忘却の霧とハナの旅
皆尾雪猫
第1話 潜霧士①
ハナは『忘却の霧』の中、ひたすら山道を群青色のスーパーカブで下っていた。
スーパーカブの後輪の両側には、荷物を入れる大きな帆布製バックが取り付けられており、大量の荷物を運べる様に改造されていた。
今では非常に貴重な種類であると誰かに言われたこともあったが、特にハナはバイクに詳しくなく、そんな感慨も特になく乗り回していた。
『霧』は今のところ比較的薄く、道の両脇の木々が奇妙にねじ曲がり、葉は紫色に変色している様子がよく見通せた。
舗装は荒れ果て、砂利と枝と葉が散らばっており、何ヶ月にもわたって全く手入れされていないようだった。
現在では全く通行されていない道路であることが一目でわかった。
ハナはレザーのライダースジャケットを着込み、黒い細身のジーパンに黒いハーフヘルメットを被っていた。
また走っているとそれなりに冷え込むため、水色のネックウォーマーをつけていた。
小柄な体躯ではあったが、手足が細くすらっとしており、可愛らしいスーパーカブに綺麗な姿勢で運転している様子は非常にスタイルが良く見えた。
唐突にハナの耳元にある、マリンブルーの宝石のついたイヤーカフから甲高い女性の通信音声が聴こえてきた。
『よーやく街が見えてきたよ、ハナ』
「ようやくか……、道案内ありがと、ナギ。降りてきて良いよ」
そうハナは言うと、突然、上空から真っ白なオウムがハナの右肩に降りてきた。
ナギは全身真っ白な毛並みで、頭にぴょこんと生えている冠毛だけが黄色いオウムであった。
また、その胸元にはハナと同じマリンブルーの宝石がついたネックレス型通信機が付いていた。
「今日は『霧』も薄いから、もう迷わないでしょ。ありがとうね、ナギ」
「いいえー」
とナギが言うと、右肩からハナの右耳を嘴で軽く甘噛みしだした。
「ちょっとナギ、くすぐったいって」
軽く笑いながらハナは右手人差し指でナギの頭をかきかきした。
きゅーと言うオウムらしい鳴き声がナギからした。
バイクは軽快に山道を下っていき、街へと進んで行った。
街中に入ると、商店や住居が立ち並んでいたが、どれも荒れ果てていた。
路面は剥がれ、店舗のコンクリートは砕け、窓ガラスは概ね破壊されており、また人の姿はハナ達以外一切見当たらなかった。人以外の姿も無かった。
『霧』に覆われた街はさながらゴーストタウンのように完全に廃墟と化していた。
『忘却の霧』が唐突に何の前触れもなく世界を覆い尽くして、早くも半年が経過していた。
この『忘却の霧』については、原因も理由も根拠も由来も何もかも不明だった。
『霧』の中に通常の人間が入ると、概ね数分で些末な記憶を忘却し始め、約2時間で重要な記憶の忘却現象が発生していき、約半日で言葉が失われ廃人と化し、1日経つと何故か身体ごと『消える』と言われていた。
そして『忘却の霧』は海抜500m以下の平野部を一瞬にして全て覆い隠してしまった。
唐突に出現し、当然のように全世界的に都市を飲み込みきってしまった。
その結果、平野部に住んでいた人類の多くは、何が起きたのか理解できないうちに徐々に記憶を奪われ、どう行動すれば良いのかもわからないうちに忽然と『消えて』しまった。
『霧』に関する様々な憶測や陰謀論が多少は飛び交ったらしいが、そういった雑多なノイズもろとも、綺麗さっぱりと大多数の人類が『霧』によって消滅した。
辛うじて異変に気づき、直感的に『霧』を避けて逃げ延び、生き残ったわずかな人類は、生活水準を一世紀以上前に戻してでも、山間部に点々と村を作って生活をして行かざるを得なくなった。
『次の交差点を左かな。段々『霧』が濃くなってきたんだけど、多分あってるはず』
街中に入り、再び上空から周囲の偵察をしていたナギから、イヤーカフを通して通信音声が聴こえてきた。
上空から目的地への案内をしてくれているナギは、地図の読めないハナにとってはとてもありがたい存在だった。
「オッケー、ありがと」
ハナは忘却現象無しで『忘却の霧』に
『霧』に包まれてしまったこの終末的な現代においては、一般人よりも行動範囲が広いため、非常に様々な役割を担うことになっている。
あるいは、様々な事情から無理やり担わされているとも言える。
ハナは軽快な音を立てつつ愛車のスーパーカブを走らせ、目的地である廃病院に到着した。
すると、ナギが上空からハナの右肩に止まって言った。
「あれ、そういえば今回は何を持って帰るんだっけ?」
「今回は村長の持病のお薬。この病院ならまだ残っているかもしれないってさ」
ハナは各地を気ままに転々としつつ、
依頼内容としても最も多くすぐにお金になり、単発で色々なところへ移動しながら仕事が出来る点で、ハナも非常に良く請け負っていた。
「それにしてもあの村長、自己中心的でいやーな感じの人だったなぁ。
こっちのことを女で小さいからってナメてる感じもしたし……」
ハナは今朝のことを思い出していた。
この廃病院に来るきっかけとなった出来事だった。
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