第7話 記憶⑤

その娘はバイクを減速したりせず、全く躊躇の無い感じで『霧』の中に入っていったから、俺は本当にビビったんだ。

折角生きてこの温泉街に避難出来ているのに、どうしてまた『霧』の中に入っていくのか、アホかなのか、って思ったよ。


俺はこの時結構迷った。

あの娘を追いかけるべきか、見なかったフリをして、この温泉街でゆっくり過ごすか。

むちゃくちゃ迷った。迷って迷って、何度も何度も上空を旋回し続けていたと思う。


全く、おかしいよね。普通に考えたら、俺になんの義理があってあの娘を助けなきゃいけないんだ、とも思うし、いやいや、一旦避難出来て助かったのに、どうしてわざわざ『霧』の中に入っていくアホを追いかけないといけないんだよ、とも思うし。全く俺にとってあの娘を追いかけるメリットは何も無いんだよ。理性的に考えたら、そらそうなのよ。


でもね、まぁ今思うと倒れた人間の記憶を断片的にでも受け継いでいたからかもしれないけど、あの娘を追いかけなきゃな、助けなきゃなって漠然と感じたんだ。

理性ではなく、直感的に、あの娘をここで追いかけていくと、きっと楽しいことが起きそうだって漠然と思ったんだ。ほら、俺の動物的直感ってヤツだな。

でもこの直感ってヤツはよ、結構な確率で当たるんだよな。

それが俺の経験則。


俺はたっぷり時間をかけて迷ったが、最終的に理性ではなく直感を信じてその娘を『霧』の中まで追いかける決心をした。

『霧』に入った瞬間は多少緊張したが、そんなに長期間『霧』の中に居なければ問題は無いだろうと漠然と考えていた。今から考えると、相当怪しい考え方だったけどな。

また、その娘の行く先についても、恐らく例の倒れた人の父親の家だろうと検討がついていたから、既にその娘を見失ってしまっていたけど、特に問題はなかった。その人の家の場所については記憶を受け継いだから、その時点で既に場所もわかっていた。


俺はその娘の祖父の家へと急いだんだ。

結構な長距離の飛行だったけど、この2日間でだいぶ飛行することに慣れてきたから、疲労感はかなり少なかったな。祖父の家に着くと、予想通り青いスーパーカブが停車してあった。

俺はその辺りを旋回しながら、家の中に入ろうかどうしようかと悩みつつ飛んでいると、その娘が祖父の家から唐突に出てきたんだ。

そうして、出てきたと思ったら、急に大声を上げて崩れ落ちるように泣き出してしまったのを見たのよ。

そう、もう分かっていたと思うけど、それがハナ、君だったのさ。


そんな様子を見た俺は、一体どうすれば良いのか全くわからなかった。

慰めたとしても、急に現れた人語を話すオウムに慰められて人は嬉しいと感じるのか良くわからなかったし、そもそもその娘が何故泣いているのかも正確にはわからなかったし、どうやって慰めの言葉をかければ良いのかもよくわからなかったんだ。

そんなことにウジウジ悩みつつ、上空を旋回していると、霧でギリギリ見えるか見えないかくらいのところに、金属バットを持った男が、ハナの方に歩いて移動をしているのが見えたんだ。

きっと遠くからハナの泣き声を聞きつけて、襲撃するつもりなのだろうと思ったのよ。


そこで俺は上空から急降下し、ハナの右肩に飛び乗ってこう言ったのさ。

――よう、そこの嬢ちゃん。泣いてるところ悪いけどよ……。



「ここから先はハナも知ってるよね」

とナギは一人語りを終えて、ハナに問いかけた。

「なるほどねぇ、あのナギのやたらキザな台詞は、『どうやって慰めれば良いか分からなかった』が故の言葉だったのね」

「そうだよ、あぁ……今更ながら恥ずかしい」

「え、別に良いじゃん。格好良かったよ、助けてくれてありがとうね、ナギ」

と言ってハナはナギの頭を撫でてやった。


そしてハナは言葉を続けた。

「それにしても……、『霧』は人々の記憶が溶け出たもの、かもしれないんだね。……あれ、でも、『霧』に記憶が溶け出てるなら、私やナギが今こうして『霧』に潜水ダイブしている時に、色んなフラッシュバックが見られることにならない? 全然見えたこと無いけど……」

「んー、これは俺のただの推測だけど、記憶が空気中に拡散して、あまりに薄くなっちゃったら、その薄い記憶を吸い込んでも、意味がないんじゃないの? しかも色んな人の記憶と混ざりまくっているだろうからね。流石にそれは無理でしょ」


「確かにね。……それにしても、この『忘却の霧』が人々の記憶が溶け出たものだとはねぇ……」

「まぁただの俺の推測だけども、そうだとすると中々興味深いよね。『忘却の霧』じゃなくて、『記憶の霧』に名前を変えたほうが良さそうじゃない?」


しばらく間を開いた後で、少し躊躇しつつ、ハナはナギに聞いた。

「うちのお母さんの記憶の中で、私の存在ってどんな感じだった?」

「……そうだねぇ、あくまで彼女の断片的な記憶でしかないけど、めちゃくちゃハナのことを気にしてたみたいだったし、シングルマザーであまり構ってあげられない申し訳なさみたいなのもあったみたいだね。何というか、俺の感想としては、大きな母の愛を感じたかな。」


「……そっか。いつもいつも働きに出ててさ、ちょっと気まずい関係になった後でも、いつも私のために一生懸命に長い時間パートに行ってて、だからこそなかなか落ち着いて話す機会もなくて。でも私に構ってくれないことを、私はいっつもお母さんの所為にしててさ、自分がお母さんに向き合ってこなかったからだって、わかってたのにね。いつまでもツマラナイ意地をはったせいで、ギクシャクした関係のままで……ごめんとかありがとうとか言う前に『霧』の中に消えちゃったなぁ……。全然、親孝行出来なかったな……。いつか『霧』の中を旅していれば、お母さんの記憶と巡り合ったりしないかなぁ……」

「さぁ……どうだろうねぇ……」

ハナの目尻には涙が溜まっていた。

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