第7話 記憶④

そう。もう気づいているよね。

この相手の記憶のフラッシュバックというか、イメージ喚起が、国立拡張研究所で教えてもらったレポートにつながる訳よ。きっと。


だから、そのレポートによれば、『忘却の霧』の忘却作用について、『霧』が肺を通して血中に入り込み、『霧』が脳内の記憶領域に侵入して、何らかの記憶に関する物質を溶かしだして持ち去ってしまうことが原因だろうって書かれていたんだよ。

そうだとすると、その記憶に関する物質が脳内から『霧』の成分と一緒に血液に入り込んで、体内を循環していって、肺を通して『霧』と一緒に記憶が外部に排出される可能性もあると思うんだよ。

そうなると、そのを再度別の人が吸い込んで体内に取り込んで脳内の記憶領域に入り込むと、その人の記憶を断片的に受け継ぐことができる、ってことになりそうじゃない?


俺が倒れた人に両手で掴まれて顔の前で話しかけられた時も、俺は確実にその人の吐く息を吸収していたと思うし、その記憶の流出と再吸収によって、その人の娘の顔と名前がイメージとして浮かんできたし父親の家も詳しく知ることが出来たって考えた方が、さっきの『思いの強さ』みたいなオカルト的な見解よりは遥かにマシな説明だと思うよ。


もっと言うと、俺が助けた人間は季節外れの白い息を吐いていたし、この前どこかのバス停で、我慢大会のように偽物の『霧』に効く薬を試してい男女も、よくよく考えてみたら、白い息を吐いていたよね。

あとは、ハナが『霧』発生当日におじいと話していた時も、おじいが白い息を吐いていたって言ってたよね。あまり寒い時期じゃないのに。

この白い息っていうのも、『霧』の成分に加えて記憶に関する物質が体外に排出されていたせいと考えれば、割と辻褄の合う説明だと思うんだ。

どう思う?


まぁ『霧』の解釈は今は置いておくとして、本筋の昔話に戻ろうか。

しばらくそうやって、倒れた人の白い記憶混じりの吐息を仕方なく吸収しつつ、いろんなイメージの奔流をフラッシュバックのように受け続けていた。

今思うと、動物園内で得られない人間の世界の一般常識みたいなものは、この人から多分得たんだな。多分だけど。


俺は非常に大人しくしばらく両手で握られていると、1時間は経っていないと思うけど、徐々に両手の力が緩んできたんだ。

そうして俺は何とか逃げようと、両翼に大きく力を入れると、ようやく両手の枷から抜け出すことが出来た訳よ。


俺としては、倒れていた人間の記憶の一部を受け継いだせいか、その娘を出来れば助けてやりたいなぁとこの時既に思ってはいたけど、でもその前にまずは自分の身の安全を確保しないと、とも思ってたのよ。

だって動物園の同僚とか俺を襲ってきた鷹も、恐らくは『霧』のせいで凶暴化していたし、さっきの倒れていた人間も霧のせいで倒れたみたいだったし、『霧は脳に影響する』とか言っていた訳で、このままじゃいつ俺も『霧』のせいで凶暴化するかもしれないし、脳に悪影響が出て、あの人間みたいに倒れるかもしれない。

そもそも、その娘も霧から出てないと、助けるも何もないだろうしね。


ってわけで、そう思った俺は、ひとまず倒れてた人間の願いは無視して、霧を避けられる高地へと逃げることにしたんだ。まぁ既に日が暮れたような暗さだったから結構大変だったんだけど、何とかかんとか山の斜面に沿って飛んで言って、完全に日が暮れてしまった頃に、ようやく高原にある人里の明かりを発見して、そこで初めて『霧』が晴れているのが確認出来た。

良かった良かったと思って、適当な木に止まると、俺は生まれて初めて長時間はばたき続けたせいか、ドッと疲労が襲ってきて、すぐに寝ちゃったのよ。


翌日起きてみると、朝日が眩しくてね。寝ぼけた頭で「あれ、今日は餌やりの飼育員来るの遅いな」とか考えちゃったんだけど、まぁ当然そんなこと、外の世界である訳ないよね。食糧は自分で確保する、これが野生の常識。

木から降りて虫とか木の実とかを食べたんだけど、乾燥ペレットとかヨレヨレの野菜よりもこっちの方が美味しいなぁって思ったよ。


その後でその「助けてほしい」って頼まれた娘のことを考えだしたのよ。

倒れてた人間曰く、娘は倒れた人の父、娘からしたら祖父の家にいたらしいし、受け継いだ断片的な記憶をもとに考えると、そいつは青いバイクを持っていた。

とすると、その祖父の家で『霧』を受けて、もしその青いバイクで逃げられたとしたら、そこから一番近くて標高の高い、この俺がいる温泉街に来ている可能性が高そうだと考えたんだ。


そこで、俺は朝食を済ますと、その温泉街の上空を色々と飛び回ることにした。

あまり低く飛ぶと目立っちゃうから、適当に地上から距離を取りながら、宿泊施設が密集しているところや、商店街、お土産物屋が並んでいる地区や、飲食店街、色々と回って見たんだけど、全く見つからなかった。

仕方がないから今度は建物の外から旅館の内部を色々と何軒も何軒も見て回ったけど、やっぱり全然見つからなかったんだ。まぁ、当然かもしれないけどさ。


それなりに人の多いところで、たった一人の探し人をするのはなかなか難しいよね。しかも本当にこの温泉街にいるのかもよくわからないし。

結局、この日はお腹がすいたら虫や木の実を食べつつ、一日中探し回ったけど、何も手がかりは見つからなかったんだ。


翌日も俺は、その娘を探すことにした。昨日は街の中を飛び回ったから、今度は街の外で人があまりいないところを飛び回ることにしたんだ。

そうしたら、唐突にバイクの音が道の向こうからやってきたんだ。俺は上空に飛んで距離をとりながら、そのバイクの運転手を見てみると、なんと、そいつが例の『娘』だったんだ。俺は本当に驚いたよ。でもバイクだったから一瞬で俺の真下を通り過ぎてしまったんだ。しかも、その道の先は『霧』の中だったんだよ。

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