第8話 処刑③


少女の最期の時を共に過ごすことにしたハナは、少女の眠る岩の上にタープをかけて、その側に横になれる組み立て式のベンチと寝袋を準備した。

徐々に霧の中に届く太陽光も弱まっていった。


準備を終え、寝袋にくるまって暫くすると、少女がもぞもぞと動いたのが見えた。

「あれ、ここはどこ?」

少女は変わらずか細い声でハナに聞いてきた。しかし前回よりは意識が明瞭そうな声色だった。

ハナは寝袋から急いで出て、祭壇に寝かされた少女を上から覗き込んだ。


「ここはね……そうだな、天国への入口だよ」とハナは優しく答える。

「え……、私死んじゃったの……? 村長さんにお薬飲まされて……、あれ何で飲まされたんだっけ……。手錠……?」

少女は自分の左手首を見て驚いたようだった。

何故ここに連れてこられたか忘れてしまうくらいには、少女の忘却現象が進んでしまっていることがわかった。


「お姉さんは誰?」

「私はハナ。このオウムはナギ。あなたを天国に連れて行くためにここにいるのよ。あなたのお名前は?」

「私の名前……は……レイ」

少女の言葉には奇妙な間があった。

もうすぐ自分の名前も忘却してしまうのだろうと思われた。

「レイちゃんていうのね。大丈夫。怖くないから。眠っていれば天国に着くからね、安心してね……」

ハナはレイの目を見て、安心させるように言った。

「安心して良いぜ」とナギも軽く請け負った。


「そっかぁ、良かった……。天国かぁ。きっと素敵なところなんだろうな」

レイはか細い声で続けた。

「あ、でも弟に最期に会いたかったな……。去年生まれて、とっても可愛いんだよ……それだけが思い残りかな……」

「そうなんだ……。会えなくて残念だったね……」

ハナはゆっくりと優しく言った。

しかしハナはあることに気付いてしまって、内心かなり複雑な胸中だった。

「それじゃ……、よろしくねお姉さん……」と言い残すと、レイは再び眠りについた。


暫くハナとナギは無言だった。

徐々に少女、レイの忘却現象が進んできたことが明確になってきた。

虫の鳴く声が夕方になり目立ってきた。


「多分……、あの白装束、村長さんだったんだろうな……」

唐突にハナが話しだした。

「お、どうした急に。何か思いついた?」と軽い調子でナギが返す。

「いや、このレイちゃん言ってたじゃん。村長に薬を飲まされたって。で、ガスマスクでわかりにくかったけど、今思い出すと多分、声色的にあの処刑人が村長だったんだろうなと思って……、しかもレイちゃんが持ってるその白い花、村長の家の玄関脇にあった沈丁花だよ」

「なるほど……、でもどうして村長が濡れ衣を着せるようなことをしたんだろう? そんな悪い人には見えなかったけど」


ナギの疑問について、ハナは少し考えてから、話し始める。

「そうだねぇ、まず彼女の村はどうやら食糧事情が逼迫していたらしい。それは良いよね」

「まぁ、今はどこでもそうだろうし、昨日の村もかなり食糧は困ってそうだったからな」とナギは言った。

「で、レイは食糧泥棒の濡れ衣を着せられたっぽいんだけど、その前に村長に呼び出されたって言ってたのを覚えてる? そこで急に怒鳴られた、とも。そして、その村長にお薬を飲まされて、気づいたらここにいた、と」

「そうだね、そんな感じだったと思う」

「問題は、なんで村長はそんなことをやったか、ということだと思う」

ハナは言った。


「ここからは私の推測でしかないんだけど……、多分、口減らしのためだったんじゃないかな」

「口減らし?」ナギは黄色い冠毛をぴょこぴょこ動かしつつ、オウム返しをした。

「そう。口減らし。これが老人だと姥捨てとも言うかな。レイは『去年弟が産まれた』って言ってたでしょ? きっとレイの一家に待望の男子が生まれて、レイが邪魔になっちゃったんじゃないかな。食糧事情が逼迫していて、一家の配給量が決まっていたり、二人目以降の子供に高い税率がかけてある村だとすると、長男をしっかりと育てるために、長女を口減らしする。その時、あまり村として口減らしを表立って認めたく無い村長が、レイの両親と一緒になって食糧泥棒という犯罪をでっち上げて、レイにありもしない犯罪を背負わせてそのまま処刑した。ありえない話じゃなさそうでしょ?」

