千年後(After time when it is long since then『拍動』)

 深い深い森の奥。

 都会のビル群の合間から見える空の狭苦しさに辟易として、僕は羽を伸ばす。

 随分と遠くまでこなければ、こんな景色も見られなくなった。


 人々はあの頃の不安を忘れたように忙しく過ごし。

 置いてきた何かに苦しむときもある。

 あの頃、当たり前に目の前に会った大自然を、こうやって切り取って繋ぎとめるくらいには。



「あっちにロイが好きな実をつけた木があったよ」

 マーゴが跳ねた背で振り返り、太陽みたいに笑って指し示す。

「どうせ食べれないのに」

「でも、飢えない」

 マーゴの笑顔は、僕と同じ造りとは思えないくらいに眩い。

 走り出すマーゴの後を追う。

 果実のぶら下がった梢を見上げながら、爪先立って背を伸ばしているマーゴ。

「飢えないから要らないんだろう?」

 幼い時と変わらない仕草に笑いが零れた。

 それは、奇跡のような微笑ましさで。

「だってさ、飢える人をきっと救ってくれる」

 変わらない無垢な心で、マーゴは心底嬉しそうに笑っていた。



 僕たちは同じ顔、同じ姿で、同じ時に生まれた双子だった。

 僕と弟の魂は、とてもとても近いものだったらしい。

 だからどこかでいつも繋がっていた。

 嬉しい時、楽しい時、悲しい時、苦しい時、恐ろしい時……

 僕たちの鼓動は同じように跳ねていた。

 この魂のつながりは珍しいもので、とても強い力を秘めていたらしい。


 マーゴがいなくなってからようやくその意味がわかった。

 弟が嬉しそうに見上げていた果実を前にしたって、僕の心に喜びは溢れない。

 懐かしい木々に囲まれて、失くした高く澄んだ空の匂いを嗅いだって、切なくはならない。

 色褪せた時間。景色。

 千年は、人にとって長すぎる時間だった。



「こんなところにいたのか」

 涼やかな声に誘われて振り向く。

 あの頃と同じ顔で。同じ姿で。数多のモニターが映し出す、流行りの洋服を着込んだ僕の主、アーサがそこにいる。

 あの頃と違うのは、ここにマーゴと彼の主がいないこと。


「マーニャは?」

 尋ねると、アーサは首を横に振った。

「もうどうしようもないだろう」

 普段から感情が覗かない彼女の声音は僅かに苦くて、彼女の胸に宿る僕を不穏に苛んだ。


 千年前、僕とマーゴが生まれた村にいた巫女姫のマーニャ。森に潜んでいた魔女のアーサ。

 彼女たちは、そのまた千年以上から生きてきた、双子の異能者たちだった。

 時によっては、奇跡の巫女であったり、悪魔であったり、秘匿された占い師であったり。何と呼ぶのが正しいのかわからない。

 そして、彼女たちは他者の魂を胸に宿らせ、千年自分の心臓の代わりに走らせていた。

 僕とマーゴみたいに力のある魂を生贄にして。


 僕は、アーサの胸の中で千年生き続けている。

 きっと人間には見られなかっただろう景色の移ろいを。徐々に失っていく、諦めていく感情を。


「そう、アーサは?」

 彼女は、僕の宿る胸を押さえた。

「私は……」

 彼女の魂もまた、マーニャに通じている。

 マーニャが、消費されてなくなったマーゴの代わりを探しているその想いだって、思考だって、どこかで共有して繋がりあってる。


 だけど、今は彼女の胸に宿る僕にだって、彼女の全部は繋がっていて。

 誰かを贄にすることへの苦悩も。姉を慮る優しさも。人に対する慈しみも。

 不安で胸いっぱいのその想いにだって。


 それを知ってなお、僕は言うのだ。


「僕は君のために千年走ったよ」

 アーサの胸の切なさは、僕という心臓に響く。

「君の胸が、僕以外を宿して千年生きていくなんて、耐えられない」

 マーゴが尽きてもう数年。

 残された僕の時間は、いくばくもないだろう。


 愛おしいアーサ。

 君を他の人間に渡すなんてこと。

 君をこの色褪せた孤独の中に置いていくなんてこと。

 考えたくなんてない。


 それでも僕はただ彼女の胸の中で走らされる心臓。

 選ぶ権利は、彼女にしかない。


「僕と、いこう?」


 あの日掛けられた言葉を君に投げかけて手を差しだす。

 アーサはそれに震える指を重ねた。

「もう少しだけ、お前と生きられるのだな」

 儚く笑う彼女を繋ぎとめる。

 永遠に続くはずだった彼女の時間を奪って。

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