ごくありふれた昼下がり

 香月は毎日と称して良いくらい、正午に窓際の一人用ボックス席へ座っている。やんわりと年齢を聞いてみればなんと辰也の年下。会社の近くにある▽▽大学の在校生だった。あの発言の直後、辰也より先に自分が年下であると気がついた香月は敬語を使った。だが即座に彼は香月を制した。今更だしかしこまられるとむずかゆくて嫌だと言った彼は、数回押し問答を繰り返し、今のような口調で会話することに成功した。そして今日こんにちに至る。






 今日の香月は教本を広げていた。

「今日もなんだか難しそうな本を読んでいるんだね」

「そうかしら。私と同じ授業を受けている人はみんなそうよ」

 彼女は無表情のまま小首を傾げた。


 心理学科生の香月はよくこの席で読書をしている。本人曰く、読書などではなく次の授業の確認をしているだけなのだそう。要は斜め読みをしているので、そんなに熱心ではないと言いたかったらしい。だが漫画くらいしか活字に触れない辰也にとって、香月の姿勢は読書にしか見えなかった。そう言わしめるほど、本を前にした香月は尋常ではない熱量を発信しているのだ。野暮なので彼は指摘しなかったが。




 そう、と返して辰也はホットドックにかぶりつく。途端、ポキリと小気味よい音が彼の口内で弾ける。量産された陳腐なトマト味とほんのり後引く蜂蜜を含んだ粒マスタードが、肉汁と溶けた。バター香るパンと共にまぜこぜにしたら、ゆっくりと飲み込む。すると胃袋から指先へ、凝り固まった重しがほどけていく感覚がした。これを味わいたいがために、彼はあの時からずっとホットドックを注文している。

 香月は無表情の奥の瞳を煌めかせて、彼を見た。

「本当に、いつも美味しそうに食べるわね」

「そりゃあ、ここのホットドックは絶品だからね」


 得意げに頷く辰也に香月は瞬きをした。

「でも使っている食材は珍しいものでもないでしょう。特にパンとケチャップ」

「まぁね。でもパンはかるーく焼いてからソーセージを挟んでいるからさ、香ばしくて美味しいし、何よりこの自家製マスタード。これが塩気のある普通のケチャップ、いや市販のケチャップだからかな。良く合うんだ」

 

 言い終わるが否や、辰也はまたホットドックをむ。頬は幸せに緩んだ。そういうものかしらと独りごちて、香月も残りのコーヒーを飲んだ。カップを置くと香月はお代わりを告げるため、離席する。辰也は自分のホットドック皿の隣を見た。角砂糖入りのブラックコーヒーは、マグカップの中に過半数も残っている。強い豆の匂いを纏わせて帰った香月を見て、辰也は白けた眼差しを向けた。

「俺にとっては君こそレアだよ」

「あら、そうかしら。確かに私は同世代の女性より食が進むけれども」

「違うよ。君の場合は食事これじゃなくて、其れだ」




 辰也が指を差す。そこあるのは先程まで飲んでいた香月のデミタスカップ。香月はきょとんとしたままだ。辰也の指先と自分の手元を交互に見ている。

「エスプレッソを水のように飲むのは君くらいだよ」

「そうかしら。いくらでもいるでしょう、こんな人」

「空っぽのデミタスカップの塔を作らせて、君の右に出る人はいない。断言するよ」

 未だ訝しがる香月を見て、辰也は溜息をつく。でも彼女はこのままで良い。そう思うと辰也は無性に可笑しな気分になった。突然肩を震わす彼を見つめる香月は、真意が悟れなかった。でも笑う彼に悪意が微塵もないと気がつき、香月は初めてその無表情を緩める。


 本日も2人分のボックス席に暖かい空気が漂った。

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