第4話 故郷⑦


約束を違えられて不思議に思ったハナは、ヒカリの両親を探すために昨日と同じように牧場の牛舎へと向かった。

牛舎に到着すると、これまた昨日と同じようにヒカリの両親が鍬を持って、床を掃除しているのが見えた。毎朝行っていることのようだった。

「あのーすみません……」と遠慮気味にハナが話しかけると、ヒカリの両親は一瞬きょとんという顔になった。

しかしすぐに取り繕うように「……あれ、もう朝ごはんの時間でしたか……、そうでしたね……」と口下手な父親が言い出した。


母親はどこか動揺したように、目を左右に即座に動かしたが、すぐにハナの方を向いて、愛想の良い笑顔になった。

しかし昨日の自然な微笑みではなく、どこか表情筋のぎこちなさが目立つ笑顔だった。

母親からは何も言葉は出てこなかった。


父親は「お待たせして、大変申し訳ございませんでした、すぐに朝ごはんの準備をいたしますので、ご足労いただいたところ誠に申し訳ないのですが、もう少々お待ちいただければと思います……」

と言って、掃除が終わっていないにもかかわらず、民宿の方へと小走りで去っていった。

残された母親は何か言いたげな顔をハナに向けていたが、そのまま何も言わずに床掃除へと戻っていった。

ハナは怪訝な顔をしながら父親の後を追って民宿へと戻ることにした。


たぬきの阿吽像を通り過ぎて民宿の玄関に入ると、ヒカリが靴を履いて外に出て行こうとしているところだった。

「おはよう、ヒカリちゃん」とハナが挨拶すると、ヒカリは「あれ、えーと……、おはよう、ございます……。……ハナおねーさん」と不自然な間をとった話し方でぎこちなく挨拶をしてくれた。

昨日までのヒカリの様子とはどう考えても異なっていた。


先ほどの両親の様子と、ヒカリのこの様子を見て、ハナはある可能性に思い当たった。

可能性というよりも、危惧というべきものだった。

ハナはそれを確かめるためにいくつかヒカリに質問をした。


「ヒカリちゃん、私がいつからこの民宿の泊まっていたか覚えてる?」

「……」

「それじゃ昨日、私は誰とどこでお昼ご飯を食べたか覚えてる?」

「……、」

「昨日、私が連れていたペットはどんなだったか覚えてる……?」

「……、覚えてない……」

ヒカリは困惑で目が左右に泳いでいた。


ハナの危惧は確信へと変わった。

――ヒカリは『忘却の霧』の影響を受けている。そのせいで些末な情報から忘却している……。


しかしなぜなのか、とハナは考える。

――この町は『忘却の霧』の境界面より上にあるはず……。

と考えていると、ハナの脳裏に高原道路から見た光景と、昨日のケヤキの木の下で見た光景をふと思い出した。


この町は『忘却の霧』の境界の直上に位置していた。

通常『忘却の霧』標高500m前後に境界面が存在するが、あくまで『霧』である以上、その境界は浮動的であって、色々な自然環境の変化で多少の上下をすることもあるだろう。

通常であれば『忘却の霧』は周囲の空気よりも密度が重いようであるため、境界が明確に存在する。


しかし強く風が吹くことで、その『霧』の境界面がかき混ぜられ、移動し、上昇することもあると考えられた。

さながら大潮の日に台風がやってくると高潮が発生して、街や道路に海水が侵入するのと同じ原理である。

つまり、昨日の強烈な嵐のせいで、『忘却の霧』の境界面が持ち上げられ、『霧』が深夜のある一定期間、この町を飲み込んだのだろう。

そうハナは考えた。

そうとしか考えられなかった。


ハナは急いで厨房へと行き、朝食の準備をしている父親に、この町が『忘却の霧』の影響を受ける可能性があること、昨晩に実際に受けていたであろうことを伝えた。


「……やはりそうですか……」

父親はハナにとって意外な返答をしてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る