第26話 同居生活

 王城を出た後、ロティは商業通りに足を運んでいた。

 魔物のドロップアイテムや鉱石類を売買する市場エリアで様々な素材の品定めをしたり、オーダーメイドを頼んでいる武器屋の店主に玉鋼を渡しに行ったりと、休日を謳歌している。

 昨日は〈死者の祠〉に出向き骨折して、今日の午前中は国王に時間を奪われてしまった。それに休みを終え、また明日からは魔導学園のつまらない抗議が始まるのだ。たまにのんびりとした時間を味わっても文句を言われる筋はないだろう。

(……でも、何か忘れてることがあるような気がしなくもない、こともないような)

 ロティは腕を組みながら露店を歩き回り、晩飯用に串焼きと焼きそばを購入し、その頃にはすっかり夕陽が落ちていた。ロティは「疲れたなぁ」と呟きながら寮の自室の玄関前に着くと、彼女の姿を見て忘却していた会話を強制的に思い出させられる。

 ――しばらくはアリアをロティの部屋で寝泊りさせることにしたのでな。

 ――もうアリアはお主の寮部屋に向かっておるぞ。先刻、馬車を走らせたところだ。

(し、しまった……!)

 顔に動揺の色を濃く浮かべたロティは、見下すような形でアリアを見つめる。

 彼の声に反応したアリアは、扉を背に三角座りをしていた。

 この部屋の主はロティであり、無論のこと入室に伴う解錠の鍵は彼しか持っていないわけで――アリアは部屋主が戻ってくるまで、ずっと待っていたのだ。恐らく、すれ違いになるのを避ける為、この場を離れはしなかったのだろう。その証拠にアリアの目尻に若干の涙が溜まっている。


「……ねぇロティ、わたしを散々待たせておいて、何が疲れたの? 聞かせてくれる?」


 怒りと冷酷さをない交ぜにしたような声音だ。アリアは静かに立ち上がる。


「ご、ごめんなさいっ!」


 ロティは地に膝を付き、両手を付き、最後に頭を付けて謝罪を述べた。



 二人はひとまず部屋に入ると、ロティが叩頭を続ける中、アリアは大量の荷物を片付けていた。それが終わると、彼女はベッドに腰を掛けて、エルシーが放つ氷よりも冷たい視線をロティに浴びさせる。


「それでロティ、何が疲れたの? 話してみてよ?」

「え、えっと……」


 ロティは言葉を選びながら頭を少し上げると、ぐにっ、アリアの小さい足が彼の頭部に乗せられる。いや、踏まれた。先ほど荷解きをしている途中、アリアはニーソックスを脱いで脱衣籠に投げていたので、彼の頭に密着しているのは生足だ。

 更に制服のスカート丈は短く、下手に視線を上げてしまえば下着まで覗きかねない。そんなことをしでかした暁には、アリアの冷たい眼差しは絶対零度に変わることだろう。

 彼は危機的状況を乗り越える為、一つ一つの行動に細心の注意を払いつつ口を開いた。


「その、午前は王城に呼び出されていて、午後は商業通りで買い物などを……その、オーダーメイドしていた武器屋に玉鋼を持ち込んだりとか」

「持ち込むだけならこんなに遅くならないよね? それに買い物って何? わたしがロティに部屋で住み込みになるの、お父様から聞いてるよね? それなのに自分の分だけ夜ご飯買ってきてるし」

「それは、その……」

「わたしが来るの、忘れてたでしょ」

「……はい……」


 ロティはアリアの怒りを最小限に留めようと慣れない敬語まで使用したが、どうやら彼女には全てお見通しのようだ。かく言う彼も、国王と作戦会議をしていた時点で、アリアが住み込みに来ることを忘れてしまっていた。そんなロティに反論の余地などありはしない。

 アリアは踏み付ける力を強めると、ロティは「ふぐっ」とみっともない悲鳴を上げる。


「わたし、怒ってるから」

「……分かってるよ、ごめん。どうしたら許してくれる?」


 心から謝辞を伝えると、アリアはちょっぴ機嫌を直したのか足を退けて、小声で条件を押し付けてきた。


「……ロティが焼きそば食べさせてくれたら、許してあげる」

「……え? ボクが、食べさせる……?」

「うん……」

「それって、ご飯を渡せばいいってこと……?」

「違う」


 ロティは殊更に曲解して聞き返してみるが、ずばりと否定されてしまう。”食べさせる”について、他に何かあるだろうかと思索してみるも、彫刻しか脳のない彼には思案に余ることであった。


「……ほら、小さい時はたまにしてくれたでしょ」

「でも、それは小さい時の話でしょ?」

「うるさい。ロティのくせに口答えするなんて生意気。しないなら許してあげないもん」


 完全に完璧に絶対に八方塞がりであった。確かに小さい頃は「あーん」などと声を発しながら彼女の口元に箸先を運んでいたこともあったが、それはあくまで理性や知性が欠けていた幼少期の話だ。常識が欠陥しているロティでも、青年期の彼ら彼女らが「あーん」をする理由や意味くらいは理解している。

 こと彫刻については天才の域すら超えるロティだが、他に関しては平凡かそれ以下だ。恋仲の真似事など彼には難易度が極端に高すぎる。しかし、今のロティにやらないという選択肢はない。


「……上手く出来るかわからないよ?」

「別にいいもん」


 アリアは白い頬を朱色に染めると、ぷいっと顔を逸らしてしまう。それから顎をくいっと動かす。早くしろ、ということらしい。ロティが食卓に腰を掛けて手招きをした。一人暮らしの彼には持て余すほど大きい食卓には四つの椅子が添えられている。アリアは向かい合わせではなく、彼の隣の椅子に座り込むと静かにロティを見据えた。

 ロティもまた、アリアを見返す。彼女はぷくりと頬を膨らませて、ロティが焼きそばのパックを開封するのを待っている。ロティは括り付けられた輪ゴムを外しながら、再度彼女に問いかけた。


「本当にやらなきゃだめ?」

「だめ」

「絶対?」

「絶対」

「…………」


 彼は己の行動を決意するまでに一分ほど時間を要して、ようやく同梱されていた木箸を割った。

 アリアの小さな口の中に収まる程度の焼きそばを絡み付けて、恐る恐る彼女の口元に近づけていく。


「は、はい……あーん……」

「あ……っん」


 伸びてきた舌で掬うように焼きそばは彼女の口の中に吸い込まれた。綺麗な形をした唇がソースで軽く汚れる。上品な食べ姿を見せた後、ごくりと焼きそばは胃に落ちた。最後に彼女は舌で唇周りを一周なぞり、にやぁと嬉しそうに笑う。

(……っ〜〜、ボクは一体全体なにをやっているんだっ!)

 ロティは平然を装いながら、心の中で暴れる衝動を必死に抑えた。


「ロティ、もう一回。あーん」

「わ、わかったよ……あーん……」

「っ……ほら、もう一回……」


 彼は頭の中を空っぽにして、拷問にも似た行為を続けるのだった。

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