4.ごっこ遊び(仮) ④

「亜子ちゃんどうした、すごい声が」

「ななななな、な、なにこれっ!」

「なにって?」



 ぱっくりと口を開けたリュックサック。その中にはアダルトな本が入っていた。表紙がもうアウトだ。肌色しかない。男と女が絡み合っている。しかも複数。過激なタイトル。過激な煽り文。それ以上は俺の口からは語ることが出来ない。

 身に覚えはない。ということは。これが託されたもの。



「お、俺のじゃない!」

「鷹雪くんのカバンに入ってる!」

「えーと、説明すると長くなるけど……いや長くねえな」

「えっち!鷹雪くんのえっち!ばかばかっ」



 聞く耳持たず、亜子ちゃんはぽこぽこと殴ってくる。亜子ちゃんの拳はやわらか素材でできているので痛くはないが、心の方が痛かった。

 ちくしょう、こんな爆弾を入れるんだったらちゃんと説明をしてくれ!すぐに確認しなかった俺も悪いけど!しかもなんだこの見るからにハードそうな表紙は!亜子ちゃんに俺の趣味が疑われたらどうしてくれよう。決して俺にこんな趣味はない。信じていただきたい。

 先輩に怨念を送っておいた。プールに落ちてびしょ濡れになってしまえ。


 なおも続く亜子ちゃんのぽこぽこ攻撃を、手のひらで受け止める。

 小さな拳は俺の手にすっぽりと収まってしまう。

 それで落ち着いたのか、俺の瞳をじっと見つめている。うるうると涙をためて、いまにも泣き出してしまいそうだ。



「せ、先輩が、帰り際に預かってくれって、マジ、俺のでは無いから!断じて!つうか、裸で入れておかないから!こんな危険なもの!」

「……ぷん」

「……ごはんを食べましょうか。せっかくの亜子ちゃんのごはんが冷めてしまいます」

「……」



 亜子ちゃんは無言のまま頷いた。眉がきりっと上がっている。

 ――うう。亜子ちゃんに嫌われたらどうしよう。

 このまま関係が修復されずに三行半……なんてことは……ないと信じたいが!でも!


 性的なものから極力避けられて育ってきた亜子ちゃんは、いわゆる箱入り娘だった。高校2年の冬、俺と交際を始めるまで、本当に知らないことだらけ。20歳を過ぎるまで大人のキスさえ知らなかったような子だ。そんな子が、男の性癖を理解できるのか。


 ちらりと様子を伺ってみる。頬を膨らませて、自慢のアホ毛をぶん回している。これは間違いなく怒っている。

 に触れないよう最大限の注意を払い、リュックサックの一番底で眠る弁当箱を取り出していた。汚いものを払うように、弁当箱を包む風呂敷を手ではたいている。



「…………。」



 これは。関係修復厳しいか。

 亜子ちゃんは渋い顔をしてきっと俺を睨む。



「……とりあえず、信じます」

「う、うん」

「でも嘘だったら許しません」

「はっ、はいッ」



 ――許された? のか?

 よくよく思い出してみれば、一度、亜子ちゃんもに触れたことがあった。まだ結婚する前。大学生の時分。あれは片付けていなかった俺が悪いのだけれど(ほんとうに俺が100億パーセント悪い)、事故で見つかってしまったことがある。

 まだについて無知だった亜子ちゃん。しかし、ただならぬパッケージでただならぬものだと言うことは察したようで、ぶん投げた。手首のスナップをきかせて。快投だった。

 その時は数日口をきいてくれなかったが、今回はどうなるだろう。一応、目も合わせてくれたし口もきいてくれた。少しは大人になってくれたのだろうか。

「……えっち」とつぶやいて、俺の腹にグーでパンチを食らわせた。先述の通り亜子ちゃんの拳はやわらか素材のため、痛くはない。痛くはないけど。胸の真ん中のあたりがキリキリと痛んだ。



「うう、マジごめんなさい。すぐ確認したらよかったね。弁当箱も自分で出せば亜子ちゃんにこんなものを見せずに済みましたね……スミマセン」

「もういいよ、変な顔してたらごはんがおいしくないから、……鷹雪くんには美味しく食べてほしいです」



 そういう亜子ちゃんの顔は、切なそうで。

 俺がこんな顔をさせてしまったのかと、また胸が痛い。

 やさしい子だから。

 きっとなんでも自分のせいだと抱え込んで。

 ――俺は。俺が笑っていないと。



「亜子ちゃんのコロッケおいしいから、楽しみ」



 一緒の夕飯。

 とても嬉しいことなのに。

 とても美味しいはずなのに。

 どうしてか。

 あまり味が感じられない。

 コロッケを箸で切り、口まで運んでいく。

 亜子ちゃんも同じように、端の方から小さく切っていた。

 見つめていても目は合わない。

 テーブルの木目を目でなぞりながら、もぐもぐと口を動かしていた。

 なんで。

 ――こんな日が、いつまで続くのだろう。

 喉の奥がヒリヒリとする。嫌な感じだ。



「ごちそうさまです」



 会話もないまま、亜子ちゃんの食事が終わってしまった。ぱちりと手と手を合わせ、ぺこりと頭を下げる。いつもの食事の終わり。

 俺も慌ててコロッケを食べきり、同じように手を合わせて頭を下げた。


 ココアの缶は開けられることなく、ゆっくりと冷めていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る