第33話十年前④

 半年以上もの間、欠席を続けていたスパイス・アンリサイドは、突如として、教室に姿を現した。一人の少女が学校に来たというだけの事実に、俺はまるで夢でも見ているのかと思えるほどの衝撃を受けた。

 なぜ、今日まで学校を休んでいたのか。休んでいる間は何をしていたのか。そもそも、なぜ、日本に留学したのか。なぜ、この学校に転入してきたのか…。

 俺は、瞬時に数多の質問を頭に思い浮かべ、いつでも口にできるほどに、歯止めが効かない精神状態だった。

 その場に向かう途中に、数人のクラスメートから挨拶をされた気はするが、そんなことに、気を払える余裕はなかった。

 俺の視線は、彼女がいる人集りのただ一点を見つめて、歩みを進めていた。その瞬間、無意識の行動というのが、実際に起こり得ることが実体験として理解し、自覚することができた。

 しかし、人集りに阻まれ続けた俺は、彼女の元へと辿り着くことはできなかった。いや、正確には、彼女に質問を投げかけるのが、恐ろしかったため、歩み寄ることができなかっただけだった。質問に対し、事実を事実として述べられても、信用できる気がしなかった。

 今の俺には、彼女の言葉全てを信じる自信がない。なぜかは、わからないが、彼女にいくら質問したとしても、自分の望む答え以外は、受け取ることができないと感じた。そして、俺はその朝、チャイムが鳴るまで、その場を動くことはできなかった。

 その後も、彼女が教室にいるというのに、会話の一つもする気にはなれなかった。相変わらず、絶え間なく集まってくる生徒たちに対しても、なんの感情も感じられなかった。

「お前、今日は一段とおかしいな…」

 声は、頭上から聞こえた。見上げるように、視界を遮る張本人の顔を見つめた。だが、正孝に声をかけられたところで、出てくるのは、ため息だけだった。

「あの子を待ってたんじゃないのか?」

「わからない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「お前、何言ってんだ?」

 当然と言っていいほど、直接的な質問をされたが、俺自身もわかっていないため、答えることはできない。再び、ため息が溢れる。

「でも、まぁ。あの人集りの中を掻き分けてまで、会話をしようとは思わないよな」

「それは、そうかもな」

 俺は無気力に答えながら、昨日のことを思い出していた。紫織に問われた、あの不思議な質問のことだ。

 もしかしたら、俺は答えを間違っていたのかもしれない。俺が放った答えが事実だったとしても、あいつは納得しないのではないだろうか?まさに、今の俺のように。

 しかし、であれば、何を答えてやればよかったんだ?嘘をついてでも、紫織の望む回答を口にするべきだったのだろうか…。

 あの時の俺は、どうするべきだったのか、全く検討がつかない。


・・・・・


 学校生活というのは、ぼーっとしていても、授業に出席し、教師の板書したものをノートに写していくだけで、時間は過ぎていく。

 早々と、今日の日程が終わり、今朝の驚きを除けば、結果的に平凡な一日として終わりを迎えた。

 例の少女は、終わりの挨拶を終えた後、すぐに教室を出て行ってしまった。何か、用事でもあるのか。それとも、毎回集まる生徒たちにうんざりしたのか。

「春希。今日、放課後に野球するんだけど、お前も来るか?」

「あぁ、特に予定もないし。行くよ」

 どちらにせよ、俺に彼女を追いかける選択肢は、あり得なかった。

 放課後に、集まって何かしらの遊びをすること自体は、なんら珍しいことではない。だが、今回は、少し長引いてしまった。友人の打った球が、学校の窓ガラスを割ってしまったため、グラウンドの石拾いと、草引きをさせられる羽目になった。こんなことなら、来るんじゃなかったと後悔しつつ、学校のグラウンドが小さいことを恨んだ。

 雑用から解放されたのは、午後六時を少し回った頃だった。我が家の門限は、五時半と定められているため、少々過ぎてしまっているのが現状だ。しかし、いつも通りなら、両親とも、この時間には帰ってきてはいない。もしかしたら、許されるかもという淡い期待を胸に、帰宅した。

 玄関までは、ゆっくりと物音無く近づき、そっと扉を開けると、忍び込むようにして、家の中へと、入った。

 家の中に明かりが点いている様子はなく、玄関には一切靴が並べられていなかった。どうやら、両親はまだ帰ってきていないらしい。

 胸を撫で下ろし、安堵していると、先ほどの情景に若干の違和感を感じた。その原因を考えていると、突如として、背後の扉が開かれた。

 俺は、振り向きながら後退すると、段差に足を取られ、玄関に尻餅をついた。最悪のタイミングで、母親が帰ってきたのだと、驚きを隠せなかったが、その場にいたのは、紫織だった。

 その瞬間、二度目の安堵の息が漏れた。同時に、さっき感じた違和感が、紫織の靴すら無かったからだということにも気づけた。

「まったく、脅かすなよ」

「なんか、ごめん。ただいま」

 とりあえず、お叱りは受けなくて済みそうだ。しかし、紫織がランドセルを背負っているところを見ると、一回帰宅していたというわけではないだろう。

「お前がこんなに、遅いなんて珍しいな。何か頼まれごとか?」

「うん。まぁ、そんな感じ」

 はっきりしない答えだが、別に詳細が知りたくて聞いたわけではないため、気にせず靴を脱いで、家へと上がった。

 俺は、自室へと向かうため、階段を登ろうと、手摺りに手をかけた。その時、紫織に呼び止められた。

「お兄ちゃん…」

 声に反応し、振り返ると、紫織は一歩も動かず玄関で立ち尽くしていた。俯いていて顔は見えなかったが、何かを言うつもりなのだろうと思い、何も言わずに紫織の言葉を待った。

「お兄ちゃんは昨日、ゾンビはいないって言ったよね」

「あ、あぁ。そうだな」

 紫織は顔を上げると、俺の言葉にこう続けた。

「ゾンビは、いるよ…」

 こんなこと、前にもあったような気がする。そして、俺は、前と同じ対応をしなくてはならない。

「…は?」

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