4.ごっこ遊び(仮) ⑤
「俺がお皿を洗いますよ」と声をかけたらちらりと俺を見た。けれど、すぐに目が動いてしまった。目を合わせようとしてくれない。そして「お願いします」と頭を下げるだけ。
亜子ちゃんに無視されるのもつらいが、こんな顔をさせてしまう方がもっとつらい。
生気がない、というのか。
ぼんやりとしている。
いつものかわいい笑顔がない。
そのままテーブルに突っ伏してしまった。
「ごめんなさい、鷹雪くん」
「えっ、えっ!? な、なにが!?」
「……あとで言います」
「う、うん」
テーブルに並んだ食器を重ねていく。
カチャ、カチャ、と食器同士が擦れる音。
亜子ちゃんのマグカップ。手に取ろうとしたら、亜子ちゃんの手がそれを奪い去っていく。まだ少しだけ緑茶が残っていた。
それを飲み干し、俺にマグカップを差し出す。「おねがいします」と消え入りそうな声で。
亜子ちゃんも亜子ちゃんなりに、歩み寄ろうとはしてくれているのだと感じた。まだ、心の整理がつかないのだろう。
俺はただ、「うん」としか言えなくて。食器をシンクまで運ぶだけ。あまり音を立てないよう、慎重に食器を置く。
台布巾を亜子ちゃんの元へと持っていけば、「ありがとう」とつぶやいて食卓を拭いてくれた。
スポンジに洗剤をとり、くしゅくしゅと泡立てていく。水の流れる音と、時計の針の音だけが聞こえる。
こんなに静かな家だっただろうか。
いつもは、どちらかが必ず笑っていたような気がする。あたたかかったような気がする。
それなのに。今日はどうしてか、つめたい。
泡を流していると、隣に亜子ちゃんが来ていた。
俺からお皿を受け取り、布巾で拭いていく。
「あ、えへへ、ありがとう、亜子ちゃん」
「うん」
と返事はしてくれたけれど、俺の方は向いてくれない。黙々と食器を拭いている。
俺も黙々と泡を洗い流す。
先程までのことも、こんな風に、簡単に洗い流すことが出来たのなら。
――いや。簡単に、洗い流してはいけない。
そんなふうにしていいことではない。
隣を向くことなく、まっすぐ前を見据えて、恐る恐る口を開く。ああ、口が乾く。冷たい水がほしい。胸がキリキリと痛む。喉の奥もピリピリとする。
やっとの思いで、言葉を紡ぐ。
「――このあと、話そう」
「……うん」
「うん」
恐る恐る横を向けば、亜子ちゃんが俺を見上げていた。不安そうに眉を下げ、一生懸命俺と目を合わせようとしてくれている。
一瞬。一瞬だけ。目が合ったような気がした。
すぐに逸らされてしまったけれど。本当に、一瞬だけ。
それが、とても嬉しくて。胸が、また違う種類の痛みを持ってくる。
ごめんね、ごめんね、何度謝ったって足りないから。もうその言葉はいらない。亜子ちゃんももう聞き飽きただろう。
「ありがとう」
ぎゅ、と唇をかんで、口角を持ち上げる。
不器用な笑顔だっただろうか。
亜子ちゃんも同じように口角を持ち上げて、小さな前歯を見せてくれた。
やっぱり、笑った顔がいちばんすきだ。
つらそうな笑顔でも。
それでも、きみには笑顔が似合う。
俺がこの笑顔を崩さないようにしないと。
もっと、しっかり、笑顔を守れるような、強い男にならないと。
そっと手を重ねれば、人差し指だけ握ってくれた。
ぎゅ、と。つよく。
思わぬ行動に呆気にとられていると、今度は照れたように笑ってくれる。
うつむいて、静かにほほ笑んでいた。
離れてはいない。
まだ、そばにいてくれている。それだけで、いまは十分。
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