第8話 処刑②


翌日。

ハナは霧深い山道を群青色のスーパーカブでゆっくりと走っていた。

昨日ここまで来た時に比べるとかなり『霧』が濃く、体表面に重さを持って纏わりつくようだった。

ハナは昨日の村をさっさと通り過ぎて、特産品がある当初から目的としていた別の街へ向かうことに決めたのだった。


これだけ周囲に霧が立ち込めていると、逆に周囲から得る情報量が少なく、見えている周辺の景色に特に注意が向くようになり、昨日とは全く異なった印象を受けることになる。

山道の舗装は荒れ果て、両側の木々も幹の茶色に紫の斑模様が入っており、どう考えても成長しているようには見えなかった。

幹や枝は極端にカーブしており、さながら何かに苦しくて悶えているようにもみえた。


「おーい、ナギ、先に何か見えるー?」とハナは問いかけた。

『いやー、ちょっと視界が悪すぎるな』

マリンブルーの宝石のついたイヤーカフからナギの通信音声が聞こえてきた。いつものようにナギが上空から偵察をしているのだった。

「やっぱり上もそうだよね」

『今日は一段と『忘却の霧』が濃いね。道のちょっと先に何があるのかも良く見えない……って、あ、ちょっとまずいかも!』

ナギが一瞬にして焦った声色になった。


「ん、どうした」

 とハナは尋ねたが、ナギからの返答よりも先に「まずい」ものが見えてきた。

全身を覆う白い装束にガスマスクという奇妙な格好で身を固めた人が、薄汚れたグレーのワンピースを着た少女を肩に担いで運んでいた。

その少女はガスマスクをつけておらず、意識が無いようだった。


その白装束は先にバイクの音で気づいていたのか、少女を肩に担いだまま、銃口をこちらに向けていた。

ハナはバイクをゆっくりと止めて、その人の前から距離を取りつつバイクを降りた。


「それ以上近寄るな。近寄らなければこちらも危害は加えない」と白装束が言った。ガスマスクを装着しているため、モゴモゴとして聞き取りにくかったが、どこかで聞いたような声色だった。

