4.ごっこ遊び(仮) ②
今日は遅番。帰宅時間は外が真っ暗になってから。事務所の窓は大きくて、外がよく見える。ブラインドのおりていない窓を探し、空を見上げた。
月が高く昇っている。
亜子ちゃんも見てるかな。帰ったら一緒に見よう、なんて思いながら帰宅準備をする。
リュックサックを口を開き、書類や筆記用具を詰めていく。
自分のデスクの真ん中に置いておいた、亜子ちゃんが大事に作ってくれたお弁当。亜子ちゃんの趣味なのか、黄色い布地にくまのキャラクターが描かれている風呂敷に包まれている。
これだけは決して忘れて帰ってはいけない。明日の俺の弁当がなくなってしまう。
「亜子ちゃん、もう家かな」
携帯電話を確認してみると、亜子ちゃんからメールが届いていた。
『おつかれさまです。おいしい晩ご飯を作って待ってます』と、かわいい絵文字がついている。スタンプもいくつか送信されていた。かわいいくまとかうさぎとかねことか、よくわからないやつばかり。
『仕事終わりました。帰ります』と返信してから、自転車のカギを取り出す。
おいしい晩ご飯。なんだろう。
カレーかな。最近食べていない気がする。
亜子ちゃんの手作りハンバーグも美味しいんだよなあ。中にチーズが入っていて、切るととろとろ~っと溢れ出てくるやつ。上にチーズが乗っているのもあれはあれで美味しい。
亜子ちゃん特製オムレツも好きだ。野菜がごろごろと入っていて食べ応えがある。ケチャップで謎のイラストも描いてくれる。以前それがなんなのか気になり(俺は犬か猫のどちらかだと思った)、本人に聞いてみたらうさきだといったのはいい思い出である。どう見てもうさぎには見えなかったことは内緒である。
などと想像をしていると、よだれが溜まってきた。
いかん。腹も減ってきた。これは早急に亜子ちゃん特製超絶うまい晩ご飯を腹に入れなくては。
急いで事務所を出ようとすると、先輩に声をかけられた。
「松本、なにも聞かずにこれを預かってください」
「へっ」
有無を言わせずにリュックサックの中になにかを詰め込まれた。
確認をする前にファスナーを閉じられてしまう。重さはさほど変わっていないことから、なにやら軽そうなものだということだけはわかった。
「な、なんすか?」
「今日だけでいいから、頼む!」
「……はいはいっす」
「じゃ!おつかれ!」
「えっ、お、おつかれさまでーす、お先でーす」
先輩はさわやかに笑って去っていってしまった。たしかこれからレッスンが入っていると言っていた気がする。
任務を遂行し、安心したのだろう。憑き物が取れたかのような顔だった。
俺は一体なにを託されたのだろう。
――家に着いてから確認したらいいか。
早く亜子ちゃんに会いたいし。腹の虫も催促している。
わざわざ確認するのも面倒だ。
ジムでトレーニングをしていた常連さんに挨拶をし、受付のお姉さんに頭を下げ、駐輪場へと急ぐ。
お客さん用の駐車場は照明も多く明るいが、従業員用の駐車場までくると途端に暗くなってしまう。建物の裏にあるため、照明も届かない。頼りない街灯が一本だけ。節電だそうだ。
けれど、ここは星空がよく見えるから好きだ。
向こう側では見えないような、等級の低い星も見えてくる。俺の視力でも。
亜子ちゃんのきれいな瞳ならば、もっともっとたくさんのきらきらが見えるのだろう。あの瞳が欲しい。あの純粋無垢な瞳で見つめる世界を見てみたい。
スズムシの声を聴きながら空を仰ぐ。今日の月は半分だけ。大きくて、オレンジ色をしていた。クレーターの形も確認ができた。
俺たちの住む街は田舎で、夜になれば基本的には真っ暗だけれど、ここのような商業施設が多く立ち並ぶ地域だけは夜でも明るくて眩しくて、なんだか疲れてしまう。
ほの暗いここはオアシスのようだ。
駐車場の隅でひっそりと営業を続ける自動販売機でホットの缶コーヒーを1本。仕事終わりの一杯。
できる限り早めに飲みきり、気合いを入れる。
同僚に急いで帰る理由をよく聞かれるが、かわいい奥さまが家で待っている。それだけで十分だろう。
さみしがり屋な亜子ちゃんを、家でひとりにさせておく訳にはいかないのである。
心細くなると猫につきっきりになってしまい、俺のことを無視してしまうのである。
帰宅しても、隣にいても、話しかけても、無視をするのである。
それだけは避けたいのである。
亜子ちゃんにはめいっぱいかまって欲しいのである。
「よし!」
と空き缶をゴミ箱に向けて放る。綺麗な放物線を描いた空き缶は、ゴミ箱のふちに弾かれて地面に落ち、カンカンカン……とむなしく音を響かせた。
今日の運勢はダメダメなのかもしれない。一日はもう、終わりかけているけれど。
缶を拾い上げ、丁寧にゴミ箱に入れてあげた。
そしてココアを一本購入し、懐に忍ばせた。
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