第10話 世界に愛されている
初の実技講義はロティが大暴れしたせいで中止となり、訓練棟に出払っていた学徒は第一教室に戻ってきていた。女教師とホギル、デジは医務室に向かい、教室内にいる学徒には自主学習が命じられている。伯爵家の息子を怪我させたとあっては、学園の立場が危うくなるのだろう。非番の回復系統魔導を使う教師が呼び出されていたくらいなので、そちらを優先しているに違いない。
しかし、各々の学徒が教材と睨め合いをしている中、ロティは不機嫌そうに腕を組んでいた。ホギルに勝利したことで多少は溜飲も下がっているのだが、終わり際の一言がロティの神経を逆撫でていたのだ。とはいえ、今更追い討ちをかけに行くことも出来ない。完全な消化不良である。
「そんなにイライラしないの」
「だって、あいつが余計なことを言うから」
「落ち着いてよ。ロティもやり過ぎなところあるし、塵芥も同然の相手にわざわざムキになってもしょうがないでしょ。……それに、今のロティはちょっと怖い」
横に座るアリアが、顔を俯けてそう言う。
彼が彫刻にどれだけ心血を注いできたのか、良く理解している彼女だからこそ、適当に宥めることは出来なかった。アリアがロティに対して常に本心を吐露するのは、それが理由である。
「……ごめん」
ロティは獰猛的になり過ぎたことを反省すると、アリアの頭を撫でた。
「っ〜〜〜〜……や、やめてよ……」
「いつも助けてくれてありがとう」
「ふ、ふんっ……お礼を言われる程のことじゃないもん……」
アリアはぺちんと手を払い退ける。
(……ホギルのことは水に流すか。アリアに暗い表情をさせたくはないし)
ロティは苦笑いしながら、ホギルのことは捨て置いた。彼もこれ以上、ロティに執着することはないだろう。万が一にもホギルが身の程を弁えなければ、その時は完全に潰してやればいい。
そう策略をしているロティは、しかし、それでも苦悶していることがあった。
(……あの仮面の男、ボクの斬撃を軽々と打ち消していたよな)
ロティは前列の席で教材を読み込んでいる仮面の少年を睨んだ。
純粋な心持ちで放った斬撃ではないにしろ、それでも希少鉱石さえ削り落とす強力な一撃だった。それを鮮やかに受け止められて、彼は自分のプライドがへし折られたような心地になっていたのだ。
「アリア、あの仮面の男のこと、何か知ってる?」
「ううん、見たことも聞いたこともないよ」
「そっか……得体の知れない奴だな」
「ロティも人のこと言えないけどね」
「……ボクは普通だよ」
ロティはそう表明をすると、椅子から立ち上がり、前列の方に足を運んだ。
顔上半分を仮面で覆っている少年の目の前まで移動すると、ロティは彼を値踏みするように下から上へと視線を動かした。無駄な贅肉がない鍛えられた細い身体に、仮面の目穴から覗く翡翠色の瞳、煌びやかとした金髪。まじまじと見つめていると、仮面の少年が居心地が悪そうに口を開いた。
「ぼ、僕に何か用かな?」
「……さっきは助かった、ありがとう」
「う、うん、どういたしまして」
ロティは彼の人柄を見極めようと、更に舐めるような視線を向ける。
「ボクはロティ・ペディアス。君の名前は?」
「な、名前? ……ルリアスだけど」
「家名を名乗らないってことは平民なの? とても平民の育ちには見えないけど」
「結構、人目を憚らずに尋ねてくるんだね……あはは、そうだよ。僕はルリアス、ただの平民さ」
そうなんだ、とロティは短く返事をして腕を組んだ。
自主学習を命じられている中、場違いな行動を取るロティに嫌な視線が多数投げられる。
しかし、彼は気に留めることなく、思量を重ねた。
(……何か裏がありそうだ。ただの平民がボクの斬撃を打ち消せるわけがない)
それに、仮面を被っていることが、何か隠し事をしている良い証拠だろう。ただ、ルリアスが正体を秘匿にしたいと言うのなら、ロティもズケズケと踏み入るわけにもいかない。
「あのさ、彼女が僕たちのこと睨んでるんだけど、放っておいて大丈夫なのかな?」
ふと、横槍を入れるようにルリアスが顎をくいっと動かした。
その先には、朱色の毛先を指に巻き付けて、ぷくーっと拗ねたように頬を膨らませているアリアがいる。
「……大丈夫、じゃないだろうな」
「ロティ君も大変なんだね」
「ルリアスの内事情よりかはマシだと思うけど」
「あはは、やっぱり遠慮の無い物言いだね。嫌いじゃないよ、そういうの。まぁなにはともあれ、これからよろしく頼むよ」
ああ、とロティは相槌を打って、アリアの元に戻る。
(……やっぱり、底の知れない奴だ)
アリア以外の同年代を相手にして、戦って勝てないと思わされたのは初めてだった。
***
講義を終え、放課後。
瞳に怒気を孕ませているアリアは、学舎裏でひっそりと佇んでいた。
彼女の周りの空気は緊張している。世界に愛されているアリアが怒りの感情を芽生えさせるだけで、弛緩していた空気が一変したのだ。ただの空間が、生物でもないのに、彼女に怯えたのである。
そして、アリアの目前には、虚な目をした複数の男子学徒――
ホギルを筆頭とする、デジとその取り巻きがいる。
アリアが指音を鳴らすと、彼らはハッとして周囲を見渡した。
「ぼ、僕様がどうしてアリア様とこんなところにいるんだぁ……!?」
「ここに来るまでの記憶がないげじ……」
「――”うるさい”」
アリアが命令をすると、彼らは発言の許可を取り下げられた。
ホギルは大きく目を見開くと、歯を喰いしばって何かを訴えようとしている。
しかし、それがアリアの気分を余計に害した。塵芥以下の外道共が、王族の前で騒ぎ立てるなど論外だ。
「わたしと同じ目線で物を語っていいのはロティだけ。塵芥共のくせに頭が高い。”叩頭して”」
「「「――ッ!?」」」
アリアが彼らの深層意識を強制的に操ると、ホギルたちは瞬く間に地を這う。
頭を地面に擦り付ける彼らを眺めていると、アリアの荒々しい気が少し治るが、それは一時的なものに過ぎなかった。彼女はホギルの頭を踏み付けると、恐ろしく低い声音で語りかける。
「ロティに傲岸不遜な態度を取っておいて、このわたしがタダで済ますわけないでしょ?」
言葉を言い切る前に、アリアはホギルの頭部を蹴り飛ばした。
廃棄物が風に飛ばされるように、ホギルは地面を転がっていく。先ほど魔導使いに治療されたばかりだからか、ホギルの身体に通常以上の激痛が奔った。
彼女は更に追い討ちを掛けにいく。治った肋骨をまた砕くように、革靴の先端をのめり込ませた。そして再び、彼女はホギルの頭部を蹴り飛ばす。
アリアの革靴の爪先部分に真紅の血が付着した。
「ロティに手を出したら、どうなるか、教育してあげるから」
今度はデジの腹部を踏み捻る。
付着した血を拭うように、何度も、何度も。
「あはっ、あはははははっっっ――」
学舎裏に彼女の哄笑が高々と響いた。
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