第7話 記憶①

ハナはナギを右肩に乗せつつ『忘却の霧』の中を群青色のスーパーカブで軽やかに走っていた。

「なぁハナ、今日はどこに向かっているんだ?」

「今日はちょっと遠くまで移動する予定だよ。この辺は平野が広がってて、別の地域まで行こうかなって思ってるから、ずーっと『霧』の中を移動するつもり。どうしたの、どこか寄りたいところでもあった?」


「いや、そういう訳じゃないんだけど……」

ナギは珍しく言い淀んだ。

「ん? どうしたのさ、ナギ」

「いや、ちょっと。さっきハナが図書館に置いてきた論文集が気になってさ。あの研究所で俺が読んでたヤツ」

「……、え、もしかしてペラペラと捲ってたヤツ? あれ、紙をつついたりして遊んでたんじゃないんだ……」

「そんな訳ないでしょ! 失礼だなぁ!」

ナギは珍しく目を三角にして怒っていた。


「ごめんごめん、で何が書いてあったの?」

「まぁ俺も詳しくはよくわからなかったけど、要するに霧の成分の特定を試みていたのと、その成分が肺から吸収されて脳内に侵入して、記憶を保持する物質、というか、脳の成分が脳内から溶け出すせいで、忘却現象が発生するのではないか、みたいなことが書いてあったのよ」

「なるほど」

「それで、それをさっき読んでたら、昔の出来事でちょっと思い当たることがあったから、ハナに話してみようかなと。なんで俺がこんな人語を流暢に話せるようになったのか、とか、どうして『霧』が発生したあの日あの場でハナを助けることになったのか、とかにも繋がる話だよ。前は長話になっちゃうからってのもあって『また今度ね』って言っちゃったけど、暫く移動するならちょうど良いと思うな。どう、聞きたくない?」

ナギは悪戯っぽい笑顔で気楽に明るく言った。

「え! めっちゃ気になる! 教えて教えて!」


「オッケー、それじゃ俺の昔話の始まり始まり……。昔々あるところに、ナギというオウムがいました……」


俺はキバタンって種類のオウムなんだけどよ、オウムってのは本来めっちゃ脳味噌の処理能力が良い動物なんだよ。でもよ、それが、あまり人間共には認知されていない。なぜかわかるか?

それはな、記憶力があんまり良くないんだ。頭の回転が良くて認知や理解はできるんだが、記憶する力がとても弱いんだよ。

ほら、良く人間も記憶力が悪い人間を「鳥頭」だって罵ったりするだろ。あれは本当なんだよ。

あと、ニワトリの表現で「3歩も歩けば忘れてしまう」ってのは、マジもマジ、というか1歩で多分忘れてるぜ。何も覚えてられねぇんだよあいつら。まぁ、だからこそ人間の家畜って立場で満足してるのかもしれんけどな。


ニワトリよりは多少頭の作りが改善されてる俺たちオウムも、同じ鳥類だから、本質的には記憶力があんまり良くない。

だから、たとえ普通のオウムが小さい頃から人間と一緒に暮らして、人語を覚えられる環境にあったとしても、ほとんど単語は覚えられないし、単語の意味も覚えられないし、だからこそ人間と会話も出来ないんだよ。

何となくシチュエーションと簡単な単語を結びつけて会話っぽい『何か』が成立することもあるけど、それはあくまで偶然の産物に過ぎなくて、本質的には、俺たちオウムが人語の意味を理解して会話をしている訳ではないんだ。


でもよ、オウムはある程度の認知力や理解力はあるし、声帯も人間のものと近かったりするから、記憶力がどれだけ悪くても、人間が何度も何度も繰り返してオウムに言い続けたり、歌い続けたりすれば、そのうちにそれを覚えて、真似て発声するようになるって訳よ。

そうして、そんなモノマネが上手く出来ればテレビ局に取材をされてお茶の間の人気者、……今だったら飼い主がインスタに投稿してインスタの人気者かな、になってしまうんだな。

それでフォロワー数を稼いで、インフルエンサーにでもなって、広告収入をいただく。

全くちょろい商売だよ、ほんと。

……何の話だっけ?


ああ、そうだ。

で、なんで俺が人語をこんなに流暢に喋るかというかってーと、ここまでの話の流れから自明だろ。

記憶力が良いんだ。他のオウムと比べ物にならないくらい。

……さっき一瞬話の流れを忘れそうになったのは気にしないでくれ。


記憶力が良い理由は良くわからねぇな。

多分突然変異とか、まぁきっとそんなところだろうよ。


あとは、俺は生まれた時から動物園にいて、いつも周囲の人間の会話を聞いていたから、それを1つ1つ記憶して真似て、流暢に話せるようになったってことだな、多分。

物心ついた頃から、人間の喋る言葉は理解できたし、話もできたんだ。凄いだろ。

小さい頃はよく飼育員と色々と話して練習したもんだったぜ。


でも段々大きくなって、語彙も増えていくと、もう基本的には人間と会話をしないようになったんだ。まぁ今でも基本的にはハナ以外には話しかけないけど。理由は今と同じだな。

