3.似たもの夫婦 ⑧

 私が何度も何度も引っ張るせいで、首元がだらだらになってしまった鷹雪くんのTシャツ。

 きれいな指先が襟を整えている。

 ――もう、おしまいの合図。

 思わずまたTシャツの裾を引っ張ってしまう。

「ん?」と眉を上げておどけた表情をするあなた。



「えっと、その……男の子ってがまんできるの?」

「大丈夫ですよ。男の子ですから。……女の子も、がまんできるの?」

「で、できるもん」



 ちょっぴりいじわるでえっちなところもいつも通り。

 指の背で私のほっぺをくすぐる。

 鷹雪くんはずるい。私の好きなことばかりしてくる。私はあなたの喜ぶこと、なんにもわからないのに。どうして?

 Tシャツをまたくいくいと引っ張れば、笑顔を見せてくれる。

 鷹雪くんの顔が近づいてきて、びっくりして目をつむる。おでこに、鷹雪くんのふわふわとした髪が当たっている。恐る恐る目を開けば、目の前には私の大好きな緑色の瞳。

 おでことおでこがぶつかって、すりすりと擦り合わせる。鷹雪くんを受け止めきれずにうしろへのけ反ると、すかさず腰に腕が回ってくる。やさしいんだから。

 それから満足したのか、鷹雪くんは離れていった。



「よーし、じゃ、お洗濯ものたたもうか。で、ちょっとゆっくりして、夕飯たべて、またゆっくりして、お風呂入って、それから」

「……」

「亜子ちゃんとお楽しみですね」

「……むう」



 かわいい、なんてからかうように言う。

 きっと私たち、『にている』から。

 わかってしまうのね。

 心の奥では鷹雪くんを求めていること。

 兄妹に間違われちゃうのはあんまり好きじゃないけど。

 でも、誰がなにを言おうと私たちは夫婦。

 鷹雪くんが言ってくれた言葉を思い出す。

 あなたがくれる言葉は、いつだって心強い。私を強くしてくれる。

 目に見えるものだけが全てではなくて。

 聞こえるものだけが全てではなくて。


「先行ってるね」鷹雪くんはそう言って寝室から出ていく。その広い背中を見つめた。

 ――「俺がわかっていればいい」

 そうだね。私も、私がわかっていればいい。

 人からどう見られたって関係のないこと。

 胸の中にしまった指輪を取り出して、左手の薬指にはめてみる。そっと空にかざせば、きらきらと輝く。なんだか自分の指ではないみたい。

 鷹雪くんのあとを追って、ベランダへと向かう。

 窓際でまあるくなって寝ていた猫たちに挨拶をして、それから窓を開く。冷たい風がスカートの裾をふわりと持ち上げた。ベランダでは、夕焼けが鷹雪くんの髪をオレンジ色に染めている。

 そんな彼は、空に手をかざしていた。なにをしているんだろう?

 隣に行くと、驚いたような顔をして私を見つめる。左手の薬指では、私とおそろいの指輪がきらりと輝いている。



「あれ、亜子ちゃんもはめてる」



 やっぱり、似てるんだね。

 こういうところも。

 それが嬉しくて、鷹雪くんの手を握る。あたたかくて、太陽の匂いがした。



「これから一緒にお出かけの時は指輪はめてこうか?」

「うん。……ううん」

「え、どっちだよ」

「鷹雪くんが着けたい時に着けたらいいよ」



 私も着けたい時に着けるから。

 それでタイミングが合えば、すてきなことだね。

 鷹雪くんの指先が私のほっぺをくすぐって、きれいな笑顔を見せてくれる。



「そだね。そんで亜子ちゃんと同じタイミングで指輪してたら、嬉しいな」

「……!」

「ん?」

「私も、同じこと思ってました」



 一瞬驚いたような顔。それからすぐに嬉しそうな顔に変わっていく。鷹雪くんは表情が豊かで、隣にいるのが楽しい。



「慌てなくても、そのうちに見える日が来るっすよ」



 沈んでいく夕陽を一緒に見守っていると、鷹雪くんがぽつりと言った。オレンジ色に照らされた横顔がきれいだ。



「まだ俺たち、夫婦になったばかりだし。まだまだこれからだよ。ゆっくりゆっくり、さ。これまでもそうだったじゃん」

「……うん」



 鷹雪くんが私に想いを告げてくれて、つき合うようになるまで1年と半年。恋とか愛とか、子どもな私には全然わからなくてたくさん迷って。たくさんたくさん待たせてしまった。それでも鷹雪くんは待ってくれていた。

 キスは、いろいろとあってすぐに経験したけれど。大人のキスを覚えたのは、つき合い始めて数年経ってから。きっと、私がおとなになるまで待っていてくれたんだ。鷹雪くんはやさしいから。

 子どもの作り方を知ったのなんて、結婚してからだ。はじめて鷹雪くんに抱かれたのも、結婚式の夜。ずっと、ずっと、私を待っていてくれた。

 鷹雪くんを待たせてばかりだ。

 がんばって、追いつくからね。あなたのだと胸を張れるように。

 だから、もう少しだけ待ってて。

 Tシャツの裾を握ると、鷹雪くんがにこりと笑ってくれる。

「よーし!」と大きな声で言ったかと思えば、私の肩を掴んで身体を反転させた。そこには、まだ取り込まれていないお洗濯ものたち。さみしそうに吊り下げられている。



「洗濯もの取り込もうか!」

「あっ」



 ……いけない。忘れてた。

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