第5話 エルシー

 二人が第一教室に入室すると、既に半分以上の学徒が着席していた。

(あのデジとかいう奴に時間を取られすぎたな……)

 ロティは軽率な行動をしてしまったことを反省する。

 彼はデジという少年の実力を見誤っていた。家名を名乗っていたので、デジは貴族の息子なのだろう。それ故に幼少期から戦闘の英才教育も施されているのだろうが、小太りな外見上、素早い動きは出来ないだろうと高を括っていた。


(そういえば爺さんも言ってたな、人を見た目で判断するなって)

 そもそもの話、彼らは入学試験で優秀な成績を収めているからこそ、この第一教室に配属されているのだ。完全に盲点である。きっと寝不足のせいだろうとロティは自分を誤魔化して、二人は後列の椅子に腰を掛けた。


 ふと、ロティは最前列の席に座っている男がこちらを睨んでいることに気づく。


「アリア、あのホギルって奴がボクたちを睨んでくるんだけど」

「わたしも巻き込まないで、ロティのことを睨んでるんでしょ」

「ボク、なにも悪いことしてないのに……」


 アリアが呆れた眼差しでロティを見やる。


「ホギルのことを蹴飛ばしたでしょ?」

「でも、あれはやられたからやり返しただけで……いや、ちょっとやり返しすぎたかもしれないけどさ」

「それがロティのダメなところだもん。あれでもホギル率いるバルバリオン家は伯爵の地位を持ってるんだから。貴族を蹴り飛ばすなんて言語道断だよ」

「確かに……って、あれ、ボクのほうが爵位高くない?」

「ぽっと出の公爵を敬う貴族はなかなかいないよ」


 ロティは「むぐぐ」と唸ると、ホギルに対して、遠くから軽く頭を下げておいた。

 するとホギルの顔は上気して、こめかみを引き攣らせる。

 他人の感情の機微に疎いロティでも、ホギルがなにやら苛立っているのは理解できた。


「あーあ、わたし知らないからね……?」

「いざとなったらアリアの魔導があるし、きっと大丈夫」

「他人の魔導をいいように扱わないのーっ!」


 講義が始まるまでの間、ロティはアリアにこっぴどく説教されるのだった――。



***



 結局、デジとその取り巻きは午後の講義から参戦していた。

 あの物陰で長らく拘束されていたようだ。

 教室に現れたデジたちは真っ先にホギルの元へ向かい、会話が漏れないように耳打ちをしていた。事の終始を報告していたのだろう。密告を受けたホギルは歯軋りをしながらロティを睨んでいたので、間違いないはずだ。


(面倒な事にならなければいいけど)

 ホギルからの視線を無視していたロティは短絡的な考えを浮かべていた。袂を分かちたくとも、これから同じ教室で過ごす学徒なのだ。無難に過ごせるのならそれに越したことはない。


 そして一日の講義を終えると、放課後。

 アリアが迎えの馬車に乗り込むのを見届けてから、ロティは魔導学園の敷地を跨いで外に出る。


 新工房にて作品作りをしていたロティだが、完成に必要な素材が不足していたのだ。事前に発注しておいたのにも関わらず、彼はパーツを受け取りに行くことをすっかり忘却していた。


 ロティは王都北部に位置する商業通りまで足を運ぶと、慣れた足取りで大通りを進んでいく。太陽の光を煉瓦作りの地面が反射していて、この一帯だけが別世界のように色付いている。活気溢れる人々が行き交い、道端に串焼きや果物を売りに出している出店が立ち並んでいるのを横目に、ロティは小さな路地裏へと左折した。


 周囲の喧騒が遠くなる。

 大通りとは正反対に湿った細道を辿っていくと、


「や、やめてくださいっ――」


 何処かから、あどけない少女の声が響いてきた。

 ロティは何事かと小首を傾げて、耳を攲てる。


「近寄らないでください――」

「まぁまぁ、いいじゃねェか」

「オレらとちょっと遊んでくれればいいからよ」


 声の発生源は、どうやらロティが辿る道の途中にあるらしい。

(ナンパでもされてるのか? ……弱ったな)

 下手に巻き込まれるのは御免だ。しかし、ロティが素通りすることによって少女にもしものことがあれば寝覚が悪くなる。沈鬱な心構えで作品作りをするのは、彫刻師としての矜恃が許さない。


 ひとまず様子だけでも見てみるかと、ロティは忍び足で通路を進んでいく。

 曲がり角で身を潜めながら、ひっそりと先を覗いてみると――空色の髪を背中まで流した少女を、大柄で野蛮そうな男が二人が囲っていた。

 ロティは目を見張り、彼の中で少女を助けることが決定事項となる。


「ほら、オレたちについてこいよ――」

「やめろよ」


 男が少女の手を掴もうとして、その前にロティが男の腕を握り取った。

 彼らは瞬時に現れたロティに驚きながら、咄嗟に腕を引こうとするが、


「これは忠告だから、やめないのなら――」


 引き抜けない。

 ロティの圧倒的な握力により、男の腕がメシメシと異音を立てる。


「こ、こいつ『王国彫刻師』のロティ・ペディアスだぞ!? 早く腕を抜け! 逃げるぞ!」

「ば、馬鹿野郎ッ! 抜けねェんだよッ!」


 男が思いっ切り引っ張ると同時に、ロティも腕を離してやる。腕が抜けた男は尻餅をついて倒れると、もう一人の男に介抱されながら去って行った。

 ロティは武力行使も視野に入れていたせいか、男の情けない遁走姿に呆気なさを感じていると、背中をちょんちょんと突かれる。


「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます……」


 後ろを振り返ると、少女がスカートをきゅっと握りながら謝辞を述べた。


「いいよ、気にしないで」


 ロティは適当に返事をして、彼女を見やる。

 雪を連想させる白い肌に、華奢な身体付き、艶のある唇に、愛嬌のあるつぶらな瞳、そして――軽騎兵の装備を形取った純白の制服を着用していた。

 ロティの正義感を駆り立てた一番の理由はその制服にある。

 少女も魔導学園の学徒なのだろう。同じ学徒を見捨てたとあっては、それこそロティの沽券に関わる。


「ロティさん、ですよね……?」

「ボクのこと知ってるんだ」


 少女はクスッと微笑むと、諭すように言葉を続けた。


「『王国彫刻師』の名前を知らない人はいませんよ。それに、私とロティさん、同じ第一教室の学徒ですし」

「…………ごめん、全然知らなかった」


 ロティは居た堪れない空気を誤魔化す為に、明後日の方向を向く。


「あはは、大丈夫ですよ。……そういえば自己紹介も挨拶もしてませんでしたよね。私、エルシーと申します」

「エルシーか……うん、覚えた」


 家柄を名乗らないということは、平民の身分なのだろうか。

 貴族でも平民でも、ロティにとってはどうでもいいことではあるが。


「えへへ、これからよろしくお願いしますね、ロティさん」

「こちらこそ。よろしくね、エルシー」


 エルシーは嬉しそうに口元を緩めた。

(……こういうのを、友達って呼ぶのかな)

 ロティにとって、同年代で親しい仲と呼べるのはアリアしかいない。

 彼は新しい知人が出来たことに、胸を躍らせていた。

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