第4話 戦闘

 カーテンの隙間から朝日が差す。

 新工房に深夜遅くまで入り浸っていたせいか、ロティの目元にはクマが出来ている。彼は欠伸をかみ殺して目元を擦ると、上体を起こした。

(……そうか、ここは新しい住居か)


 以前根城にしていた貸家を引き払って、ロティは魔導学園の敷地内にある学生寮に居住を構えることとなった。

(それにしても――無駄に豪奢な部屋だ)

 学生寮の最上階の一室を分け与えられたロティは、ここが貴族専用の部屋だと知らずに入居している。本人はあまり自覚していないが、ロティは立派な公爵の地位を持つ貴族だ。低い地位の貴族や平民よりも優待されるのは当然である。


 ロティは準備を済ませると、学生寮を出た。

(サボりたいけど……さすがにアリアに怒られそうだな……)

 と、彼は胸内で思う。

 今日から本格的に魔導講義が始まるらしく、彫刻しか脳のないロティにとって時間を割かれるというのは最上の苦痛である。

 ロティは憂鬱な顔付きで学舎に向かっていくと、ふと、後ろから声が投げられた。


「――ロティ・ペディアス!!」

「誰だお前は……?」


 気怠そうに振り返ると、背丈の低い小太りな少年がいた。

 肌が焼けていて、焦げ茶色の短髪もベタベタしていそうな光沢を放っている。北の魔導学園の制服は白色だが、噂に聞く南の魔導学園の制服は黒色らしい。彼は南の魔導学園のほうが似合いそうだなとロティは考えた。

(芸術性に欠ける奴だ)

 少年に悪い印象を掲げていると、彼は脂肪で膨らんだ胸を張った。


「デジ・ボルトル――それがデジの名前であるげし」

「ああ、そう」

「噂通り、彫刻以外のことは興味がないみたいげしね」


 げしげし。

 デジは独特な笑い方をすると、早々に用件を伝えてくる。


「ちょっとツラを貸してもらうげし」


 デジがそう口にすると、さらに二人の男子学徒が現れた。

 三人はロティを囲むように配置している。

 逃がす気はないということだろう。


「……わかった。手短に頼むよ」


 ここは魔導学園の敷地内だ。

 実践形式の講義以外は、無断の魔導使用を堅く禁止している(アリアはしょっちゅう無断使用している)。

 それに、ここの学園長は《結界》の魔導を応用して、学徒が決まり事を破らないか行動を監視しているらしい。下手に問題を起こすようなことはしないだろう。

 ロティは安直な結論を導き出すと、デジは上手くやったと言わんばかりに愉快な笑みを浮かべた。




 隣接する学舎の間の物陰までロティは連れて行かれた。

 周囲に通行人はおろか、物音すらしない静謐な場所だ。僕は学舎の白壁を背にして、三人の様子を伺った。

 デジは腰にぶら下げていたバトルグローブを手に嵌めている。

 他二人は腰に携えた真剣には触れず、ゴキゴキと指を鳴らした。


(そういえば此奴ら、ホギルとかいう男を真っ先に介抱していた――)

 なるほどな、と。

 ロティは自分が呼び出された大方の理由を察した。

 そして答え合わせをするように、デジが言葉を放つ。


「難儀なことでげし、ロティ・ペディアス。君がホギルさんを攻撃をしなければ、痛い思いもせずに済んだのにげし」

「アイツが先に足を引っ掛けてきたんだけど?」

「君がそのまま転んでおけばよかったげし。そうすれば『王国彫刻師』であるロティ・ペディアスの無様な姿を世間に吹聴できたというのにげし」

「……あれはそういうことだったのか」


 ロティは思わずため息をついた。

 崇高な彼を零落させようとする輩は両手の指で数えられないほどいたが、まさか魔導学園の内部にも似たような輩がいるとは。手段も狡猾極まりないし、醜い悪意を感じさせられる。

 ロティは憮然と肩を落とすと、彼らに提案をしてみた。


「騒ぎになる前に見逃してくれないか?」

「それは無理な相談げしね」


 デジはにべもなく拒否をした。


「それなら後でホギルって男にも謝っておくから」

「それも無理な相談げし」


 もはや取り付く島もなかった。

 建物の隙間を縫うような微風がロティの前髪を揺らす。

(……あー、面倒だな……)


