第29話洋館2F❶
あの男というのは、創本香士郎のことだろう。確かに、ボイスレコーダーで話していたのは創本香士郎だった。だが、この話とどういう繋がりがあるのかが、俺にはわからない。
「あの男は、最初に自分の故郷である島国を変えると言っていたわね。ということは、私と関わりのある日本人を、第一の火種にしようとしているんじゃないか。そう、私は考えているわ」
俺はそれを聞いて、壮大なスケールの現状に対して、微量ながら理解が及んだ気がした。
「もし、それが本当なら、俺たちが船に乗せられた時点で、創本香士郎の計画が開始されていることになる。それじゃあ、もうすでに日本では、お前と関わった俺の知り合いが…、ゾンビになっている、という理解でいいのか…?」
「そう…なるわね」
視線を落とし、苦しそうな表情のスピカに俺は何も声がかけられなかった。恐らく、俺もスピカも同じ気持ちだ。それを知っていながらも、俺たちにはどうすることもできない…。
「ごめんなさい。私が日本に来てしまったばかりに、あなたや他のクラスメートたちにまで迷惑をかけてしまったわ。本当に、ごめんなさい…」
彼女の瞳は潤み始め、時期にそれは雫となり、頬を滑り落ちる。そこでようやく気がついた。俺は、彼女に大きな重荷を背負わせていたのだ。こんな事実を知っていながら、俺と共にこの島から脱出する術を見つけ出そうとしていた。島に来てからの数時間の付き合いだが、彼女に対する信頼は、思考の間を必要とせず、言葉を引き出すほど、しっかりと築かれていた。
「スピカは悪くない。と言っても、スピカの罪悪感が消えないかもしれない。だから、申し訳ないと思うなら、俺と一緒に脱出してくれ。一秒でも早くここから抜け出して、日本の人たちに事実を知らせるんだ。まだ、間に合わないと決まったわけじゃない」
「そ、そうね。ごめんなさい、少し弱気になってしまったわ」
スピカはそう言うと、表情に明るさを取り戻していた。とはいえ、この状況では笑顔を浮かべられるはずはなく、ぎこちない笑みが俺に向けられた。
しかしながら、その表情を見て、ひと段落したような気分を感じた。その時、力んだ肩が和らぐことを実感しながらも、スッキリは出来なかった。その理由は、この話を始めたきっかけによるものだった。
「そういえば、俺はゾンビを見てもそれほど驚かなかったんだ。確かに、恐ろしいと感じはしたけど、なぜだか存在に対する恐怖がなかった。
そこで、思い出したんだ。俺は、ゾンビが存在することを、誰かから聞いていた。当時は信じられなかったため、記憶の片隅にうっすら残っていたような記憶だったが、今ははっきりと覚えている。しかし、その情報源については、思い出せないんだ。もしかしたらだが、俺は、過去にお前からゾンビの話を聞いていたんじゃないか?」
そうだ。俺が本当に聞きたかったのは、このことだった。これが事実であれば、スピカから新たな情報が聞き出せるかもしれない。
俺が言い終えると、スピカは少し嬉しそうな表情を浮かべた。
「いいえ、私じゃないわ。さっきも言ったけど、私たちはお互いにお互いのことを覚えていないわけだから、それは無いと断言できる」
スピカからの返答は、表情と相反する否定の言葉だった。予想外の返答に、思わず質問を重ねようとしたが、すぐにその必要は無くなった。
「でも、あなたがゾンビの話を聞いたのは、恐らく事実よ」
俺は、出かけていた言葉を押し殺し、新たな質問を投げかけた。
「なんで、それが事実だと思うんだ?」
「春希。あなた、妹がいるんじゃない?」
「え?あぁ、確かに妹はいるが…。それが、どうかしたのか?」
スピカの突飛な質問が、事実と一致していたため、不意に驚いてしまった。しかし、依然として回答にはなっていないし、質問の意図は不明だ。俺は答えた後、聞き返すように質問すると、驚きの答えが返ってきた。
「私は、あなたの妹さんにゾンビの話を伝えたの。そして、その時一緒に、『大人以外で一番信頼できる人間に、このことを伝えてほしい』ともね…」
それを聞いた時、俺の脳内は過去に例を見ないほどの回転をしていた。過去の記憶を辿るように、思考を続けながらも、質問は口から発せられていた。
「なんで、大人以外なんだ?」
「大人に話すと、そこから情報が漏れると思ったのよ。そのせいで迷惑をかけるのが嫌だったしね。それに、あの男の計画が未完成だったのは知っていたから、子どもの誰かに正しく伝わってくれれば、計画が実行されても対処できる人間がいることになると思っていたの。ま、私も子どもだったから、多少の矛盾点は多めにみてよね」
意外と、筋の通った回答が返ってきてくれて安心した。だが、俺が本当に聞きたかったのは、こっちだ。
「もう一つ聞いていいか?なんで、その話した人間が、俺の妹だってわかるんだ?」