「……」ナギは考えているのか、首を横に傾げたまま固まってしまった。


「そう考えると、大悪人と言われてたのに、綺麗な沈丁花の小枝を持って、この祭壇みたいなところで放置して『処刑』というのも、そもそも善良な少女にありもしない罪を被せた罪滅ぼしなのかもね。まぁ、単なる邪推かもしれないけど……」

ハナは落ち着いた声でゆっくりと続けた。

「でもそれなら、ただ少女を殺すだけじゃダメなのか?」

「まぁ、ただ殺すよりも、たとえでっち上げでも罪があるということにして殺した方が、多少なりとも自分の良心に反しないってことじゃないかな。まぁよく分からないし、分かりたくもないけどさ」

「……そうなると、この少女は濡れ衣どころか、犯罪が何も起こってないのに処刑されたってことか……いくらなんでも可哀想すぎないか……」

「まぁ食糧泥棒は実際に発生して、好都合だと思って濡れ衣を着せられた可能性も一応は残っているけど……、いずれにしても報われない話だね……」

ハナは少女の両手の上に自分の掌を重ねながら、細い目をして言った。

暫くナギはハナの言葉を反芻していた。

「……そうだな」とぽつりと溢した。


暫くすると日が傾いていき、少々肌寒くなったためハナは焚火を熾すことにした。

横たわったレイにも暖かさが伝わるようにと思って、岩の祭壇の横で種火を作り始めた。

徐々に種火は大きくなり、種火の上に重ねた小枝から太い枝へと徐々に燃え移って行った。

このまま大きくなりすぎず、小さくなりすぎずの状態をハナは維持していく。


ハナは少女の境遇や村長の心情などをボーっと考えつつ火を眺めていると、完全に日が暮れて夜になった。

周囲には『忘却の霧』が立ち込め、ハナの周囲だけポッカリとオレンジ色の穴が出現した。

オレンジの世界の中だけはまるで聖域のように、穏やかな火に照らされた静寂と安寧に満ちていた。

そしてその外側は虫の音や木々のざわめきが満ちた深い暗闇の世界が広がっており、時折吹き荒ぶ風が、ハナとナギのいるオレンジの世界を外側から食い破ろうとしているようだった。


一瞬、ごうっ、とつむじ風がオレンジの世界に侵入し、ハナ達の間を吹き抜けた。

レイの持っていた沈丁花の白い花弁が数枚、小枝から剥離し、焚火の中に飛んで行った。

すると焚火が花弁に燃え移り、パチリと花びらの水分が弾ける音がした。

沈丁花の芳しい爽やかな香りが、焚火のオレンジの世界の隅々まで広がっていった。


「ああ、良い香りだ……」とハナは思わず独り言を漏らすと、レイの小ぶりな鼻が微かに動くのが見えた。

むずむずと鼻が動き、どうやらレイも沈丁花の香りを感じているようだった。

「あぁ……、おうちがある……」

ほとんど聞き取れない声でレイは言った。


レイは目をゆっくり開けると、ハナを認識した。

「あれ……、ここは……?」

「ここは天国だよ」とハナは優しく言った。

「てんごく……?」

既にレイは『忘却の霧』の中で数時間が経過し、ほとんどの記憶が忘却の彼方へ飛び立ってしまっていた。


「あれ……、でもパパとママがいる……てんごくっておうち……?」

この沈丁花の香りが誘引となって家族のことを思い出したと思われた。

――きっとレイの家の庭にも沈丁花があったんだろうな、とハナは思った。

「そうだねぇ、おうちだよ」とハナはレイの手をさすりながら言った。

「そっかぁ……よかった……」

レイは心底安心したように言って、目を閉じた。

微かな声で「ただいま……」と言った後、再び眠りについた。

レイの弟のことは思い出していないようだった。


それからハナはレイの手を暫く握っていた。

焚火が徐々に弱まり、オレンジの世界が徐々に狭まっていった。

ハナは以前に物々交換をした乾燥レーションを食べて寝袋にくるまった。

ハナはレイが幸せだったのだろうかと考えていた。

沈丁花の花が仄かに薄く優しく香っていた。

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