4.ごっこ遊び(仮) ⑨

 唇と唇がふれあいそうになって、寸前でピタリと止まる。

 すぐ近くにあった体温は、ぱっと消えていく。

 蛍光灯によって逆光になっている鷹雪くん。表情はよく見えない。耳の端が赤いのだけわかる。



「ごっ、ごめん!ごめんなさい、大丈夫、大丈夫です」

「……」

「本当になんでもないっす、条件反射というか」



 極力私の方を見ないように、がんばって顔を逸らしている。ぎゅ、と目をつむって。

 ――私の方を向いて。

 あなたの瞳がみたい。

 鷹雪くんの服を掴めば、少しだけ、こっちを向いてくれた。



「鷹雪くん……キス、する?」

「え」

「き、キスの、まだ、ですし」

「……スイッチ、入っちゃうかもですよ」



 こつんとおでことおでこがぶつかる。

 きれいな瞳。それをもっと、見たくて。

 近くで感じたくて。

 レンズ越しでもきれいだけれど。

 直接見たい。見つめられたい。

 メガネに手を伸ばして。

 プラスチックのつるを掴む。


 ――と。



「わあっ!?」

「え!?どした、亜子ちゃん」



 私のつま先になにかが当たっている。

 ふさふさとあたたかい。

 それはいつもみたいに、「なーん」とのんびりと鳴く。

 まるまると太った身体を私の足に擦り付けている。



「……あう、鷹丸が、足のとこにいる」

「うあ……あいつ起きたのか。お、小夏も来ましたね」

「……ふふふ」

「……はは。やっぱり今日はやめとこうか。明日もお仕事ですし。うん」



「また今度」と囁かれ、うなずく。

 鷹雪くんの声は、胸の奥でよく響く。

 メガネをかけ直してあげて、頭をぽんぽんと撫でてあげる。少しだけ不貞腐れたような顔をして、それからメガネの位置を直している。

 身体を起こし、鷹雪くんの隣に座る。

 それを待っていたのか、鷹丸が私の膝にぴょんと飛び乗った。ごろごろとのどを鳴らしている。



「えへへ。たーくん。私がいじめられてると思ってきてくれたの?」

「えー!俺いじめてないし」



 鷹雪くんは小夏ちゃんを抱き上げ、膝に乗せていた。肉球をぷにぷにとしながら遊んでいる。

 ――あのまま。鷹丸が来てくれなかったら、どうなっていたのだろう。

 鷹雪くんを見つめれば、まだ少しだけ赤い顔。

 私の視線に気がついたのか、にっと笑ってくれる。



「俺ばっか亜子ちゃんに聞いちゃったけど。亜子ちゃんから、なにか言うこととか聞きたいことありますか」

「なにか……うーん。――あ。鷹雪くんも、素直になってほしいな。がまんとか、しないでほしい。めちゃくちゃなことはダメだけどね!? 変なことは、ダメだけど。私に遠慮しないで、いいから」

「素直に、がまん、すか」

「うん……なにか、ある?」



 ちらりと私を見て。

「でもなー」とか「まだなー」とか、いろいろと唸っている。

「なあに?」と鷹雪くんの服をひっぱれば、小さくうなずいて口を開いてくれる。



「さっき、見て『ありえない』って言ってたけど、舐められる方はどうなの? 亜子ちゃんは」

「へ? 舐め……?どこ?」

「亜子ちゃんの、大切なところ?」



 と、鷹丸がいるあたりへと目線を下げていく鷹雪くん。私の大切なところ。私も目線を下ろしてみる。と、鷹雪くんの言いたいことがわかった。



「ふええ!? えっ、き、きたないよ……だめですよ」

「俺、は、俺のも舐めてほしいし、亜子ちゃんも舐めたい、とは、思ってる」

「ほえ……」

「あ、でも!いますぐとかじゃないし!亜子ちゃんの覚悟ができるまで待つし、イヤイヤはしないし」



 手を握られて。

 じっと見つめられる。

 真剣な瞳。

 ――なめる、って、鷹雪くんのお口が私の……私の口も、鷹雪くんの……想像しただけで頭が爆発しそうだ。

 なんでそんなことをするのだろう。そんなことをしたいのだろう。

 気持ちがいいから?

 信頼とか、そういうこと?

 もし、できなかったら――

 愛が足りないとか、そういうことになってしまうのだろうか。鷹雪くんは、えっちで変態で本当にえっちだけれど。それでも、好きだし、愛しく思っている。その気持ちは変わらないけれど。でも。

 鷹雪くんが望むことなら。してあげたいけれど。

 ――でも、まだ、怖い。



「これが、俺が我慢してることっす」

「うん……」

「あれ!? あ、亜子ちゃん、なんで、泣いて……」



 言われて初めて涙を流していることに気がつく。

 慌てて拭っても追いつかない。

 ぽろぽろと溢れてくる。



「ご、ごめん、いやだった?」

「ううん、そうじゃないの。もし、もし、ね」

「うん」

「できなかったら、私のこと、きらいになっちゃう?」

「え……」



 鷹雪くんのことを困らせてばかりだ。

 どうして。

 本当に私は、要領が悪くて。

 なんにも知らなくて。

 甘えてばかりで。


 のどの奥が熱い。

 こんな顔見られたくない。

 それなのに、鷹雪くんのやさしい手に頬をはさまれてしまう。

 顔を持ち上げられて、やさしい瞳と見つめ合う。

 鷹雪くんは、にこりと、いつものやさしい笑顔をしてくれている。



「それくらいで亜子ちゃんのこときらいになったりしねえって」

「……ほんと?」

「あはは、亜子ちゃん変なとこでネガティブだね。大丈夫です。つーか、俺もこんな変なもん舐めるとか口に入れるとかめちゃくちゃ覚悟いると思うし。こわいし。――そもそも、セックスだけが全てじゃないでしょ。俺は、亜子ちゃんのピュアでちょっと天然でかわいいとこが大好きなので!セックスは好きだけど、でも亜子ちゃんと一緒にいる時間が一番好きだよ。なんかさ、変な話したりいちゃいちゃしたりとか? なんでもない時間がさ、好きっすよ」

「……またセ、……っていう……」

「あ゛っ、ごめん」

「ふふ、ふふふ」



 わかっていたのに。

 鷹雪くんは、そんなことで離れていったりしないって。ずっとずっと、私のそばに居てくれると約束してくれたから。



「つーか、むしろこっちがきらわれるのではとヒヤヒヤしてたんだけど。だ、大丈夫?」

「……だいじょうぶですよ」

「はー、よかったす、よかった」



 何度もよかったとつぶやいて、私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。鷹丸も膝の上でにゃーと鳴く。

 このやさしい人に、好きになってもらえて。愛してもらえて。私はしあわせ者だ。

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