5.雪の花舞う頃 ①

 物置部屋でなにやらごそごそと音がする。

 よもやドロボウではあるまいかとハエたたきを装備して音のする方へと忍び足。

 そういえば亜子ちゃんはどこに消えたのだろう。先ほどから姿が見えない。

 まさかドロボウに捕まってあんなことやこんなことに!?

 ――それは少し見てみたい。と思ったことは亜子ちゃんには秘密である。

 それに、亜子ちゃんのふわふわやわらかボディに触れていいのは俺だけだ!誰にもさわらせたりはしない!覚悟ドロボウ!

 と、気合を入れてハエたたきを握り、物置部屋を覗き込む。

 すると電気がついており、茶色い頭がもぞもぞと動いていた。大きなダンボール箱の中に落ちそうになっている。



「亜子ちゃん?」



 救出してあげると、いつものかわいい笑顔を見せてくれた。

 ドロボウに見つかり、ダンボール箱に埋められていたのだろうか。



「た、たすかりました!」

「ううん、大丈夫? ドロボウどこ?」



 と声をひそめる。大きな声を出したら敵に見つかってしまう。それなのに、亜子ちゃんはお構いなしに「ドロボウ?」といつもの調子で首を傾げる。



「この部屋から怪しい音が……あれ。消えたな」

「……もしかして、私かな?」

「亜子ちゃん?」



 亜子ちゃんがゴソゴソとダンボール箱の中を漁ると、先ほどまでの音がした。

 なるほど。

 ドロボウではなく亜子ちゃん。



「なにか探してた?」

「うん。お仕事で使うものをちょっと」

「手伝うよ」

「あ、ううん、それはもういいの、見つかったから。――いまはね、ちょっと、なつかしいものを見つけて」



 亜子ちゃんの手にはアルバムが握られていた。

 にこにこと笑ってそれを見せてくれる。



「写真?」

「うん、長野のときの。覚えてる?」

「もちろん。亜子ちゃんとはじめての旅行だ」



 高校最後の年。

 俺の誕生日。

 ふたりで行った長野。

 俺の故郷で、雪を見て、鷹を探して。

 それからホテルで1泊。勘違いしてはいけないが、なにもなかった。ただただ、ホテルで1泊しただけ。おなじベッドで寝たが、本当になにもせず1泊しただけ。



「なーつかしいなー……」

「また行きたいね」

「うん」

「次こそは、リベンジです!」



 それは、なにをだろう?

 亜子ちゃんは懐かしむようにアルバムをめくっている。

 こんな風に、アルバムを作ってくれていたんだ。

 全く知らなかった。驚きと嬉しさが込み上げてくる。

 たくさん写真を撮っていたもんなあ。

 建物と風景ばかりだけれど。

 どれも一緒に見た景色で、思い出がよみがえってくる。

 自分の生まれ育った街なのに、知らない街のようだ。

 亜子ちゃんのかわいい瞳に映る世界は、こんなにも美しいのか。



「亜子ちゃんの写真すき」

「あ、ありがとう……?」

「でももっと、俺を撮ってくれてもよかったのに」



 亜子ちゃんの世界の中に入り込みたい。

 しかし、俺みたいなやつが入ってもいいものか?

 気がつけば顔と顔がふれあいそうなほど接近していた。

 亜子ちゃんをじっと見つめてみるが、この子は気がついていないよう。

 真剣といった顔でアルバムに視線を落としている。

 そして、ぐっと気合を入れるように、こぶしを握った。



「それもリベンジですね」

「嬉しい。よろしくね」

「えへへ……ってわー!? ち、近いっ!」



 握られた亜子ちゃんのやわらかなこぶしがこめかみをかすめた。

 冷や汗がたらり、流れた。

 亜子ちゃんのこぶしは、やわらかいけれど。

 あれが頭に直撃したら……?

