第1話 潜霧士②

あれは今朝のことだった。

ハナは昨夜到着した村の宿屋で気持ちよく睡眠していると、唐突に大きくバタンと寝室の扉が開かれた。

勢いが良すぎてドアが跳ね返っているほどだった。

「いやいや、麗しきハナ様、おはようございます。村長のシゲオと申します。

せっかく我が村にお越しいただいたハナ様の休息のお時間を妨害してしまい大変心苦しいのではございますが、麗しきハナ様に少々お願いしたいことがございまして、ここまで足を運ばせていただきました」

村長のシゲオはドアのからの勢いを維持してここまで一気に捲し立てた。

ハナは寝惚け眼を擦りつつ、ようやく上体をベッドから起こした。

チラリと横目で窓際に設置された時計を見ると、まだ早朝の6時半過ぎだった。

――何だこいつ。私が気持ちよく寝ていた部屋に侵入して。それでお願いとか、どれだけ厚顔無恥で非常識でアホな村長なんだよ。それに、そもそも「麗しきハナ様」ってなんだよ……気持ち悪い顔しやがって……。


ハナは不機嫌さを一切隠そうともせずに「……何ですか」と言った。

せめて丁寧語にしたのは、ハナの最後の良心というべきものだ。

村長の後ろには秘書らしきお付きの男性と昨晩この家にご好意で泊めてくれた男性が申し訳なさそうな顔を浮かべて立っていた。

どうやら村長に無理やり言われて鍵を開けさせられたらしい。


「それがですねぇ、えぇ、実を申しまして、私は内臓に持病がありまして、症状が酷くなった時には薬を飲まなければならないのです。

その薬も軽症の時は代用薬を使ったり民間療法を試したりと、かなり節約してここまで何とか生活をしてきたのですが、その薬も底を尽きかけてきまして……。

そんな時、ちょうど珍しいことに、旅人でダイバーたるハナ様がこの村にやってきていらっしゃっいました!

ああ、何たる幸運!何たる運命!その美貌とあいまって、私の光の女神様かと見紛うほどでした!

この素晴らしき運命のお導きに従って、是非ともハナ様には薬を麓の病院から持ってきていただければと考えているのですが……」

村長はハナの様子や機嫌や都合など全く鑑みることもなく、ここまで一気に言った。

非常に興奮した口調だったが、村長がハナを見る目はあくまで理知的で理性的だった。

勢いに任せてハナに無理やり「わかりました」と言わせて、仕事を請け負わせる算段だとはっきりと検討がついた。


ハナは再度不機嫌さを全面に出して「……はぁ」と言った。

――まぁ確かに、今日は特に他の請負仕事も無かったし、受けられるんだけどさ……、でもなぁ、このまま引き受けるのもどうにも癪だよな……。

恐らく村長としては、珍しく潜霧士が村に来たと言うことで、他の村人の仕事を引き受ける前に、早めにお願いしたいと考えてこんな早朝に来たのだろう。

全くご苦労なことである。


「もちろんお代はしっかりと数万程度出させていただきます。お金以外がよろしければ、米や保存食を1週間分くらいはご提供する準備もございます。どうぞよろしくお願いいたします!」

村長は気持ち悪い笑顔を顔面に貼り付けたまま、ハナが応諾したかのようなセリフで締め括った。

お辞儀をしつつも、顔だけはハナの方を向いており、気持ち悪い笑顔がハナの眼前に迫っていた。


ハナは村長の明るい表情の中に、ハナが女性であることへの嘲りと、年下であることへの侮りと、潜霧士ダイバーという新しい職業への差別意識を見出した。

――お願いとか言っているけど、屑拾いを生業にしてるダイバーを内心見下してバカにしてんだろうな、この村長は……。

村長はこちらに圧力をかけようとしているのか、さらに口角を上げて笑顔で距離を詰めて迫ってきた。 


相手の顔色・表情・視線から相手の感情を読みとる技術は、この数ヶ月、潜霧士ダイバーとして各地を転々として交渉ごとをしていくうちに身についた技術の1つであった。

――対価としてはまぁまずまず妥当なラインだと思うけど……、どうしたものか……。


ハナは村長の気持ち悪くわざとらしい笑顔を眺めながら考えた。

――ダイバーがくるのは「珍しい」と言っていたし、相手の態度も気に食わないし、笑顔も気持ち悪いし、何より私の大事な大事な安眠を妨害されたからなぁ……。

「……わかりました」

「お! わかっていただけましたかぁ! それでは」と即座にシゲオは反応し、次の言葉を発しようとしたが、それをハナが中断した。

「代わりに! 代わりに、対価として、5万に加えて、米と保存食をそれぞれ1週間分いただきます。それで良いですか。これ以上は下げられませんから」

ハナは毅然とした態度でシゲオに言い放った。

ダイバーがこの田舎町に来るのは珍しいだろうし、結局この仕事はハナに頼む他は無いだろうという算段だった。


それを聞いたシゲオはみるみるうちに怒りに顔が紅潮していった。

対価が概ね3倍に吊り上げられたことに加え、年下の女性に反抗的な態度を取られたことに対し、相当な怒りを覚えたらしい。

普段は村長として、側近たるイエスマンからの仮初の反論しか受けてこなかったのだろうと思われた。

「な、何を! そんなのぼったくりも良いところじゃないか! 所詮屑拾いのために、ちゃちゃっと行って帰って来るだけだろう! どうしてそんなに高くなるんだ!」

「正当な労働に対する対価です。これが私の仕事への報酬です。屑拾いと言われますが、その屑を必要としているのはどこの誰ですか。それに『霧』の中は完全に無法地帯で、貴方の言う『ちゃっちゃと行って帰る』にも非常に危険なので、その危険手当も対価には含まれます。その額を出せないようでしたら、他をあたってください。では、まだ寝ている最中でしたので、おやすみなさい」

ハナはそう言い切ると上体を倒し、ベットにそのまま横になった。


これに慌てたシゲオは怒りを辛うじて押さえつけつつ、「……わかった……、それでお願いしよう……」と顔面をプルプルと震えさせながら、ハナに『お願い』をしてきた。

相当な屈辱感を覚えているはずだが、命令ではなく『お願い』をしてきたことについては褒めるべきかもしれないとハナは思った。

先ほどまでの笑顔は、口角と目尻に辛うじて残っている以外消え失せていたが、表情の気持ち悪さだけは全く消滅していなかった。

――そっちは依頼する立場なんだから、最初からもっと自分の立場を弁えなさいよ……。

とハナは思った。

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