意味もなく相手に警戒されちゃうし、恐怖心を煽ってしまうからね。どうも人間は、人間以外の物が人語を喋ると言うのは、非常に気味悪く感じてしまうものらしいね。


俺としては別に人語を喋る鳥がいても何もおかしくないと思うんだけどねぇ。そんなに人間は『言葉』を独占したいのかな。

コミュニケーション手段という意味では、鳴き声で仲間に情報を伝える生物はいくらでもいるし、他にも飛び方でコミュニケーションを行う蜂がいたり、匂いで情報を伝える蟻がいたり。色んな生物種が色んなコミュニケーション方法をこれまでに編み出してきたんだから、別に『言語』を人間の専売特許とするのはおかしいと思うんだけど……。


おっと、話が横道に逸れてしまったな。

俺は生粋の動物園育ちのオウムなんだ。そこで生まれたのか、赤ちゃんの頃に引き取られたのか知らないけど、最初の記憶が既に動物園内だったんだ。まぁ概ね「生粋」と言って差し支えないだろ。


動物園の中でも、良くあるだろ、こう、「ふれあいキッズコーナー」みたいなところ。

動物が一定エリア内を自由に動けるようになっていて、そこに子供たちがやってきて、飼育員の監視の下で自由に触れる感じのところよ。そこの鳥類ゾーンで放し飼いにされていたオウムだったってわけ。


もちろん鳥類ゾーンは籠のようになっていて、上空とかに飛んで逃げることは出来なかったよ。でも、色んな来客の話や飼育員の話を聞いていて、いつかは籠の外で自由に世界を飛び回ってみたいなぁとずっと思ってたね。まぁそんな日々はどうせやってこないとも思ってたけどよ。

だって、鳥類ゾーンから外に出るには、ケージの内ドアと外ドアの2枚のドアを通過しないといけないし、お客さんが出入りする日中は飼育員が常に内側にいて、お客さんをコントロールしつつ2枚同時に開けないようにしていたからね。

まぁ、それも当然だと思うけど。


でまぁ、その「ふれあいキッズコーナー」には同僚と呼べるオウムが俺の他に数羽はいたな。もちろん人語は理解しない、フツーのオウムだよ。

基本的にはそいつらにヤンチャなキッズと保護者の接客は全部任せて、俺は一番上の止まり木でずーっとぼーっと過ごしていることが多かったな。

来客の会話に耳を傾けつつ、たまーに興が乗ったらそいつらを驚かしに飛び降りたりしながらな。


他のオウムたちは何を考えているのか良くわからなかったなぁ。あんまり会話は成立しなかったしよ。でもまぁ、普通のオウムらしく、来客が言ってくる罵声を適当に繰り返しているやつとかもいたな。

でも罵声を喋るヤツの方が、動物園の人気者だったりするから不思議なもんだよな。

オウムが普通に挨拶とかをしても、人間共はテレビとかで見飽きているせいか「あぁ、はいはい挨拶ね」という微妙な反応しかしないんだけど、突然耳元で「死ね!」とか「バカ!」とかオウムに大声で言われると、大爆笑が起きるんだよな。


……オウムに完全にバカにされてるのに不思議だと思わないか?

なんというか、いかにオウムが人間共からコケにされてるかがわかるよな。だって、本気にされてないんだぜ。……まぁそりゃそうなんだけどよ。


俺はそんな同僚の様子と来客の反応を見つつ、雲の様子をのんびり見ているのが、ここでの生活の楽しみって感じだったな。それ以外は毎日同じでクソつまんなかった。


あぁ、勘違いしないでほしいのは、別に職場環境が悪かったわけではないぜ。むしろ時間になったら勝手に餌が出てきて、掃除も定期的にされて、外敵も全然いなくて、体調が悪くなったら、奥に引っ込めて人間共と触れ合わなくて済むようになる。

大手のホワイト企業もびっくりの驚きの白さだぜ。なんて素晴らしい職場環境だったんだ、って今でも思ってるよ。

もしかしたら、というか、もしかしなくともブラック企業勤めの人間よりも『人間』的な生活だったと思うぜ。


……、あぁ、そういえば、数年前に一度だけ、俺のいた鳥類ゾーンのど真ん中で、盛大にゲロを吐いていたキッズがいたっけな。あれは少しだけ面白かった。

げえげえしてて、飼育員は慌てふためくし、親はおろおろしてて何も役に立たねぇし、オウム共はバタバタ無駄に騒ぎやがって、くっせぇ匂いが俺のいた一番上まで香ってきてたぜ。

それにしても、あれはなんだったんだろうな、鳥アレルギーか何かかな。


おい、どうしたハナ、何でそんなに顔を赤くして背けるんだ? 何か思い当たる節でもあったのか? まさかあれ、お前だったのか? そんなまさかねぇ……。

……、ノーコメント? はいはい、真相は闇の中ね。オッケー。


で、例の『霧』の発生した日になるのよ。

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