1.眼鏡を外して。 ⑤

◇◇◇◇


 彼の膝の上。

 座るだけで心臓がばくばくと鳴る。何度も何度も経験してもこの瞬間だけは慣れない。

 口から飛び出そう……。

 ごくりと飲みこみ、そっと手を伸ばす。


 お風呂上りだからかな、

 白く曇ったレンズ。


 その奥から私を見つめてる。

 エメラルドのような色をした、深い緑色の瞳。

 やさしい眼差し。

 だけれど、ちょっぴりこわい。

 飲み込まれてしまいそう。

 吸い込まれてしまいそう。


 不思議な魔力を持っているその瞳。

 それを守る2枚のレンズを外してほほ笑む。

 ああ、やっぱりきれいな色をしている。



「よろしくお願いします。」



 ぺこりと頭を下げ、彼の足元を見た。

 顔を上げたらもう後戻りはできない。


 彼と私の、ふたりだけの時間。


 きらいでは、ないけど。

 まだ少し緊張してしまう。

 うまくできるかな、なんて。


 メガネをぎゅっと握り、恐る恐る顔を上げていく。


 ねえ、やさしい旦那さん。

 いまからもやさしい旦那さんでいてくれる?


 枕元にそっとメガネを置き、


「やさしくしてね」


 と囁けば、


「うん」


 という頷きと一緒にほほ笑みが。


 肩を抱かれ、ゆっくり、ゆっくり、近づいていく。


 やさしく触れあった唇。

 そこから熱が生まれていく。


 熱くて、暑くて、苦しい。


 はじめての夜に比べたら、

 だいぶ慣れてきたけれど。


 やさしい旦那さん。

 だけど、やさしいけど、獣のような、鷹のような。

 獲物を狩るような瞳をたまにする。

 それがちょっぴりにがてで。

 彼の中の"男"が顔をのぞかせる。


 そんなとき私は小動物のようになってちぢこまって、ひっそりと助けを乞うことしかできない。


 私はおいしくないよ。

 痛くしないで。

 やさしくして。

 って。彼を見つめて。



「亜子ちゃんさー、」

「?」

「すっごい……と、おもう」

「なにが……?」

「誘い上手」



 言葉の意味も飲み込めず、彼の唇を受け止めた。

 それこそ食べられてしまうのではないかと思ってしまうほどの、力強い口づけ。


 私のにがてな大人のキス。

 降参の合図を送ろうと彼のシャツの裾を掴む。くいくいっとひっぱれば離れていった唇。


 少しの間見つめあって、余韻に浸る。

 頭の中がふわふわだ。


 掴んだままのシャツの裾。

 そっとひっぱって俯く。



「……食べられちゃうかと思った」

「あはは。食べちゃうぞ」



 お返しとばかりに私のパジャマの裾を少しずつひっぱっていく。

 ゆっくり、ゆっくり。


 太ももにつめたい空気が触れた。



「や、やだっ」

「脱がせるときいっつも恥ずかしがるよね」

「だってはずかしいんだもん……」

「そーゆーとこ、亜子ちゃんらしくて好きだけどね」



 鷹雪くんの視線を感じる。

 脱がすのなら一気に脱がせてくれたらいいのに。こんなふうにじわじわじわじわと意地悪ばかり。



「……へんたい」

「こんな旦那の奥さんになって後悔してますか?」

「――してないよ」



 意地悪されるのは、あまり好きじゃないけど。

 鷹雪くんはだいすきだから。


 ほんとは知ってる。

 こうやって意地悪とか、

 話しかけてくれたりとか、

 頭をなでてくれたりとか。


 全部私をこわがらせないようにしてくれていること。


 はじめてのとき、真っ暗で静かでこわくて私は泣いてしまって。


「絶対亜子ちゃんをこわがらせないから」


 と交わしてくれた約束。

 いまでも覚えてくれてたんだね。


 彼の手を握ればきゅっと握り返してくれる。

 やさしくておおきなあなたの手。

 握ると安心するな。


 獣のような瞳はなりをひそめて穏やかな瞳をしてくれる彼。

 やっぱり酔っているのかしら。

 鷹雪くんが耳元でそっと囁く。


「きれいだよ」


 と低い声。

 鼓膜が揺れて背筋が震える。


 いつもはそんなこといわないのに。

 ゆっくり素肌にされて、

 つめたい空気が肌を刺激する。



「あ……ひゃっ!」

「いや?」

「や……じゃ、ない、けど」

「声、かわいい」



 もう白旗をあげるから、耳だけは。

 そんな抵抗もできずに、ただただなすがまま。


 いつの間にかお互い生まれたままの姿になっていて、ゆっくりベッドに押し倒されて、彼は愛の言葉を囁く。


 くすぐったい。

 へんなの。

 へんなの。

 そう考えていないとおかしくなってしまいそうで。


 身体がどんどん赤く色づいていく。

 彼の唇が小さな花を咲かせていく。



「たかくん、そこだめ……みえちゃう」

「あ、……ごめん。ここは?」

「うん……」



 彼の愛してくれる、私のコンプレックスだったもの。鎖骨についた赤い赤い痣。


 愛しい旦那さんの唇によって、赤い花がもう一輪。

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