「彼女も苗字が桐堂だったからよ。あなたの名前を聞いた時から、もしかしたらとは思っていたけど、それだけじゃ、断定はできなかった。けれど、あなたの話を聞いて確信したわ。私が、ゾンビのことを話した、
俺は、事実と一致するその発言に、信憑性を感じざるを得なかった。確かに俺の妹は、紫織という名前だ。だが、その事実を知って一つ懸念すべき点が現れた。
「お前が、紫織と話していたってことは…。もしかして、紫織もあの船に乗せられていたのか?」
自分の死よりも恐ろしい事実の確認に、声が震えた。そんな俺の心境は伝わっているだろうが、スピカは淡々と話し始めた。
「安心して。彼女は、あの船には乗っていないわ。実は、私もそれが気になって見ていたんだけど、その名簿は、アルファベット順になっていて、あなたの前後に彼女の名はなかった。つまり、彼女は標的にすらなっていないわ。私もあの時は、多少配慮したからね」
俺は、思わず安堵のため息をこぼした。全身から力が抜けるように、机へと腰掛けた。まったく、ここに来てから寿命が削れるようなことばかり起こる。そろそろ、休ませてもらいたいところだ…。
「そこで、話はこっちに移させてもらうわ」
気の抜けた状態ながら、スピカの方を向くと、何かを手に持って、見せつけていた。
「なんだそれ?小さくて、何かわからないんだけど…」
「これは十年前、あなたの妹さんに読んでもらった、ゾンビに関するデータが書き込まれたマイクロSDよ。私は産まれてからずっと、これを左手に埋め込まれていたんだけど、あることがきっかけで、左手と一緒に摘出したの。だから、実は今の私の左手は義手だったりするわ」
「そ、そう…だったのか」
我ながら、気の利かない返答だと感じた。スピカが、隠していたかったであろう、自分の秘密を話してくれているというのに、こんな言葉しか出てこない。
どう見ても本物の手にしか見えないが、冗談を言ってられるような状況でもないため、おそらく事実だろう。
「別に心配して欲しくて言ったわけじゃないの。今のあなたにも、これを見て欲しいと思ったのよ」
「見る?ん?今の俺って、どういう…」
俺は疑問を口にしたが、スピカは答えぬまま、ポケットからSDカードを取り出して、マイクロSDを組み込むと、パソコンの方へと向きを変えた。その様子をただ眺めていただけだったが、なんとなくそのSDカードには見覚えがあった。
「それって、さっきの部屋にあったSDカードじゃないか?」
「そうよ。あなたも見つけていたのね」
手を止めることなく、あっさりと返答されてしまい、なんとなく言い返したい気持ちが湧いてきた。
「お前、まさかパソコンがあること知ってたのか?」
「知ってるわけないでしょ。もし、そんなことまで知ってるなら、のんびり探索なんてしてないわよ」
スピカの言い分に納得してしまった分、俺は何も言い返せず、小さな声を漏らすことしかできなかった。
「そんなことより、早くこれを見て。恐らくあなたにも、覚えのある内容だと思うわ」
俺は招かれるまま、スピカが開いたデータを見るため、パソコンの前まで歩いて行った。見ろと言う割には、スピカがパソコンを操作しているため、覗き込むような形で、データを眺める体勢になった。
長々と文字列が並んでいるが、読む気にもなれないほどの量に呆れすら感じていると、その内容には驚かされる点が多数存在した。
「こ、これ、日本語じゃないか。それにこれ、ゾンビの実験に関するデータ…か?化け物のことも書いてあるのか」
「これが、あの男にとっての脅威。これを持っている私は、殺される対象になったというわけね。そして、私からこの情報を得ている可能性のある人間、つまり、私と関わった人間を、全て殺すための計画が、あの客船での事故だったの」
俺は、スピカの説明を聞き、衝撃を受けながらも、画面から目を逸らすことはできなかった。
「それで、どう?記憶にないかしら?」
食い入るように画面を見つめる俺に対し、急な質問がなされた。一瞬何を言っているのか、わからなかったが、それを読み進めていくにつれて、記憶を取り戻すような気分にみまわれた。
「あなたの妹さんは、私のお願い通り、あなたに、このデータのことを伝えてくれた。どこまで伝えてくれたかはわからないけれど、私がずっと会いたかった人は、間違いなくあなたと、あなたの妹さんよ。そして、あなたには、この話を聞かされた時のことを、思い出してもらう必要があるわ」
急にそんなことを言われて、気持ちの整理がつくはずもなかった。ただ、スピカの言うことが真実であることは、俺の記憶が証明している。この出来事と出会いが、偶然か必然かはわからないが、一つだけ言えることがある。
『俺は、間違いなく紫織からこの話を聞いていた…』
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