「それはそれは」と言いつつ、ハナは害意が無いことを示すために両手を上げた。


ナギから「大丈夫?」という通信が入ったが、軽くうなずくことで返事をする。

きっとこちらから見つからないように、霧の中からこの様子を見ているのだと思う。


「おじさんは何をしているの」とハナは尋ねる。

「処刑だ。こいつは村の食糧を盗んだ大悪人だ」と答える。処刑に対して特段何も疑問に思っていない冷淡な口ぶりだった。機械的な口調とも言えた。

――確かに昨日の村の様子だと、食糧を盗むのは重罪に相当しそうよね。村人みんなで危機を乗り越えなければならないのに……。

とハナは思った。


「……それはそうと、ガスマスクで『霧』って防げるの?」

「短時間ならば問題ない」

「そう。……まぁいずれにせよ、邪魔するつもりもないんで、私のことは気にせずどうぞ続けてください」

「……」


その男は拳銃を仕舞い込むと、小柄な少女を肩に担ぎつつ、山道の脇にあった登山道をゆっくりと降りて行った。

『忘却の霧』は濃く、すぐに白いヴェールに包まれて白装束と少女は見えなくなった。


ハナはバイクを山道に止めたまま、朽ちた鉄柵に軽く腰掛けつつ白装束の行った方向をぼーっと見ていた。

すると、すーっと上空から1羽の白いオウムが降りてきて、ハナの右肩に止まった。

そのオウムの胸元にはマリンブルーの宝石のついたネックレス型通信機がきらりと光っていた。


ナギはハナの右肩に止まりつつ、黄色い冠毛をぴょこんと動かしてハナに尋ねた。

「なにぼーっとしてんのさ」

「いやまぁ、世知辛いなぁと思ってさ」

ハナは手についた柵の鉄錆をパラパラとはたいて落とした。


「おいおい、同情的じゃねぇか。このご時世、食糧泥棒は極刑が普通だぜ?」

とナギはハナの前髪を啄みつつ軽口を叩いた。

「まぁそうなんだけどさぁ……」

ハナは伏し目がちに言った。


そのままハナは物思いにふけった顔で、霧深い登山道の先を見ていた。

暫くすると、白装束がその登山道から戻ってきた。

「なんだ、まだいたのか」と言われたが、ハナは無視した。

そのまま白装束は山道を登って行った。

恐らくそのまま昨日の村へと帰るのだろう。


ハナはナギを肩に乗せたまま、先ほど白装束が少女を連れて行った登山道を降りて行った。

「お、どこ行くの?」ナギは当然の疑問を口にした。

「ちょっと少女が気になってね……」とハナは言った。


しばらく登山道を降りると、かつて登山中の休憩スポットとして使用されていただろう平らな空き地が見えた。

そしてそこの中央に大きな薄い台状の祭壇のような岩があり、その上に少女が寝かされていた。

少女のか細い左手首には手錠がかけられ、手錠のもう一方は岩に固く刺さったペグにしっかりと施錠されていた。

そして少女は両手を胸元で組んでおり、真っ白い花がこんもりと咲いた1本の小枝を持っていた。

甘く爽やかな香りが微かに漂っていた。


少女はかなり小柄で、まだ10歳に満たないように見えた。

眠っている顔は穏やかで、ゆっくりとした呼吸が感じられた。

「おーい」とハナは声をかけてみるも、全く反応がない。

恐らく睡眠薬か何かで眠らされているのだろうと考えた。


霧の中に潜霧士ダイバーでない通常の人間が入ると、概ね数分で些末な記憶を忘却し始め、約2時間で重要な記憶の忘却現象が発生していき、約半日で言葉が失われ廃人と化し、1日経つと何故か身体ごと『消える』と言われていた。

今の処刑は霧の中に放置しておくだけで『消える』のだから、処刑人も罪悪感と闘う必要が無いようだった。


少女の周囲を観察すると、少女が寝かされている大きな岩の祭壇の周りに、つるんとした丸い岩が円状に並べられていた。

円周状に並んだ岩の中心に祭壇があって、そこに少女が横たえられており、なんらかの宗教的な意味合いがあると考えられた。

「大悪人でも花を持たされて、こんな意味深な場所に眠らされるんだな……」

ハナは独り言のように小声で言った。


「ハナはその子を助けるつもり?」ナギはハナに尋ねた。

「いや、無理でしょ」とハナは即答した。

「手錠をまず壊せないし、壊せたとしてもこの子はダイバーでは無い。そうなると霧の来ないところで生活しなきゃいけないけど、元の村には帰れない。この辺に別の村は多分ない。恐らく忘却現象も既に徐々に始まっている。完全に詰んでるよ」

ハナは横たわっていた少女をまっすぐに見つめつつ、少女に近づいていった。


「相変わらず諦めが早いねぇ、ハナは」

ナギは呆れた声でハナに言った。

「それじゃ、なんで少女を追ってここに来たのさ?」

「そうだね……1つは少女がちょっと気になったのと、まぁ、後は『消える』としても最後まで少女の側に居てやることくらいは出来るんじゃないかと思って」

ハナは横たわっている少女の胸元に右手を伸ばして、優しく少女の両手を包み込んだ。


「本当にそれだけ?」とナギは追及をした。

「……正直に言うと、どうやって『消える』のか確かめたいってのもある」

「なるほどー」

ナギは何も考えていないような声で言った。


しばらくハナは少女の両手をさすっていた。

太陽が『忘却の霧』の中にも平等に光を届け、周囲の木々を照らしていた。

木々は忘却の霧のせいで紫色に変色しているものもあったが、霧の中でも力強く新緑の葉を沢山つけているものもあった。

ナギはハナの右肩から、少女の様子や周囲の木々の様子をキョロキョロと首を振りつつ観察しているようだった。


すると少女はおもむろに目を開いた。

横たわったまま首を左右に緩慢に振っていたが、あまり目の焦点が合っていないようだった。

睡眠薬の効果がまだ若干残っているものと思われた。


少女はハナの顔をようやく見つけると、ゆっくりと口を開いた。

「ここは……?」

少女は今にも消え入りそうな声で言った。

「んー……、まぁ、天国みたいなところかな……」とハナは優しく答えた。

ハナなりの優しい嘘だった。


「そっか……、天国に来れたんだ……。よかった……」

少女は心底安心したように言った。煙のような微かな声だった。

「急に村長さんの家に……呼ばれて……、お前は悪いやつだって、村長さんに怒鳴られて……。何もしてないのに……。でも……それでも神様は全部見ていてくれたんですね……私、いつも良い子にしてたって……。天国に来れて……本当に良かった……」

少女の目には涙が溢れており、つー、と目尻から流れていった。

「良かったね……」とハナは答えた。

安心したのか、少女は再び眠りに落ちてしまった。


「……、今の話、どう思うよ。ハナ?」とナギが右肩に乗ったまま尋ねてきた。

「うーん、濡れ衣……なのかなぁ」

「それじゃ、またあの村に行って糾弾でもしてみる?」

ナギは半ば冗談のような口調で言った。

「それはやめよう。そんなことをしても少女はきっと死を回避できないしね。きっと村には村なりに、彼女に濡れ衣を着せた理由があるんじゃないかな?」

と同情的にハナは言いつつ、

――でもまぁ、濡れ衣だったらまだ良い方かもしれないな……。

と一人思った。

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