 今俺はここにいるだろうか。

 おなかや胸のあたりは殴られた(?)ことがある。それは痛くなかった。全く。

 しかしそこは鍛え上げた筋肉によって守られている。

 だが、頭は。鍛えることが出来ない。

 俺の硬直に気がついたのか、亜子ちゃんは「はっ!」と自分のこぶしを見つめていた。

 それから俺とこぶしを交互に見、きれいな土下座をした。



「ごめ、ごめんなさいっ、危なかったですよね、あわわ」

「いえ、だ、大丈夫っす、よ!当たらなかったし!」



 ――肝は冷やしたけれど。

 かすめたけれど。

 当たらなかったし。

 亜子ちゃんの頭をむりやり上げさせて、ようやく土下座を解除することができた。

 しおしおとした表情をしている。



「亜子ちゃんパンチは何回も食らってるから気にしなくていいっすよ。痛くないし。ただ、頭に当たったらやばいかなーとは、うん、そこだけ気をつけてくれれば」

「うん……そういえば、このときもパンチ、しましたね」



 と、亜子ちゃんのかわいい指先はホテルでの俺たちをさしていた。

 ベッドの上でふたり、身体を寄せ合っている。

 パジャマで緊張したような表情。

 ――初々しいなー、俺たち。青かったなあ。あのころは。

 俺は「うん」と頷く。殴られた記憶がはっきりとある。頭ではなく、おなかを。



「あのとき、鷹雪くん、……」

「ん?」

「……本気じゃ、なかったんだね」

「え。あー、……どうだったかなあ」



 ははは、と笑ってみせる。

 亜子ちゃんはなんでもお見通しか。

 懐かしそうにまたアルバムを眺めている。



「えへへ。この鷹雪くんかっこいい」

「えっ、どれどれ」



 かっこいい俺とな。

 亜子ちゃんの指さす写真を覗き込む。

 松本城を背負い、俺が振り返った瞬間をとらえていた。降りしきる雪の中。烏のような黒の天守が堂々と聳えている。

 俺の瞳は緑色に輝いていた。この視線の先にはカメラを構えた亜子ちゃんがいるのだろう。だらしない表情をしている。かっこつけたいのに、亜子ちゃんを見て顔がゆるんでいる。口は間の抜けたように小さく開いている。

 かっこいいのか、これは。

 わからない。亜子ちゃんの感性は時々謎だ。



「このお写真、お気に入りなの」

「へ、へー……よくわかんねスけど」

「お城かっこいいでしょ、鷹雪くんもかっこいいでしょ、あとね、雪も降ってて。鷹がいれば完璧だったんだけど」



「写真のことは全然わかんないですけどね」とおどけたように続けた亜子ちゃん。



「でも、このお写真1枚で『鷹雪くん!』って感じがして好きなんだ」

「ほーん……」

「あ!ばかにしたでしょ」

「え、してないしてないって!ただ、亜子ちゃんにはこの写真がそんなふうに見えてたんだなあって感心してただけです」



 そうか。

 松本。

 雪。

 あとは鷹があれば。

 俺になる。



「今度はもっともーっと!かっこよく撮るからね」

「へへへ。よろしく」



 それからふたりでアルバムを眺めた。

 この時はこんな話をしたね、ここはきれいだったね。そんなことを語り合いながら。

 写真を見ているだけで、その時の情景が思い出される。不思議だ。

 亜子ちゃんと同じ思い出を共有している。

 それだけでうれしい。



「あれっ、なんだこれ」



 亜子ちゃんがドアップで写っている。ピントがあっていないのか、ぼやけていた。

 そのすぐ横には、俯いている俺。

 眠っているのだろうか。

 背景から、バスの車内のようだ。

 俺は知らない。

 こんな写真を撮っていたなんて。

 亜子ちゃんは「ふふふ」と笑っている。



「えー、なに、撮ってたの」

「ごめんなさい」

「いや、いいけどさ……」



 そうか。

 そういえば、あの時はバスでの移動だったなあ。

 俺たちが結婚をする、ずーっと前。

 高校3年生の冬のこと――

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