第24話 《慧眼》

「――ッ、はぁ、はぁ……」


 早朝の寝覚めは最悪だった。

 ロティは息を切らしながら、冷や汗でびしょびしょになった寝巻きを脱ぎ捨てる。

 まるで記憶を焼き直したような夢だった。ここ最近、見ることのなかった昔の夢。それを今になって見たのは、恐らく先日の奇襲のせいだろう。ロティの命を狙わんとする暗殺部隊が現れたことによって、記憶の隅に閉じ込めていた過去を無意識のうちに蘇らせていたのだ。

 彼はグラスに水道水を注いで飲み干すと、伝書鳩が投函する窓箱に一通の封筒が入れられていることに気づく。


「なんだろう……?」


 裸体のまま小さな封筒を手に持つと、彼は「げっ」と嫌そうな声を漏らした。

 赤と金を混合した薔薇を擦り込んだ封留めのシールは、王家の者が文通を差し出す時に使用される物だ。すなわち、王族からの手紙ということ。こんな物を寄越してくるのはたった一人しかいない。


「そろそろ来るとは思っていたけど、あんのクソジジイ……」


 ロティは頭の中で国王が愉快に微笑んでいる姿を想像して、封筒の中身を取り出した。手紙の内容は、『至急、王座の間まで来るように』と一文だけ綴られている。彼は封筒ごと手紙をビリビリに破り捨てた。




 煌びやかな装飾が施された大扉を潜ると、瞬く間に締め付けられる緊張感が漂ってきた。豪奢に宝石が埋め込まれた王座の主を護衛する『王国魔導騎士』が、ギロリと刺々しい視線をロティに向ける。しかし国王が手を一振りすると『王国魔導騎士』は主に従い、緊迫感を薄めた。壁際で国家予算の資料を捲るバファロスもロティを一瞥する。

 衆目の的になった当の本人と言えば、さして気にした様子も見せず、ずけずけと王座に近づいた。


「よく来たな、ロティ」

「爺さんが呼び出したんだろ。それで今日は何の用だよ?」


 王座の手すりで頬杖を付く国王は、少しだけ間を置いて『王国魔導騎士』とバファロスに指示を与える。


「ロティと二人きりになりたい。少しばかり席を外してはくれぬか」


 指示とは名ばかりの命令に、『王国魔導騎士』は素直に従い退室をするが、何故かバファロスは押し黙ったまま国王とロティを据えた。


「バファロスよ、早く退室せぬか」

「……いえ、ワタシには国王を護る任もあります故、護衛も付けず二人きりにするのは……」

「くどいぞバファロス、早くせぬか」


 国王が低い声で告げると、バファロスは苦渋の色を顔に浮かべて、渋々といった様子で部屋を出ていく。

 珍しく過度に不満な態度を取るバファロスを不思議に思いつつ、大扉が隙間なく閉じられたところでロティは国王と向き合った。この王座の間は、北の魔導学園を運営する学園長の魔導、《結界》で防音効果が備えられている。扉の向こう側で耳を欹てていようとも、音が漏れる心配はないだろう。


「ふむ、ではまず、先の襲撃の件について話すとしようかの。ロティたちが捕縛した計十二名の暗殺集団と、その首謀者について調べた結果だが、何も分からなかった」

「……何も? あんたの《慧眼》を持ってしても分からなかったのか?」


 国王の魔導、《慧眼》は人の全てを見抜く能力だ。国王が《慧眼》を発動させると彼の瞳には金色の輝きが浮かび、相手の本質を見抜くことが可能である。善人か悪人か、本音か嘘か、至る所まで見抜くその能力の成果もあり、近年スカーレット王国は目覚ましい発展を遂げているのだ。

 定期的に王城に立ち入る者や騎士団の者を《慧眼》で測り、選別をすることで王族の周りには善良な心の持ち主しかいない、というのは国中でも知れた話である。故に《慧眼》で捕らえた覆面男たちを見極めれば、その能力の応用で首謀者すらも探ることは容易いはずなのだが……。


「計十二名の暗殺集団は自害してしまったのだ。皆が口の中に毒薬を仕込んでいたらしく、吾輩が調べる前に死んでしまったわ」


 と、《慧眼》を発動出来なかった理由を淡々と述べた。《慧眼》は生きる者にしか干渉出来ないと国王は説明する。


「それじゃあ暗殺集団を送り込んできた奴も、結局分からずじまいってことか……」

「そういうことになるな。ただ、これは吾輩の勝手な推測であるが、今回ロティを襲撃するように命じた首謀者は――お主の父親を殺害した首謀者と同一人物かもしれぬ」

「ボクもそう思うよ」


 ロティはコクリと頷いて相槌を打つ。あの場で妬みや憎みを買うのは地位的にロティかアリアしかいないが、『王国魔導騎士』の隊長を務める男すら赤子を捻るように倒しているアリアを狙うとは考えにくい。それに、初手で放たれた投げナイフはロティを狙い定めたものだったし、かつて彫刻師の父親を殺害したように今回も彫刻師であるロティの命を奪わんとするのなら、これ以上の共通点はないだろう。


