第21話洋館2F③
スパイスって、スピカの本名だよな…。そう思いながらも、口にはしなかった。
「スピカ…」
動揺し続けていたスピカを呼んだが、返事は返ってこなかった。手紙を見つめたまま動きを止め、手紙を握る指には、強く力が込められていた。
「スピカ、大丈夫か?」
俺が肩にそっと手を添えると、スピカは肩を震わせて俺の手を払い除けた。見開かれた目が俺に向けられたまま、彼女は数歩後ずさると、我に戻ったようで、荒い呼吸の中、絞り出すように呟いた。
「…ご、ごめんなさい」
「いや、別に構わないよ…」
俺は呆気に取られ、端的な返答しか瞬時にできなかったが、彼女の様子を見れば、正常で無いことは明らかだった。故に俺は、ここで会話を終えてはいけないと思い、付け加えるように告げる。
「スピカ。別に言いづらいことは言わなくていい。どうせ、聞いたところで俺のやることが変わるわけじゃないからな」
スピカは視線を逸らして、無言のまま立ち尽くしていた。何か後ろめたい感情が、雰囲気から溢れ出ていた。
彼女は、何かを隠している。正直そんなことは、等に気づいている。それでも、こうして共に行動しているのは、彼女に悪意が無いと断言できるからだ。俺は、彼女に変わらず親しく接して欲しい。
「お前がそんなんじゃ、俺も不安になるだろ?お前の絶えない勇気だけが、俺の心の支えなんだ」
さっきは、俺がスピカに救われたが、今度は俺がスピカを支える番だ。
彼女は、今回の一件に深く関わりを持っている。恐らくここには、彼女の心を揺るがす要因が多数存在するだろう。彼女を利用するようで忍びないが、俺が彼女の支えとなり、精神の拠り所として行動を共にするのが、結果として俺にも好都合なのだ。
スピカは、俯いてしまったが、すぐに顔を上げて深呼吸をすると、咳払いを一つ挟んで口を開く。
「ありがとう。絶対話すから、少しだけ待ってて」
スピカの顔色が、今までと遜色ないほどに戻ったところで、今度こそ質問を投げかける。
「それで、手紙に書いていたスティーブンって、どこかで聞いた名前だよな?」
「そうね。えっと確か…、そうだ。日記を書いていた、管理人がそんな名前だったわよね?」
そう言われて、俺も思い出した。確かに管理人の名前が、スティーブンで間違いない。だが、彼の所持品はほとんど探し尽くしたはずだ。彼の部屋で、見つけたものは色々あったが鍵になるようなものなんて、あっただろうか?
俺は、一人で悩んでいると、例のヒントが脳裏に浮かび、彼の部屋で見つけたあるものを思い出した。そして、今回はスピカも同じものを想像したようで、先にそれを口にしたのは、スピカだった。
「あそこで見つけたものなら、円盤のあれじゃない?」
「俺もちょうど、そう思ったところだ」
リュックを漁って、底へと沈んでいた円盤を取り出してみると、相変わらず使い方に関しては全くわからないが、この円盤に刻まれた『C』の文字が、ヒントに繋がる気がした。
「だが、これだけがあってもどうしようもないみたいだし、出してみたものの出番はまだ先のようだな」
漁った甲斐なく、円盤はリュックへと戻す結果となったが、一つ疑問が晴れたと思えば、無駄とは感じなかった。
リュックを定位置に正しく背負い直し、再び室内で視線を巡らせる。使えるものがあれば、なんでも拝借しようと考えていたが、特にめぼしいものは無かった。
作業服のような厚手の服と一緒にかかっている、帽子や防弾チョッキなどもあったが、ゾンビ相手だと考えると、動きにくくなるだけなんじゃないかと思えたため、今回は見送った。
他に筆記用具等も見送り、サバイバルナイフだけをとりあえずいただいていくことにした。
この部屋は見終わったので、隣の部屋に行くため、扉を開く必要がある。この瞬間の緊張感は、何度繰り返していても拭ようがない。
俺は、額から汗が流れ落ちることにも気づかないほどの集中力で、解錠した扉を開き、廊下を覗き込む。
廊下には、足音も無く、ゾンビの姿も見えない。緊張感を保ちつつも安心して扉を全開まで開き、スピカと同時に退室しようと歩み出た。
その時、扉の裏から強烈な腐臭と共にやつが姿を現した…。
安心と共に視界は狭まり、正面のみを警戒していた俺は、不意に現れたゾンビに対応できるはずもなく、気づいたときにはすでに手遅れだった。
大袈裟かもしれないが、その時の激痛は、全身を駆け巡るようにして響いた。左方向から、突如として現れたゾンビに対して、反射的に左手を伸ばしてしまった俺の小指は、簡単に食いちぎられた。
一瞬何が起こったのかすら理解が追いつかず、頭が真っ白になったが、激痛により現実に引き戻され、この事実が頭の中を埋め尽くした。
そんな中、辛うじて自我を保てていた自分は、声を堪えて、可能な限り音を立てないように配慮した。しかし、次の瞬間部屋と廊下に鳴り響いたのは、聞き覚えのある銃声だった。
近距離であったこともあり、スピカが放った銃弾は脳天を貫き、ゾンビがその場で倒れた。起き上がる素振りを見せないため、これ以上の交戦は必要ないと判断した。
一先ずゾンビは凌げたが、俺たちを恐怖が畳み掛ける。銃声を響かせたことによって、続いて聞こえてくるのは、やはりあの音だった。
『ドス……、ドス……、ドス……、ドス……』
無くなった指を惜しむ暇すら与えてはくれないこの残酷な状況に、内心嘆きながらも、床に倒れたゾンビを、廊下の端まで蹴り飛ばしてから急いで扉を閉め、鍵をかけ終えた。
仮にあの化け物が、扉を閉める瞬間を見つけた場合に行動を変える習性を持っていたとしても、見られている可能性は確実にないため、今まで通りなら、部屋の前にいるゾンビを吸収して、鍵を確認して去っていくはず…。
かなりの距離から反応を見せていたため、部屋の前にたどり着くまで、しばらくかかりそうだ。しかも、なんとなく歩行速度が下がっている気がする…。
ポケットから取り出したハンカチで、小指を覆って止血を試みるが、一向に止まる気配を見せない。激痛を耐えながら、恐怖の接近に耳を澄ましていると、足音が部屋の前で止まった。
そして、なぜかしばらく沈黙が続いた。倒れたゾンビを吸収しようとでもしているのだろうか?そんなことを思っていると、不意にドアノブをガチャガチャと何度か回して、施錠を確認してきた。
想定通りの行動に、底知れぬ安堵を覚えるように、今まで堰き止められていた呼吸をようやく行うことができた。しかし、その息もすぐに止められることとなった…。
「コ…、コ。…ガ、ア……、ギ」
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