んできたこの道が、確実に未来への希望に繋がっていると実感していた。
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