5.雪の花舞う頃 ⑤
バスにゆらゆらと揺られ、変わっていく景色を眺めていく。見慣れない白の世界が楽しい。
鷹雪くんの目はまだ覚めない。バスが揺れるたび、鷹雪くんの身体も揺れている。そのたびに、ドキドキしてしまう。
鷹雪くんの髪のにおいがする。
当たり前だけれど、うちとは違うシャンプーのにおい。
男の子用のシャンプーなのかな。ミント系の、鼻をすっと通っていく感じのにおいだ。
髪を撫でるとそれがより感じられる。
うちのシャンプーの香りも好きだけれど。
鷹雪くんのシャンプーのにおいもいいなあ。
「ううぅ~……う?」
気の抜けた声のあと、ゆっくりとまぶたが持ち上がって、待ちわびていた深緑色が顔を見せてくれた。
メガネがなくて視界がぼやけるのか、目を細めている。
初めて見る鷹雪くんの顔だ。
――そういえば、おにいちゃんもメガネやコンタクトをしていない時はこういう顔をしている。
視力が悪い人は、みんなこうするのかなあ。
ちょっとだけ、マネをしてみたけれど。
私は視力が悪くないから効果がよく分からない。
ぶさいくな顔になっていないだろうか。
「鷹雪くん、おはよ」
こそっと囁けば、驚いたように目を見開いて私から離れていく。
鷹雪くんが触れていた箇所はぽかぽかとあったかかったから、ちょっと残念だ。
ぱちぱちと数回まばたきをして、鷹雪くんはまた目を細めた。
「うわ!? 亜子ちゃんなにその顔、どっ、えっ、気持ち悪い!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫、だいじょうぶだよ」
そんなに変な顔だったのだろうか。
眉間から力を抜き、いつもの顔に戻す。
「鷹雪くんの真似してみただけだもん」
「俺……? ああ、そんな顔してた?」
「してた」
「マジか。この癖やめよ……」
「べつに、変な顔じゃなかったよ?」
なんというか、凛々しい?
私はきっとおかしな顔をしていたと思うけれど、鷹雪くんは素材がいいから。
どんな表情でもかっこよく見える。
恋は、盲目? と言うやつではない――とは思うけれど。
「ううん、そういう訳じゃなくて。元々変な顔だしそれはいいんだけど。亜子ちゃんがさ、まねするから」
「まね?」
「亜子ちゃん結構俺のまねするじゃん。それはかわいくていいんだけどね。うん。めちゃくちゃかわいい。――でもね、これは、まねして欲しくなくて。亜子ちゃん視力がいいのに、悪くさせちゃったら申し訳ないというか……」
小学校のころ、隣の席の女の子が、先ほど鷹雪くんがしていたように、目を細めていたらしい。黒板の文字が見えづらくて。
視力が悪い子で、その日はたまたまメガネを忘れてしまったのだとか。
その頃の鷹雪くんはまだ視力が良くて、メガネをかけなくても黒板が見えていた。なんとなく、目を細めるのがかっこよく感じて、その女の子のまねをしていた鷹雪くん。すると、先生に「目が悪くなりますよ」と言われてしまったそうだ。
それから数年経ち、鷹雪くんの視力は落ちしまう。メガネをかけていないときは、どうしてもピントが合わせづらくて、いつの間にかこのくせがついてしまったのだとか。
「そっか。気をつけます」
「俺も気をつける。はは、亜子ちゃんにまねされたくないことをやめていかねば」
「たとえば?」
「ん~? なんだろ、癖って無意識だから自分ではわかんないっすね。わかり次第、言っていきます」
「はいっす」
「――つーか寝てましたね俺!ごめん!」
他のお客さんの迷惑にならないよう、ふたりでひそひそと話す。
内緒話をしているようで、なんだか楽しい。
なにかを探しているのか、辺りをキョロキョロと見回している。どうしたんだろう。なにか無くしちゃった?
ちいさく「メガネ……」と呟いていることに気がついて、慌てて鷹雪くんのメガネを手に取る。
それを渡すと、すぐさま装着。
やっぱりメガネが似合う人だなあ。
いつもの鷹雪くんに戻った。
それからなにかに気がついたのか、ぽっと顔を赤らめて手で覆った。
「うわー、そうか亜子ちゃんに寝顔を……うわぁ」
「そ、そんなに見てないですよ」
本当はたくさん見ちゃったけど。
それは黙っておこう。
「……恥ずかしいもんは恥ずかしいんです」
しゅん、といつもは凛々しい眉毛を垂らしている。
顔もそらされてしまった。
こんな風に照れている鷹雪くん、珍しいかもしれない。
「ごめんね」と謝れば「亜子ちゃんのせいではないですし」とこっちを向いてくれた。
「あれ。そういえばなんでメガネが……」
「ご、ごめんなさい、落ちそうだったから、外してそこに」
「あ。マジすか。ありがとう、助かりました」
そう言ってから、鷹雪くんは黙り込んでしまう。
私の顔を見ながら、なにか言いたそうな顔。
メガネのつるを持ったり離したり。
もしかして、私が触ったせいで壊れてしまったとか!?
それは大変だ。
「メガネ、おかしい……?」
「え、いや、全く!……ただね、はじめてだなあって」
「はじめて?」
「メガネ。誰かに外してもらうの」
メガネを少しだけ持ち上げて、鷹雪くんは優しくほほえむ。
――鷹雪くんのはじめて。
またひとつ、知らないあなたを知れた。
今回の旅では、あなたのことをたくさん知ることができたらいいなあ。
「あ、雪だ」
「うん、そうなの、それで鷹雪くんに話しかけようとしたら眠ってて」
「亜子ちゃんあったかくて。なんか気がついたら寝てましたよ」
「私も。鷹雪くんがぽかぽかしてて」
お互い顔を見合わせて笑った。
どうしてだろう。
私たち、似ているところがあるような気がする。
そうこうしているうちに、目的地に着いた。
バス停で降りて、荷物を取り出す。相変わらず重たい荷物。背負うと、ふらふらと身体が持っていかれてしまう。
そんなに私が危なそうだったのか、すかさず鷹雪くんが荷物を預かってくれた。
初めて降り立つ長野の地。
県庁所在地である、長野県松本市。
鷹雪くんと並んで歩いていく。
雪がちらちらと舞っている。
まだ積もってはいなくて、いつものアスファルトの感触がする。けれど、地面からは冷たい空気が感じられた。
私の住んでいる街よりも、空気がヒヤリとしているような気がする。気温が低いんだ。この街で、鷹雪くんは生まれて育った――。
胸の奥が、じわりとあたたかくなる。
たくさんたくさん、鷹雪くんが見てきたものを見て帰ろう。
「長野到着ー!っすね。どうすか、感想は」
「感想……白い?」
「ははは、そうだね、白いね」
私のリュックサックを背負った鷹雪くんは、笑った拍子によろめいていた。
――やっぱり、お荷物、持ってきすぎたかしら。
代わりに鷹雪くんのお荷物を預かり、背負う。
軽かった。
「さてさて!」と鷹雪くんはわざとらしく言って、手を差し出す。
あの日のように、ちょっとだけ緊張したような笑顔。それでも大きな手は変わらない。
「転んだら困りますので」
その手をしっかりと握りしめた。
鷹雪くんの頭にはちょっとだけ雪が乗っていた。
その雪は、すぐに溶けてしまった。
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