4.ごっこ遊び(仮) ③

 自宅までは、田んぼ道を自転車で飛ばして約10分ほど。道を一本入っていけば、途端に真っ暗だ。街灯もほとんどない。自転車のライトだけが頼りである。一歩間違えば田んぼにダイブする羽目となる。

 田んぼの横を流れる用水路には、オレンジ色の月が反射していた。

 夜になると冷たい風が出てくる季節になってきた。そろそろマフラーを用意した方がいいだろうか。そんなことを思いながらペダルをこいでいく。

 亜子ちゃんが勤めている保育園を過ぎれば、あともう少し。田んぼも終わり、住宅街へと差し掛かってきた。この辺りまでくれば、住宅から漏れる明かりで道もよく見えてくる。

 俺たちの住むアパートにようやく辿り着いた。

 駐輪場に自転車を停め、階段を上っていく。自室の窓からは明かりが漏れ、スパイシーな香りが鼻をつく。今日はカレーだ。

「ただいま!」と玄関のドアを開ければ、「おかえりなさい」とエプロン姿の亜子ちゃんが出迎えてくれる。今日は愛猫も一緒だ。小夏が「にゃう!」とひと鳴きした。すりすりと足に頭を擦り付けてくる。かわいいやつめ。



「カレーっすか、おいしい晩ご飯」

「残念。カレーコロッケでした」

「おあ……成程」

「カレーがよかった?」

「ううん。コロッケもすき」

「えへへ。鷹雪くん、なんでも好きって言ってくれるよね」


 そりゃあ。

 亜子ちゃんの作ってくれるごはんはなんでもおいしいですから。



「これどうぞ」



 湯たんぽがわりにと懐に忍ばせていた缶を取りだし、亜子ちゃんに渡す。購入した時は熱いくらいだったが、今ではちょうどいい温度になっていた。

 亜子ちゃんは手のひらで転がし、「ありがとう」とほほ笑む。



「あったかいっすね」

「俺があっためておいたので」

「いつもありがと」



 こうして亜子ちゃんが喜んでくれるから、習慣になってしまった。遅く帰る日限定の、小さな習慣。

 亜子ちゃんは「いただきます」とお行儀よく頭を下げてから、キッチンへと駆けていく。

 俺もスニーカーを脱いであとを追いかけた。

 小夏も俺の足にくっついてくる。間違えて蹴ってしまうかもしれないから危ないよ。抱きあげれば、ごろごろとのどを鳴らしてくれる。



「小夏~!かわいいねえ。亜子ちゃんにごはんもらった? おなかいっぱい食べられた?」

「もう食べたよね。えへへ。鷹丸ももう食べたから、またあげちゃダメだよ」

「了解っす」



 小夏を下ろしてあげて、席に着く。

 鷹丸はお気に入りのベッドで眠っていた。

 生まれ変われるのならば、ぜひとも猫になりたい。



「そーいえば今日、空見た?」

「お空?」

「月がね、きれいで。星もよく見えたよ」

「月……」

「ん?」

「うっ、ううん!そうなんだ、あとで見てみる」



 亜子ちゃんが顔を赤くしている。

 どうしたんだろう?

 近寄ってみても避けられるだけ。

 俺の茶碗に白米を山盛りによそっている。

 千切りにされたキャベツも山盛り。うどんも山盛り。亜子ちゃんは俺のことを太らせようとしているのか。

 揚げたてのコロッケがいい匂いを放っている。

 カレーというのは、なぜこうも食欲を駆り立てる魅惑の香りをしているのだろう。

 右手には山盛りの茶碗。左手には山盛りのキャベツとカレーコロッケ。よだれを我慢しながら食卓まで運んでいると、亜子ちゃんが思い出したように口を開く。



「鷹雪くん、お弁当箱だしておいてね」

「あー、ごめん、リュックの中!」

「出しちゃっていいですか?」

「お願いします!」



 …………。

 なにか大切なことを忘れているような。

 食卓の上に無事白米とカレーコロッケを置き、考える。なにか……リュックサックの中……なにかが。


 思い出したと同時に、亜子ちゃんの悲鳴が上がった。


 先輩にを託されていたのだった。

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