 どうやらロティを貶めるのは決定事項のようだ。言葉を弄してもデジはまるで聞く耳を持たなかった。ホギルのことを慕っているようだし、彼から指図された行動かもしれない。

 ロティは顎に手を添えて思考を巡らせていると、次の刹那。

 ――取り巻きの男が、飛び蹴りを繰り出してきた。


「喰らえッ!!」

「お、っと……」


 ロティは身体を捩って回避する。

 その際に相手の足首を掴んで体勢を崩してやると、男は左半身を後ろの壁に打ち付けた。


 さらにもう一人の取り巻きが殴りかかってくる。

 ロティは右手の甲で相手の腕側部を叩いて軌道を逸らすと、もう片手で相手の左頬に拳をのめり込ませてから、後ろにステップして距離を取る。

 取り巻きの二人は痛覚に悶えながら、おもむろに立ち上がった。それを静観していたデジは「ふん」と鼻を鳴らす。不意打ちが決まらなかったことに苛立ちを覚えたのか、彼は舌鋒鋭い眼差しでロティを見据えてきた。


「意外とやるげしね。だけど、お遊びはここまでげし」

「……ボクはそのまま降参してくれると嬉しいんだけど」

「まだデジが残ってるでげし」


 そう吐き捨てると、デジは重心を低くして拳を構えた。

 取り巻き二人は行末を見守るように後退していく。三人同時に攻めてくるのは、この手狭な空間では悪手になりかねない。それに、ロティに与えられたダメージが大きかったようだ。


(……あまり隙がないな。少しは苦戦しそうだ)

 と、ロティはデジの構えを見て感嘆した。

 彼から溢れ出る緊迫感が、ロティの首筋に冷や汗をかかせる。


「行くげしッ!!」

「ッ……!?」


 デジがロティの顔面目掛けて拳を突いてくる。

 ロティは反射的に首を傾けて回避するが、僅かに拳が頬を擦過した。

 想像以上の素早い突きに対応が遅れてしまう。

(くっ……太ってるくせに、すばしっこい奴だな……!)


 ロティは悪態をつきそうになりながら、デジから繰り出される追撃を避けていく。彼が装備しているバトルグローブの先端には鉄製の突起がある。一度でも命中すれば大怪我は免れないだろう。

(剣を抜かれるよりは、マシだけどさ……っ!)

 こと格闘術においては、デジに武があることは間違いないだろう。そもそもロティは中距離戦闘を得意としているのだ。地の利は相手にある。

 ただ、彼がどれだけ有利な環境下でも――



 ロティとデジとでは、絶望的なまでに戦闘経験の差がありすぎる。



 最初は油断こそしたが、既にロティは彼の格闘術の大部分を見抜いていた。魔導を織り交ぜた戦闘であれば、デジももう少しは奮闘できたかもしれない。ロティは呑気にそんなことを考えた。

(そろそろ終わらせるか)


 頭部目掛けて放たれた突きを、ロティはかがみ込んで回避する。

 そのまま曲げた膝をバネにして勢いよく上げ突きをするが、デジはギリギリのところで上体を後ろに逸らして避けた。

 しかし、デジは無茶な避け方をした反動を受けて千鳥足になる。

 ――ロティはそれを見逃さない。


「チェックメイトだ……ッ!!」


 すかさずロティは回し蹴りをすると、


「――”動かないで”」


 透き通った声でされ、その場にいた全員が動作を止めた。

 否、止められたのだ。

 いつの間にかそこに立っていたアリアによって。

 彼女は朱色の髪を靡かせながらロティに近づくと、彼の頬を思いっきりつねった。


「いだっ、いだいいだいっ!?」

「昨日目立つようなことはしないって約束したばかりだよねっ! ロティは気を付けるって言ったよねっ! それなのにもう忘れてるじゃんっ!」

「ご、ごめ……いだいっ!?」


 ぱちん。

 アリアがロティの頬を限界まで引っ張って離した。

 すると、ロティだけ停止の命令が解除される。

 ロティは頬を摩りながら、涙目でアリアに謝罪をした。


「わ、悪かったよ……そんなに怒らないで……」

「怒るに決まってるもんっ! ロティのあんぽんたんっ!」


 アリアは頬をパンパンに膨らませると、ロティの手を取って学舎の中へと向かった。


「あの三人は解除しなくてもいいの?」

「うん、ロティに喧嘩を吹っかけた罰だもん。それに、そのうち効力が弱まって勝手に解除されるよ」

「そっか……」


 ロティはぼんやりと天井を見上げながら歩いて、


「アリア、助けてくれてありがとう」


 彼女に感謝を告げた。

 もしあそこでデジを蹴り飛ばしていたら、因縁を付けられて学園内で問題になっていたかもしれない。さすれば彫刻をする時間も少なくなっていただろう。


「っ〜〜〜〜!! ど、どういたしまして……っ!!」

「うん、ありがとう」

「一回言えばわかるもんっ!!」


 謝辞を伝えても不機嫌なアリアが、ロティにとっては一番の強敵かもしれない。

 彼はそんなことを考えながら、第一教室に入室をした。

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