4.ごっこ遊び(仮) エピローグ
◇◇◇◇
亜子ちゃんに爆弾を炸裂させてしまった日の翌日。
今日もお弁当を作ってもらえた。
俺好みにしょっぱく味付けをしてくれた卵焼き。
彩りと栄養を考えて入れられた緑黄色野菜。
俺が太らないようにと気を使ってくれたサラダチキン。
小さなカップに入ったグラタン。――これは冷凍食品だけれど、亜子ちゃんが愛情を込めて丁寧に解凍をしてくれて、さらにきれいに詰めてくれた。それだけで100点満点である。
そしていい塩梅でわかめが混ざったわかめごはん。
亜子ちゃんの愛がたっぷり詰まっている。
ごちそうさまでしたと手を合わせ、黄色の風呂敷でお弁当箱を包む。
それを見ていたのか、受付のお姉さんに背後から声をかけられた。
「松本さんのお弁当、かわいい包みですね」
「あ!いやいや俺の趣味じゃなくて」
「奥さんですか?」
頷いて答える。
受付のお姉さんは「まあ」とほほを赤らめる。「ラブラブなんですねえ」ぐう。無意識に惚気けてしまったようだ。
急に恥ずかしくなり、リュックサックのファスナーを開ける。――と、例のアレが底に埋まっていた。
「ギャッ」
「どうかしました?」
「な、なんでも!」
カバーをつけてもらっていてよかった。
お姉さんにあらぬ疑いをかけられるところだった。しかも冤罪を。
「じゃあ俺そろそろレッスン行くんで! 午後もがんばりましょー!」
怪しかっただろうか。
小さく首を傾げたお姉さんは「がんばってくださーい」と手を振ってくれた。
早いところ、あの有害図書を返却しなければ。
こういう日に限ってなかなか先輩と会うタイミングがないのはなぜだろう。
◇◇◇◇
今日のレッスンを終え、事務所には俺ひとり。
デスクで事務作業を片付けながら、時計を見遣る。
やけに針の進みが遅い。いつもと同じ時を刻んでいるはずなのに。今日は遅く感じる。
カチ、カチ、カチ。
ああ焦れったい。
時計の進む速度を変えれば、1秒も短くならないだろうか。時間は誰にも平等だ。それはわかっている。わかってはいるけれど。今日だけは早く時が過ぎてほしい。
リュックサックの奥深くに眠るアレが、持ち主の終業を待っている。
レッスンを終えたらしい先輩がようやく事務所に戻ってきた。外は夕焼け。
室内には俺と先輩のふたりきり。こんなベストなシチュエーションはあるだろうか。
「先輩……マジ許しません」
「ああ!昨日は悪かったな、助かったよ」
「こっちは助かってないのですが……?」
と件の漫画を差し出す。
シンプルなデザインのカバーで覆われているそれは、傍目からは過激な有害図書だとはわからないだろう。亜子ちゃんのファインプレーである。めちゃくちゃに褒めてあげると、亜子ちゃんが喜ぶ。それはもう、猛烈に。
先輩は不思議なものを見るように、くるくると何度も裏返しながらそれを観察していた。
「なにこれ」
「妻がつけてくれました」
「あー!見つかっちゃったの!ゴメンゴメン。……読んだ?」
「読んでません」
ちょっとだけ嘘をつきました。
数ページをぱらぱらと読みました。
「奥さんは? なんか言ってた?」
「わけわかんないとか言ってました」
「ええ?」
「『女の子がふたりいる時点でわけわかんない』とか、『女の子の口に変なもの入れるなんておかしい』とか……なんか色々と」
「内容について!? うはははっ、奥さんが読んだの!? つーかなにその感想、奥さんかわいーね」
亜子ちゃんがよくするように、目を据わらせてじっと見つめておいた。亜子ちゃんがかわいいのは間違いないけれど、この人に『かわいい』と言われるのはなんだかムカつく。
これは、やきもちなのだろうか。
独占欲なのだろうか。
「口で、とかしないの?」
「……ないない、ないっすないっす。触るのすら怖がってるっすから……つうかそれセクハラですよ」
「うははっ、悪い悪い」
全く悪いと思っていない顔をして笑っている。
こういうところなんだと思う。
彼の家でなにが起きたのかは知らないけれど。
「亜子ちゃん――うちの妻はピュアでそういうの耐性ないんで、今後はマジ一言ください、マジ……昨日は大変だったので……」
「こっちも死活問題でな……」
「そもそもこーゆーの買うなって話です」
「松本も持ってるくせに」
うぐ。
いや。
弁明をさせていただくと、いまは持っていない。
いまは。いまは。いまは!