「うむ。今回の件は吾輩も独自で調査を進めておく。万が一に備えて、しばらくはアリアをロティの部屋で寝泊りさせることにしたのでな、そちらも頼んだぞ」

「うん、わかった……って、は?」


 ロティはぽかーんと開いた口が塞がらなかった。


「……アリアと一緒に寝泊りって、ボクの聞き間違いだよな?」

「ちゃんと聞こえておるではないか」

「な、なんでボクがアリアと一緒に寝なきゃいけないんだよっ!」

「そんなに慌てるではない。小さい頃に何度かアリアとも寝ていたではないか」

「それは小さい時の話だろ!? というか何年前の話だよそれ!」


 ロティは必死に叫んで抗議してみるも、


「もうアリアはお主の寮部屋に向かっておるぞ。先刻、馬車を走らせたところだ」

「測ったなこのクソジジイ……」


 既に時遅し。ロティを呼び出し、王城に招き入れた時点で国王の独壇場だったという訳だ。

(ボクたちはもう十五歳だぞ!? 同じベッドの上で寝るだなんて冗談じゃない!)

 彫刻しか脳のないロティとは言え、もう年頃の男の子だ。彼自身、男女の関係を取り持つのは素敵なことだと考えているし、何しろ偉大なる彫刻家の父ですら、貴重な彫刻の時間を割いてまで母に惚れ結婚しているのだ。それすなわち、人の愛情は芸術を上回るということ。

 青年期真っ盛りなロティにとって、幼馴染とは言え客観的に見ても超が付くほど可愛い外見を持つアリアと同じ屋根の下で寝るのは、骨折して彫刻が出来ないことよりも問題であった。


「そう睨むでない。吾輩は寛大だからの、別に何か不味いことが起ころうとも、見て見ぬ振りをしてやろう。…………もし二人が結ばれればロティは吾輩の子にもなるのだ。さすれば、彫刻像も作ってもらい放題というわけで……」

「おいこら、最後のが本心だろ」

「はて、何のことかさっぱりだな?」

「この野郎……」


 ロティは今すぐ国王の珍妙な髭を削ってやろうかと熱り立ったが、左腕を治療してくれた魔導使いが『しばらくは安静にしておくように』と警告していたのを思い出して、彫刻刀を取り出すまでには至らなかった。代わりに希少鉱石でも強請っておこう。そう画策するロティであった。


「さて、ここからが本題であるぞ。もうすぐ吾輩の生誕祭が開かれるわけだが……」

「断る」

「……まだ最後まで言っておらんだろうが。それで昨年と同様に、王城前の広場で吾輩を模した彫刻像を展示したいと考えていてるのだ。昨年は立ち姿だったからのう、今年は王座に腰を掛ける吾輩を作って欲しいのう」

「だから、断る」

「近年、鎖国気味である隣国、ペンドラゴン王国と希少鉱石の取引が出来るよう、吾輩が直々に取り計らってみてもいいのだがな。もちろん、ロティが引き受けてくれるのであればの話ではあるが」

「……そんなこと出来るのか? 外交を全て拒否してるって噂だけど」

「国王自らが出向くのであれば話は別であろう?」

「……むぐぐ」


 王族が外交に訪れるとなれば、確かに相手国も無視は出来ないだろうが……何より、隣国のペンドラゴン王国には珍しい鉱石が沢山あると聞く。まだ見ぬ希少鉱石を求めてしまうのは彫刻家としての本能だ。


「……わかったよ。だけど国王誕生祭は警備が手薄になるし、もしかしたらまた何か仕掛けてくるかもしれないよ」


 首謀者は〈死者の祠〉の帰り道で暗殺を仕向けてくるような、狡猾な知恵と行動力を持つ輩だ。どうして三人が〈死者の祠〉に出向くことや、その日程まで向こうが把握していたのかは不明だが、国王生誕祭に乗じて手を出してくる可能性は十二分にある。『王国魔導騎士』の連中は王族に張り付きの護衛となるだろうし、一般兵ですら広い王都の見回りをしなければならないのだ。ロティに優秀な騎士を回す余裕はあまりないだろう。


「……ふむ。それも含めて作戦会議といくかのう」


 国王は目を細めて、にやりと愉快そうに笑って見せた。

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