それは水を求める旅人のような

 香月と出会ってもう一月になったろうか。その日もこんな昼下がりだった。




 その日、昼休みになった途端、辰也は会社の外へ出た。朝のコンビニで昼食を購入し、自分のデスクで食べるのは彼の日課だ。しかし辰也は、何故か日課をこなすのに躊躇してしまった。そうして購入済みのサンドイッチを置き去りにして、気の赴くまま彼は歩いた。空の胃を抱えているのに、一向に実感が沸かなかった。その所為か、じりつく正午の太陽の下、ひたすら足を動かした。


 会社の最寄り駅を過ぎ、オフィス街を抜けようとして、辰也はふと足を止めた。少しぼんやりした頭で辺りを見る。彼はオフィス街に繋がる大通りの端にいた。後方を向けば今来た道が広がり、前方はあと1つ信号を越えればまた別の大通りが展開されている。思わず立ち止まる程、惹かれるものはなかった。ではどうしてこの脚は止まったのか。右の凡庸な道路を見やってから、左を見て、彼の疑問は融解した。




 左側は裏路地だった。尤も辰也とてこの場所に来るまで幾つもの路地を視界に入れている。しかし立ち止まったことはなかった。つまり、この路地には何かがあるのだ。自分の脚を止めた何かが。すぐさま彼は裏路地に入った。

 会社方面に伸びる道を彼は進んだ。すると一軒の店が目に止まる。焦げ茶色で上品にまとめられた壁。緑の中に目を引くピンクが点在する生け垣。白いペンキを被ったような階段には、木製の立て看板が鎮座していた。昇って文面を読むと、どうやら喫茶店らしい。営業中の文字を視認する前に、彼の手はドアノブを引いていた。


 店内は外装通りの印象だった。落ち着いたジャズが流れる店内では、コーヒーがフラスコのようなもので淹れられていた。重い泡の音と共に濃い豆の匂いが、全身を裂く。急に彼は立ちすくむ自分を恥ずかしく思った。気後れしたまま彼は席を探す。適当にセットメニューを頼み、先に来たブラックコーヒーを飲んだ。酷く苦かった。普段から彼は缶コーヒーを飲んでいたものの、比べものにならなかった。思わず砂糖を目で探したが、砂糖のカップすら見当たらなかった。辰也は頭を抱えた。こんなに苦いならカフェオレにしておくんだった、と。



「ねぇ、角砂糖とかならあっちのカウンターにあるわよ」




 本を膝に置いた香月に話しかけられたのはそのときだった。

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