「お、俺にはかわいいかわいい妻がいますので!そういうのは要らないんです!」
「最初だけだろー、そんなの」
うはは、と先輩は朗らかに笑う。
ちなみに先輩は今年で結婚5年目のベテランである。聞くところによると、もう男女の関係は無くなってしまったそうだ。子どもがいると、自然とそうなってしまうのだとか。
俺たちはどうなのだろう。まだ3ヶ月。俺は毎晩でも亜子ちゃんを堪能したいとは思っているけれど。それはさすがに亜子ちゃんが可哀想なので自重をしている。つもりである。昨日だってきちんとがまんができたのだ。やれば出来る男なのである。
――俺は、いつだって亜子ちゃんを求めているけれど。
亜子ちゃんは、どうなのだろう。
それに、子どもができたら。
変わってしまうのだろうか。
――いや別に一生亜子ちゃんとそういうことをしたいとかそういう訳でないのだけれど。
セックスだけが結びつきというわけでもない。
愛というわけでもない。
愛の伝え方なんてたくさんある。
お弁当だって、ココアだって、愛情のひとつだ。
セックスがなくなったって、俺たちが離れ離れになるわけでもない。生活は続いていく。
亜子ちゃんも、変な心配をしていたけれど。
そんなことだけで心が離れてしまうような、そんな不安定な関係ではない。そうだよね。亜子ちゃん。
きっと、俺たちにそんな日が来ても。
黙り込んでしまった俺を心配したのか、パンパンと肩を叩かれた。顔をあげれば先輩が覗き込んでくる。
「冗談だからな、そんな真剣に考えるなって」
「……ウス」
「いまはいまで、めいっぱい堪能したらいいよ。いましかできないこともあるだろうしなあ」
いましかできないこと。
亜子ちゃんとふたりのときにしかできないこと。
ふたりの思い出を、たくさん作ること。
まだまだ俺たちは夫婦になったばかりで、周りからはおままごとのように見えているかもしれない。子どもが夫婦の真似事をしているだけ。
それでも、精一杯ぶつかり合って。
お互いを知って。
胸を張れる夫婦になれる日がくるから。
「飲みにでも行くかー?」
「ごめんなさい、今夜は先約があるので」
リュックサックを背負い、先輩に頭を下げる。「お疲れさまでした!お先です!」なんだかリュックサックが軽くなったような気がする。
廊下で受付のお姉さんとすれ違い、ぺこりと頭を下げた。「いつも帰るの早いですね」と笑われた。そりゃあもう。大事な大事な奥さんが待っておりますので!とは豪語できず、笑ってごまかした。
携帯電話を確認すれば、いつものようにメッセージが入っている。短文と、よくわからないスタンプ群。俺も負けじとスタンプを返した。
かわいいかわいい亜子ちゃんが待っている。
猫たちと一緒に。
あのあたたかくてにぎやかなお部屋で。
おいしいごはんを作って。
今日もココアを買って帰ろう。いや、やはり栄養ドリンクにしておこうかな。亜子ちゃんが苦手なら俺が飲んでもいい。少しの間寒いけれど、家に着いたら亜子ちゃんのあたたかさであたためてもらおう。
今日はまだ空が明るい。白い月が薄く空に昇っていた。
茜色の夕日を浴びながら、自転車を飛ばした。
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