第5話 濃霧②
ハナとしては「ナイフ投げ」という趣味は非常に奇妙で変であって、先生や同級生に見つかれば『ヤバい奴』と言うレッテルを貼られてしまうという自覚はあったため、学校で友人等にこの技術を積極的に披露をすることはなく、ただただ、淡々とおじいとの二人の秘密といった趣で、ひたすらに技の研鑽に励んでいった。
しかしハナは図らずも何度か、友人の前でナイフの技を披露してしまったことがあった。
一度目は小学5年生の林間学校で飯盒炊爨とバーベキューを準備をする際に、いつも触っているものと似た形状のキャンプ用ナイフが出てきて、思わずそれを手癖でくるくると弄んでしまった時は、男子からは「なんだその技は! 格好いい!」と謎の歓声が上がり、女子からは気持ち悪いものを見る目で見つめられてしまったことがある。
あれは本当に失敗だったし、これ以降、食事用のナイフ以外は人前で触らないようにしようと肝に銘じることとなった。
そして二度目は、小学6年生のとある給食の時間だった。その時、同じクラスにはハナと比較的仲の良かった女子がいた。
その子もハナと同じシングルマザーであり、会った当初から同じような匂いを感じ、実際に話をしてみると、ハナと似たような境遇で、同じような悩みを抱えており、似たもの同士ということですぐに友達になった。
しかし、その子は軽いイジメを受けていた。あまり洋服にお金が掛けられず、着古しで臭いのするものばかり着ており、風貌も天然パーマで少し汚らしい雰囲気があったためか、「もじゃもじゃ妖怪」や「もずく酢」などと揶揄の標的にされたり、上履きを隠され男子トイレから発見されたり、すれ違いざまいじめっ子達に足を引っ掛けられて転ばされたりと、細々と様々なイジメの標的となってしまっていた。
そしてその日、その女の子は「こいついっつもクセーんだよな、こうすれば『もずく酢』の匂いが気にならなくなるんじゃね?」といじめっ子に言われながら、給食で出ていた紙パックの牛乳を頭から大胆にドパドパかけられていた。
小学生の頃のハナは自分に全く自信がなく、その女の子がいじめられている様子を見ても、いつもはオドオドするばかりで、その女の子に対して些細な同情と気休め程度の「大丈夫?」という声かけはしたが、いじめっ子本人に実力行使に出ることは通常は無かった。
しかし、その時だけは違った。
その時は給食の時間で、ハナの目の前に、煮込みハンバーグを食べるための食事用ナイフがあった。
ハナはそのナイフから「私を投げて! やっつけちゃえ!」という声を聞いた気がした。ハナは驚きナイフを凝視した。するとさらに「きっと、やっつけると気持ちいいぞー!」と言う声も聞いた気がした。
ハナは衝動的にそのナイフを手に取り、いじめっ子の方へと腕を軽くスルリと振った。
するとナイフは『ドッ』という鈍い音と共にいじめっ子の胸元に当たり、ハナはいじめっ子に対して睨みつけながら、静かに威圧的に「やめろよ」と言った。
ハナはいつもいじめっ子に感じる恨みや劣等感がスーッと薄れていく気がした。
うっすらと爽快感も感じていた。
ナイフはいじめっ子の胸元で弾けたが、洋服の上から切り傷をつけたらしく、洋服にじわりと血が滲んできた。
ハナの静かな声と、ナイフが床に落ちた時の金属音と、胸で洋服に滲み出している鮮血の赤色を見て恐れ慄いたのか、いじめっ子は逃げ去るように保健室に向かって一目散に逃げていった。
この事件の結果、ハナとその友人は、同級生から「触ってはいけないもの」として見られるようになってしまったが、イジメられはしなくなった。
また、この事件はハナの母親とおじいの耳にも当然入ることとなった。
母親は「イジメを止めて偉い!」という、我が子贔屓な感想を漏らしていたが、おじいはその事件の現場にいてハナの気持ちや幻聴の原因を汲み取ったかのようなことを言ってきた。
「ハナ、くれぐれもナイフに命令されるようになってはいけないよ。ナイフはただの道具であって、ナイフそのものには全く責任はないよ。力や技術を持つ人は、その力や技術を管理する責任が伴うから、くれぐれも気をつけなさい」と諭すように言ってきた。
ハナにとって、その時はまだ実感できていない部分も多くあったが、成長するにつれて理解してきたように思っている。
ハナが中学生になる頃には、おじい曰く「ショーに出られる」までにナイフの扱いに長けてきたのだったが、特段ハナはショーに出たい訳でもなかったし、そもそも日本の見世物小屋文化は完全に衰退し、サーカス文化は日本にそれほど根付いていないため、ハナの技術が日本に置いて日の目を見ることはなかった。
だが、ハナとしてはそれで良かったと思っている。
ハナの心情として「これだけは誰にも負けない」という自信のある技術を持っているというのは、ある種の自己肯定感を高めることに繋がるため、実感として小学生の頃よりも社交的になった。
「いざとなったらお前を色々な意味で黙らせることは出来るんだぞ」という気持ちは、良くも悪くも人を強気にさせるのであった。
そうして、高校生になると、ハナはおじいからスーパーカブを譲り受け、たびたびおじいとのツーリングやバイクでの一人旅に行くようになってしまったため、ナイフの練習は一時期ほど熱心に行ってはこなかった。
ただ、2週間前におじいが自室で軽い捻挫をしてしまったため、ハナはおじいとの会話のネタを作るという意味でも、ナイフ投げの練習を継続的に再開するようになったのだった。
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