第5話無人島⑤

 後ろの気配から伸びてきた手は、俺の口元を覆い、草木の中へと引きずり込んだ。

 その手はゾンビというには、綺麗でやけに白くて小さい手だった。しかし、ガッチリと押さえつけられてしまい、その正体はわからなず、黙って視線を前方に向けていた。

 この高さでは、茂みしか見えないが、隙間から開け放たれた門近くの様子が、少しだけ見えた。

 そこには、屋敷から、門を抜けて、森へと歩いていく、ゾンビの姿があった。やはり、ゾンビは昼間でも、普通に行動できるようだ。

 そこで、今朝の経験から、ゾンビが物音に過剰に反応することを踏まえると、今俺の口元を覆い、押さえつけている存在は、俺を助けてくれたことになるのかもしれない。

 ゾンビの姿が見えなくなり、しばらく静寂が続くと、ようやく口元が解放された。

 恐る恐る、振り向くと、青眼の金髪女性が心配そうにこちらを見ていた。

「Are you all right?」

 発音がネイティブすぎて、聞き逃すところだったが、どうやら心配してくれているらしい。だが、英語は一般教養レベルしか理解できていないため、伝わるか不安だ。

「イエス、ノープログレム」

「ん?もしかして、あなた、日本人?」

「…え?」

 突然の日本語に、英語で声をかけられたとき以上の驚きを感じた。どこから、どう見ても、日本人ではない彼女が、なぜ日本語を喋るのか、聞かずにはいられなかった。

「日本語が話せるんですか?」

「少しだけなら、私の父親が日本人で、日本に滞在していたこともあるわ」

 少しと言うわりには、滑らかな口調で、聞き取りにくいといった問題は一切ない。父親の影響と、少しの滞在でこれだけうまく話せるようになるものなのだろうか。

「それにしても、お上手ですね。どれくらい滞在していたんですか?」

「えっと、滞在は一年だけかな、十年も前の話になるけどね。日本語は、訳あって日本について調べたときに勉強したの」

 なるほど、勉強していたというなら、納得だ。十年前ということは、俺が十歳のときか。あまり、記憶にないが、英語に興味を持った気がする。あれは、なんでだったかな?それにしても、こんなことがあるものなのだろうか。

「まさか、島で人に逢えただけでも奇跡なのに、日本語で会話までできるなんて、そんな偶然あるんですね」

「…、偶然。そうね、偶然だわ」

 反応が、少し遅れて返ってきた。早口すぎたか?話せても、ヒヤリングまでいいとは限らないし、これからはゆっくり話すようにしよう。

 だが、俺たちはこんなところで、身の上話をしている場合ではなかった。

「ところで、あなたがこの島に来たのはいつ?」

「そうですね。いつからいたかを聞かれると、はっきりとは答えられませんが、俺が気がついたのは昨日の昼間です」

 そう言うと、彼女は腕を組み、目を伏せながら口を開いた。

「その言い方は、自分の意思でここに来たわけではない、と捉えていいのよね?」

「はい。気づいたら、ここにいました」

 美人を目の前にして、舞い上がっていた気分が、どんどん沈んでいく。自分の言葉によって、現実を知らしめられていくのが、辛く感じた。

「あなたは、世界一周旅行の船に乗っていた旅客で、間違いないのかしら?」

 なぜそれを知っているのかと思ったが、考える間もなく気づいた。そうだ、こんな島にいるんだから、理由は一つだろう。

「あなたも、乗っていたんですか?」

「そう、私も乗っていた。あなたと違うのは、ある意味で言えば、私自身の意思でここにいるということね」

 俺は、含みのある言葉に、質問を告げる。

「それは、どういうことですか?」

「私はあの船で事故が起きたとき、一人でボートに乗って逃げたの。家族が一緒についてきてくれるはずだったけど、間に合わなかった…。そして、漂流しているうち、この島を見つけて上陸したというわけ」

 つまり、彼女は選択肢がない状況での、意思の尊重だったというわけか。苦しみを味わっている分、俺よりたちが悪い。

「でも、私はここに来るべくして、来たんじゃないかと、思うの」

「それは、なぜ?」

「あの船は、最初からこの島を、目指していたのよ。それなら、私がボートで脱出した場合、最初に辿り着くのが、この島である確率は十分だわ」

 彼女の発言は、到底信じられるものではなかった。あの船は、アメリカを出発したあと、ヨーロッパへと向かう予定になっていた。長期間の移動とはいえ、この島を経由する必要などありはしない。しかし、それが事実なら、この事故は、根底から崩れることになる。

「あの船が、この島を目指していたというのは、なぜわかったんですか?」

「操舵室で、電子モニターに映されていた航路図を見たわ。でも、ごめんなさい。これは、見ただけだから、そのあとで変更してたり、その航路図が実際のものじゃない場合を考えたら、確証にはならないわね」

「ソウダシツというのは?」

「船の操縦室みたいなものよ」

「なぜ、操舵室に入れたのですか?一般人に公開しているという話は、聞いてませんでしたが」

「それは、私がサイドプランツ・イノベーションズの社長の娘だからよ」

「なるほど。…って、え⁈」

 連続的に質問を投げかけていくうちに、とんでもない事実に辿り着いてしまった…。

「自己紹介がまだだったわね。私は、スパイス・アンリサイド。社長のセシリア・アンリサイドは私の母です。スピカって呼ばれることが多いから、あなたもそう呼んで」

 社長令嬢であったことに加え、なぜスピカなのかと困惑したが、おそらくspiceスパイスの最後のeをアンリサイドのaに変えて、スピカと読ませているのかもしれない。そういうことにしておこう。自分の中で納得がいったところで、こちらも名乗る。

「俺は、桐堂春希です。桐堂って呼んでもらえれば大丈夫です」

「そっか。よろしくね、春希」

 あれ?急にヒヤリング下手になった?ゆっくり話しているはずだが…。

「あと、敬語じゃなくていいよ。私たちたぶん、歳同じだから。私、二十。あなたは?」

「僕も二十です」

 なんで、わかったのだろうか。今だけは、ゾンビよりもこの人の方が怖い。咳払いで、柔らかくなった雰囲気を正す。

「話を戻すけど、あの船がこの島を目指していたことが事実なら、スピカはあの事故をどう見ているの?スピカをボートで逃すためなら、計画されたものになるけど、スピカをこの島に連れてきたかったのなら、船でこの島まで運んだ方が確実だよね?」

「確かに、そうかも。だったら、やっぱり偶然なのかしら…」

 スピカも唸りだし、思考が行き詰まり始めた頃、やはり気になるのはだろう。

「ここで悩んでいても、答えは出ないようね。私は、何かヒントがあるとしたら、あそこなんじゃないかと思っているわ」

 考えていることは、同じのようだ。スピカが見上げたのは、無人島に建てられた、謎の館。

 あの船が、この島を目指していたという部分が、この館の重要性を高めている。ゾンビが出てきた、この館には確実に何かある。そう、思わざるを得なかった…。

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