第23話 悪夢

 その日、父親は展覧会に出席をしていた。

 齢十のロティは邪魔になるからと家で留守番をしている。いつもなら彫刻像を観て興奮する彼を同席させていた父親だが、今日は珍しく自宅待機を命じてきた。それだけ父親にとって大掛かりで重大な展覧会なのだ。ロティは幼いながらに展覧会の重大さをよく理解していたので、父親の仕付けを素直に聞き入れた訳だが。

 何しろ、今日は毎年開催される国王誕生祭の日。父親は国王直々に展覧会を開いて欲しいと頼み込まれているのだ。最大のアピールの場、これを利用しない手はない、絶対に成功させる。そんな意気込みを口癖のように呟きながら徹夜の日々を過ごしていた父親をロティは尊敬しているのだ。邪魔するなど持っての他である。


「……それにしても、遅いなぁ」


 と、ロティは自室の窓から空を仰いだ。先ほど就寝の鐘が鳴ったのと、月の位置から察するに、現時刻はちょうど二十四時くらいだろうか。魔導具の《時を刻む針》は王城と中央広場にしか備え付けられていないので正確な時刻は不明だが、きっとそれくらいだろう。

 となると、父親が家を出たのが確か早朝六時頃だったから、もう十八時間は外出しているのかとロティは両指を使って計算をする。父親は遠方での素材集めや貴族との会食で帰りが遅くなることも度々あったが、その際はいつも伝書鳩を飛ばして遅くなる旨をロティに伝えていた。

 しかし、父親が帰宅するどころか伝書鳩すらロティの元には飛んできていない。

 窓を開け、上体を乗り出して左右の通路を見渡してみるが、父親が歩いてくる気配すら感じない。


「……探しに行ってみるか」


 もしかしたら疲労が嵩張り、王城の客室でぐっすりと眠っているかもしれない。

 安直な考えを浮かべたロティは窓を閉じようとしたところで、ふわり、冷ややかな風が彼の首筋を撫でた。


「っ…………」


 念の為、父親が気分転換の為に好んで入っていた路地裏なども捜索して、見落としがないようにしよう。そう考えを纏めたロティは薄めの外套を羽織り、戦闘用の彫刻刀が差し込まれている腰ベルトを装着して家を出た。

 路地裏に足を踏み入れる直前、彫刻刀の持ち手部分に軽く触れ、馴染みの感触を確認する。

(大丈夫、彫刻刀はボクを支えてくれる)

 不安の唾を飲み込んで、ロティは路地裏に入った。

 路地裏は外灯がなく暗闇に包まれている。月明かりも満足な視界を得るには物足りない。真っ黒な影が蠢くように路地裏を揺らめく。この時間帯の路地裏に齢十ほどの少年が飛び込むなど、ロティ以外にはあり得ないだろう。魔物との戦闘を幾千と繰り広げてきたロティだからこそ、臆することなく立ち入れたのだ。

 とは言え、路地裏が好きだからといって、ここに父親がいる保証はどこにもない。この道を選んで王城まで向かった理由の九割以上がロティの勘である。だが、戦闘で習得した鋭い勘が当たりやすいのもまた事実。この勝負強い勘があるからこそ、鉱山などで希少鉱石を発見しやすくなるのだ。

 しかし、今回に限って言えば、それとは別種の勘。もしくは、感覚だろうか。この路地裏に誘われているような気がしてならないのだ。


「すんすん……なんだろう、この匂いは……?」


 ふと、異様な匂いが漂ってきてロティは足を止めた。

 湿気とカビ臭さが充満する路地裏に、混じり込むような別の匂いが……。


「……鉄の匂い、か?」


 純度の高い鉄を近くで嗅いだような、いや、それよりも少し生臭さがある。何方かと言えば魔物を削り倒した時のような、血腥さが――


「っ……まさか――」


 そこまで推察したロティの頭の中に、嫌な予感が走った。

 彼は疾行して細い道を右へ左へと駆けていく。

 そして辿り着いた先には、


「な、なんで…………どうして…………」


 建物に貼り付けられたように引っ付いた、ロティの父親の死体が。

 流血が酷く、よく見ると腹部や四肢が細く貫かれている。その貫通した傷口には見覚えがあった。目を凝らして地面を探ってみると、へし折られた彫刻刀が幾つも散らばっている。恐らく、敵が父親の息の根を止めた後に、無残な姿に成り代わる前の彫刻刀で滅多刺しにしたのだ。

 快活に家を出た父親は、惨たらしい姿となってロティの前に現れた。

 その現実は、齢十の少年にとって、既に片親しかいなかった彼にとって、酷く重いものだった。


「あぁっ――――――」


 静かな夜に、少年の叫び声が殷々と響いた。

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